2020/01/20

ノンキ な カンジャ

 ノンキ な カンジャ

 カジイ モトジロウ

 1

 ヨシダ は ハイ が わるい。 カン に なって すこし さむい ヒ が きた と おもったら、 すぐ その ヨクジツ から たかい ネツ を だして ひどい セキ に なって しまった。 ムネ の ゾウキ を ゼンブ おしあげて だして しまおう と して いる か の よう な セキ を する。 4~5 ニチ たつ と もう すっかり やせて しまった。 セキ も あまり しない。 しかし これ は セキ が なおった の では なくて、 セキ を する ため の ハラ の キンニク が すっかり つかれきって しまった から で、 カレラ が セキ を する の を がえんじなく なって しまった から らしい。 それに もう ヒトツ は シンゾウ が ひどく よわって しまって、 イチド セキ を して それ を みだして しまう と、 それ を ふたたび しずめる まで に ヒジョウ に くるしい メ を みなければ ならない。 つまり セキ を しなく なった と いう の は、 カラダ が スイジャク して はじめて の とき の よう な ゲンキ が なくなって しまった から で、 それ が ショウコ には コンド は だんだん コキュウ コンナン の ド を まして センパク な コキュウ を かずおおく しなければ ならなく なって きた。
 ビョウセイ が こんな に なる まで の アイダ、 ヨシダ は これ を ヒトナミ の リュウコウセイ カンボウ の よう に おもって、 またしても 「ミョウチョウ は もうすこし よく なって いる かも しれない」 と おもって は その キタイ に うらぎられたり、 キョウ こそ は イシャ を たのもう か と おもって は ムダ に シンボウ を したり、 いつまでも ひどい イキギレ を おかして は ベンジョ へ かよったり、 そんな ホンノウテキ な ウケミ な こと ばかり やって いた。 そして やっと イシャ を むかえた コロ には、 もう げっそり ホオ も こけて しまって、 ミウゴキ も できなく なり、 2~3 ニチ の うち には はや トコズレ の よう な もの まで が できかかって くる と いう ヨワリカタ で あった。 ある ヒ は しきり に 「こうっと」 「こうっと」 と いう よう な こと を ほとんど イチニチ いって いる。 か と おもう と 「フアン や」 「フアン や」 と よわよわしい コエ を だして うったえる こと も ある。 そういう とき は きまって ヨル で、 どこ から くる とも しれない フアン が ヨシダ の よわりきった シンケイ を たまらなく する の で あった。
 ヨシダ は これまで イチド も そんな ケイケン を した こと が なかった ので、 そんな とき は ダイイチ に その フアン の ゲンイン に おもいなやむ の だった。 いったい ひどく シンゾウ でも よわって きた ん だろう か、 それとも こんな ビョウキ には ありがち な、 フアン ほど には ない ナニ か の ゲンショウ なん だろう か、 それとも ジブン の カビン に なった シンケイ が ナニ か の クツウ を そういう ふう に かんじさせる ん だろう か。 ――ヨシダ は ほとんど ミウゴキ も できない シセイ で カラダ を しゃちこばらせた まま かろうじて ムネ へ コキュウ を おくって いた。 そして イマ もし とつじょ この ヘイコウ を やぶる もの が あらわれたら ジブン は どう なる か しれない と いう こと を おもって いた。 だから ヨシダ の アタマ には ジシン とか カジ とか イッショウ に 1 ド あう か 2 ド あう か と いう よう な もの まで が シンケン に うつって いる の だった。 また ヨシダ が この ジョウタイ を つづけて ゆく と いう の には たえない ドリョクカン の キンチョウ が ヒツヨウ で あって、 もし その ツナワタリ の よう な ドリョク に ナニ か フアン の カゲ が させば たちどころに ヨシダ は ふかい クツウ に おちいらざる を えない の だった。 ――しかし そんな こと は いくら かんがえて も ケッテイテキ な チシキ の ない ヨシダ には その カイケツ が つく はず は なかった。 その ゲンイン を オクソク する にも また その セイヒ を ハンダン する にも けっきょく とうの ジブン の フアン の カンジ に よる ホカ は ない の だ と する と、 けっきょく それ は ナニ を やって いる の か ワケ の わからない こと に なる の は トウゼン の こと なの だった が、 しかし そんな ジョウタイ に いる ヨシダ には そんな アキラメ が つく はず は なく、 いくらでも それ は クツウ を まして ゆく こと に なる の だった。
 ダイニ に ヨシダ を くるしめる の は この フアン には シュダン が ある と おもう こと だった。 それ は ヒト に イシャ へ いって もらう こと と ダレ か に ネズ の バン に ついて いて もらう こと だった。 しかし ヨシダ は ダレ も ミナ イチニチ の シゴト を すまして そろそろ ねよう と する イマゴロ に なって、 ハンミチ も ある イナカミチ を イシャ へ いって きて くれ とか、 60 も こして しまった ハハオヤ に ねず に ついて いて くれ とか いう こと は いいだしにくかった。 また それ を おもいきって たのむ ダン に なる と、 ヨシダ は イマ の この ジブン の ジョウタイ を どうして ワカリ の わるい ハハオヤ に わからして いい か、 ――それ より も ジブン が かろうじて それ を いう こと が できて も、 じっくり と した ハハオヤ の フダン の タイド で それ を かんがえられたり、 また その ツカイ を たのまれた ニンゲン が その ツカイ を ゆきしぶったり する とき の こと を かんがえる と、 じっさい それ は ヨシダ に とって タイザン を うごかす よう な クウソウ に なって しまう の だった。 しかし なぜ フアン に なって くる か ――もう ヒトツ セイミツ に いう と―― なぜ フアン が フアン に なって くる か と いう と、 これから だんだん ヒト が ねて しまって イシャ へ いって もらう と いう こと も ホントウ に できなく なる と いう こと や、 そして ハハオヤ も ねて しまって アト は ただ ジブン ヒトリ が こうりょう と した ヨル の ジカン の ナカ へ とりのこされる と いう こと や、 そして もし その ジカン の マンナカ で この エタイ の しれない フアン の ナイヨウ が ジツゲン する よう な こと が あれば もはや ジブン は どう する こと も できない では ない か と いう よう な こと を かんがえる から で―― だから これ は メ を つぶって 「シンボウ する か、 たのむ か」 と いう こと を きめる イガイ それ ジシン の ナカ には なんら カイケツ の シュダン も ふくんで いない コトガラ なの で ある が、 たとえ ヨシダ は ばくぜん と それ を かんじる こと が できて も、 カラダ も ココロ も ヌキサシ の ならない ジブン の ジョウタイ で あって みれば なお の こと その メイモウ を すてきって しまう こと も できず、 その ケッカ は アガキ の とれない クツウ が ますます ゾウダイ して ゆく イッポウ と なり、 その ハテ には もう その クルシサ だけ にも たえきれなく なって 「こんな に くるしむ くらい なら いっそ の こと いって しまおう」 と サイゴ の ケッシン を する よう に なる の だ が、 その とき は もう なぜか テ も アシ も でなく なった よう な カンジ で、 その ソバ に すわって いる ジブン の ハハオヤ が いかにも はがゆい ノンキ な ソンザイ に みえ、 「ここ と そこ だ のに なぜ これ を アイテ に わからす こと が できない の だろう」 と ムネ の ナカ の クツウ を そのまま つかみだして アイテ に たたきつけたい よう な カンシャク が ヨシダ には おこって くる の だった。
 しかし けっきょく は それ も 「フアン や」 「フアン や」 と いう よわよわしい ミレン いっぱい の ウッタエ と なって おわって しまう ほか ない ので、 それ も かんがえて みれば ミレン とは いって も やはり ヨナカ ナニ か おこった とき には アイテ を はっと きづかせる こと の ヤク には たつ と いう せっぱつまった シタゴコロ も はいって いる には ちがいなく、 そう する こと に よって やっと ジブン ヒトリ が ねられない で とりのこされる ヨル の ノッピキ ならない シンボウ を する こと に なる の だった。
 ヨシダ は ナンド 「オノレ が キモチ よく ねられ さえ すれば」 と おもった こと か しれなかった。 こんな フアン も ヨシダ が その ヨル を ねむる アテ さえ あれば なんの クツウ でも ない ので、 くるしい の は ただ ジブン が ヒル にも ヨル にも スイミン と いう こと を カンジョウ に いれる こと が できない と いう こと だった。 ヨシダ は ムネ の ナカ が どうにか して やわらんで くる まで は いや でも オウ でも いつも カラダ を しゃちこばらして ヨルヒル を おしとおして いなければ ならなかった。 そして スイミン は シグレゾラ の ウスビ の よう に、 その ウエ を ときどき やって きて は きえて ゆく ほとんど ジブン とは ボッコウショウ な もの だった。 ヨシダ は いくら イチニチ の カンゴ に つかれて も ねる とき が くれば いつでも すやすや と ねて ゆく ハハオヤ が いかにも ラク そう にも また ハクジョウ にも みえ、 しかし けっきょく これ が オノレ の イマ やらなければ ならない こと なん だ と おもいあきらめて また その ドリョク を つづけて ゆく ほか なかった。
 そんな ある バン の こと だった。 ヨシダ の ビョウシツ へ とつぜん ネコ が はいって きた。 その ネコ は ふだん ヨシダ の ネドコ へ はいって ねる と いう シュウカン が ある ので ヨシダ が こんな に なって から は やかましく いって ビョウシツ へ はいれない クフウ を して いた の で ある が、 その ネコ が どこ から はいって きた の か フイ に にゃあ と いう イツモ の ナキゴエ と ともに ヘヤ へ はいって きた とき には ヨシダ は イチジ に フアン と フンマン の ネン に おそわれざる を えなかった。 ヨシダ は リンシツ に ねて いる ハハオヤ を よぶ こと を かんがえた が、 ハハオヤ は やはり リュウコウセイ カンボウ の よう な もの に かかって 2~3 ニチ マエ から ねて いる の だった。 その こと に ついて は ヨシダ は ジブン の こと も かんがえ、 また ハハオヤ の こと も かんがえて カンゴフ を よぶ こと を テイギ した の だった が、 ハハオヤ は 「ジブン さえ シンボウ すれば やって いける」 と いう ヨシダ に とって は ヒジョウ に クツウ な カンガエ を コシツ して いて それ を とりあげなかった。 そして こんな バアイ に なって は ヨシダ は やはり 1 ピキ の ネコ ぐらい で その ハハオヤ を おこす と いう こと は できがたい キ が する の だった。 ヨシダ は また ネコ の こと には 「こんな こと が ある かも しれない と おもって あんな にも シンケイシツ に いって ある のに」 と おもって ジブン が シンケイシツ に なる こと に よって はらった クツウ の ギセイ が テゴタエ も なく すっぽかされて しまった こと に フンマン を かんじない では いられなかった。 しかし イマ ジブン は カンシャク を たてる こと に よって すこし の トク も する こと は ない と おもう と、 その ワケ の わからない ネコ を あまり ミウゴキ も できない ジョウタイ で たちさらせる こと の いかに また コンキ の いる シゴト で ある か を おもわざる を えなかった。
 ネコ は ヨシダ の マクラ の ところ へ やって くる と イツモ の よう に ヨギ の エリモト から ネドコ の ナカ へ もぐりこもう と した。 ヨシダ は ネコ の ハナ が つめたくて その ケガワ が コガイ の シモ で ぬれて いる の を その ホオ で かんじた。 すなわち ヨシダ は クビ を うごかして その ヨギ の スキマ を ふさいだ。 すると ネコ は ダイタン にも マクラ の ウエ へ あがって きて また ベツ の スキマ へ しゃにむに クビ を つっこもう と した。 ヨシダ は そろそろ あげて きて あった カタテ で その ハナサキ を おしかえした。 このよう に して チョウバツ と いう こと イガイ に なにも しらない ドウブツ を、 キョクド に カンジョウ を おしころした わずか の シンタイ の ウンドウ で たちさらせる と いう こと は、 ワケ の わからない その アイテ を ほとんど カイギ に おとしいれる こと に よって あきらめさす と いう よう な せっぱつまった ホウホウ を イミ して いた。 しかし それ が やっと の こと で セイコウ した と おもう と、 ホウコウ を かえた ネコ は コンド は のそのそ と ヨシダ の ネドコ の ウエ へ あがって そこ で まるく なって ケ を なめはじめた。 そこ へ ゆけば もう ヨシダ には どう する こと も できない バショ で ある。 ハクヒョウ を ふむ よう な ヨシダ の コキュウ が にわか に ずしり と おもく なった。 ヨシダ は いよいよ ハハオヤ を おこそう か どう しよう か と いう こと で おさえて いた カンシャク を たかぶらせはじめた。 ヨシダ に とって は それ を シンボウ する こと は できなく ない こと かも しれなかった。 しかし その シンボウ を して いる アイダ は たとえ ねた か ねない か わからない よう な スイミン では あった が、 その カノウセイ が ぜんぜん なくなって しまう こと を かんがえなければ ならなかった。 そして それ を いつまで もちこたえなければ ならない か と いう こと は まったく ネコ-シダイ で あり、 いつ おきる か しれない ハハオヤ-シダイ だ と おもう と、 どうしても そんな ばかばかしい シンボウ は しきれない キ が する の だった。 しかし ハハオヤ を おこす こと を かんがえる と、 こんな カンジョウ を おさえて おそらく ナンド も よばなければ ならない だろう と いう キモチ だけ でも ヨシダ は まったく タイギ な キ に なって しまう の だった。 ――しばらく して ヨシダ は コノアイダ から ジブン で おこした こと の なかった カラダ を じりじり おこしはじめた。 そして トコ の ウエ へ やっと おきかえった か と おもう と、 ネドコ の ウエ に まるく なって ねて いる ネコ を むんずと つかまえた。 ヨシダ の カラダ は それ だけ の ウンドウ で もう ナミ の よう に フアン が ゆれはじめた。 しかし ヨシダ は もう どう する こと も できない ので、 いきなり それ を それ の はいって きた ヘヤ の スミ へ 「ニド と テマ の かからない よう に」 たたきつけた。 そして ジブン は ネドコ の ウエ で アグラ を かいて その アト の おそろしい コキュウ コンナン に ミ を まかせた の だった。

 2

 しかし ヨシダ の そんな クルシミ も だんだん たえがたい よう な もの では なくなって きた。 ヨシダ は ジブン に やっと スイミン-らしい スイミン が できる よう に なり、 「コンド は だいぶん ひどい メ に あった」 と いう こと を おもう こと が できる よう に なる と、 やっと くるしかった 2 シュウカン ほど の こと が アタマ へ のぼって きた。 それ は シソウ も なにも ない ただ あらあらしい ガンセキ の チョウジョウ する フウケイ だった。 しかし その ナカ でも もっとも ひどかった セキ の クルシミ の サイチュウ に、 いつも ジブン の アタマ へ うかんで くる ワケ の わからない コトバ が あった こと を ヨシダ は おもいだした。 それ は 「ヒルカニヤ の トラ」 と いう コトバ だった。 それ は セキ の ノド を ならす オト とも レンカン が あり、 それ を ヨシダ が カンネン する の は 「オレ は ヒルカニヤ の トラ だぞ」 と いう よう な こと を ねんじる から なの だった が、 いったい その 「ヒルカニヤ の トラ」 と いう もの が どんな もの で あった か ヨシダ は いつも セキ の すんだ アト ミョウ な キモチ が する の だった。 ヨシダ は ナニ か きっと それ は ジブン の ねつく マエ に よんだ ショウセツ か ナニ か の ナカ に あった こと に ちがいない と おもう の だった が それ が おもいだせなかった。 また ヨシダ は 「ジコ の ザンゾウ」 と いう よう な もの が ある もの なん だな と いう よう な こと を おもったり した。 それ は ヨシダ が もう すっかり セキ を する の に つかれて しまって アタマ を マクラ へ もたらせて いる と、 それでも やはり ちいさい セキ が でて くる、 しかし ヨシダ は もう そんな もの に いちいち クビ を かたく して おうじて は いられない と おもって それ が でる まま に させて おく と、 どうしても やはり アタマ は その たび に うごかざる を えない。 すると その 「ジコ の ザンゾウ」 と いう もの が イクツ も できる の で ある。
 しかし そんな こと も みな くるしかった 2 シュウカン ほど の アイダ の オモイデ で あった。 おなじ ねられない バン に して も ヨシダ の ココロ には もう ナニ か の カイラク を もとめる よう な キモチ の かんじられる よう な バン も あった。
 ある バン は ヨシダ は タバコ を ながめて いた。 トコ の ワキ に ある ヒバチ の スソ に キザミ タバコ の フクロ と キセル と が みえて いる。 それ は みえて いる と いう より も、 ヨシダ が ムリ を して みて いる ので、 それ を みて いる と いう こと が なんとも いえない たのしい キモチ を ジブン に おこさせて いる こと を ヨシダ は かんじて いた。 そして ヨシダ の ねられない の は その キモチ の ため で、 いわば それ は やや たのしすぎる キモチ なの だった。 そして ヨシダ は ジブン の ホオ が その ため に すこし ずつ ほてった よう に なって きて いる と いう こと さえ しって いた。 しかし ヨシダ は けっして ホカ を むいて ねよう と いう キ は しなかった。 そう する と せっかく ジブン の かんじて いる ハル の ヨル の よう な キモチ が イチジ に ビョウキ ビョウキ した フユ の よう な キモチ に なって しまう の だった。 しかし ねられない と いう こと も ヨシダ に とって は クツウ で あった。 ヨシダ は いつか フミンショウ と いう こと に ついて、 それ の ゲンイン は けっきょく カンジャ が ねむる こと を ほっしない の だ と いう ガクセツ が ある こと を ヒト に きかされて いた。 ヨシダ は その ハナシ を きいて から ジブン の ねむれない とき には ナニ か ジブン に ねむる の を ほっしない キモチ が あり は しない か と おもって イチヤ それ を ケンサ して みる の だった が、 イマ ジブン が ねられない と いう こと に ついて は ケンサ して みる まで も なく ヨシダ には それ が わかって いた。 しかし ジブン が その かくれた ヨクボウ を ジッコウ に うつす か どう か と いう ダン に なる と ヨシダ は イチ も ニ も なく ヒテイ せざる を えない の だった。 タバコ を すう も すわない も、 その ドウグ の テ の とどく ところ へ ゆきつく だけ でも、 ジブン の イマ の この ハル の ヨル の よう な キモチ は イチジ に ふきけされて しまわなければ ならない と いう こと は ヨシダ も しって いた。 そして もし それ を イップク すった と する バアイ、 この ナンニチ-カン か しらなかった どんな おそろしい セキ の クルシミ が おそって くる か と いう こと も ヨシダ は たいがい さっして いた。 そして ナニ より も まず、 すこし ジブン が その ヒト の せい で くるしい メ を した と いう よう な バアイ すぐに カンシャク を たてて おこりつける ハハオヤ の ねて いる スキ に、 それ も その ヒト の わすれて いった タバコ を―― と おもう と やはり ヨシダ は イチ も ニ も なく その ヨクボウ を ヒテイ せざる を えなかった。 だから ヨシダ は けっして その ヨクボウ を あらわ には イシキ しよう とは おもわない。 そして いつまでも その ほう を ながめて は ねられない ハル の ヨル の よう な ココロ の トキメキ を かんじて いる の だった。
 ある ヒ は ヨシダ は また カガミ を もって こさせて それ に かれがれ と した マフユ の ニワ の フウケイ を ハンシャ させて は ながめたり した。 そんな ヨシダ には いつも ナンテン の あかい ミ が メ の さめる よう な シゲキ で メ に ついた。 また カガミ で ハンシャ させた フウケイ へ ボウエンキョウ を もって いって、 ボウエンキョウ の コウカ が ある もの か どう か と いう こと を、 ヨシダ は だいぶん ながい アイダ ネドコ の ナカ で かんがえたり した。 だいじょうぶ だ と ヨシダ は おもった ので、 ボウエンキョウ を もって こさせて カガミ を かさねて のぞいて みる と やはり だいじょうぶ だった。
 ある ヒ は ニワ の スミ に せっした ムラ の おおきな クヌギ の キ へ たくさん ワタリドリ が やって きて いる コエ が した。
「あれ は いったい ナン やろ」
 ヨシダ の ハハオヤ は それ を みつけて ガラス ショウジ の ところ へ でて ゆきながら、 そんな ヒトリゴト の よう な ヨシダ に きかす よう な こと を いう の だった が、 カンシャク を おこす の に なれつづけた ヨシダ は、 「カッテ に しろ」 と いう よう な キモチ で わざと だまりつづけて いる の だった。 しかし ヨシダ が そう おもって だまって いる と いう の は ヨシダ に して みれば いい ほう で、 もし これ が キモチ の よく ない とき だったら ジブン の その チンモク が くるしく なって、 (いったい そんな こと を きく よう な きかない よう な こと を いって ジブン が それ を ながめる こと が できる と おもって いる の か) と いう よう な こと から はじまって、 ハハオヤ が ジブン の そんな イシ を ヒテイ すれば、 (いくら そんな こと を いって も ぼんやり ジブン が そう おもって いった と いう こと に ジブン が キ が つかない だけ の ハナシ で、 いつも そんな ぼんやり した こと を いったり したり する から ムリ に でも ジブン が カガミ と ボウエンキョウ と を もって それ を ながめなければ ならない よう な ギム を かんじたり して くるしく なる の じゃ ない か) と いう ふう に ハハオヤ を せめたてて ゆく の だった が、 ヨシダ は ジブン の キモチ が そういう アサ で さっぱり して いる ので、 だまって その コエ を きいて いる こと が できる の だった。 すると ハハオヤ は ヨシダ が そんな こと を かんがえて いる と いう こと には キ が つかず に また こんな こと を いう の だった。
「なんやら ひよひよ した トリ やわ」
「そんなら ヒヨ です やろう かい」
 ヨシダ は ハハオヤ が それ を ヒヨドリ に きめたがって そんな ケイヨウシ を つかう の だ と いう こと が たいてい わかる よう な キ が する ので そんな ヘンジ を した の だった が、 しばらく する と ハハオヤ は また ヨシダ が そんな こと を おもって いる とは キ が つかず に、
「なんやら ケ が むくむく して いる わ」
 ヨシダ は もう カンシャク を おこす より も ハハオヤ の おもって いる こと が いかにも コッケイ に なって きた ので、
「そんなら ムク です やろう かい」
 と いって ヒトリ で わらいたく なって くる の だった。
 そんな ある ヒ ヨシダ は オオサカ で ラジオ-ヤ の ミセ を ひらいて いる スエ の オトウト の ミマイ を うけた。
 その オトウト の いる イエ と いう の は その ナン-カゲツ か マエ まで ヨシダ や ヨシダ の ハハ や オトウト や の イッショ に すんで いた イエ で あった。 そして それ は その 5~6 ネン も マエ ヨシダ の チチ が その ガッコウ へ ゆかない ヨシダ の スエ の オトウト に ナニ か テ に あった ショウバイ を させる ため に、 そして ジブン たち も その ムスコ を しあげながら ロウゴ の セイカツ を して ゆく ため に かった コマモノミセ で、 ヨシダ の オトウト は その ミセ の ハンブン を ジブン の ショウバイ に する つもり の ラジオ-ヤ に つくりかえ、 コマモノヤ の ほう は ヨシダ の ハハオヤ が みながら ずっと くらして きた の で あった。 それ は オオサカ の マチ が ミナミ へ ミナミ へ のびて ゆこう と して 10 ナンネン か マエ まで は まだ くさぶかい イナカ で あった トチ を どんどん ジュウタク や ガッコウ、 ビョウイン など の チタイ に して しまい、 その アイダ へは また オオク は そこ の ジモト の ヒャクショウ で あった ジヌシ たち の たてた ちいさな ナガヤ が たくさん できて、 ノハラ の ナゴリ が トシゴト に その カゲ を けして ゆきつつ ある と いう フウ の マチ なの で あった。 ヨシダ の オトウト の ミセ の ある ところ は その アイダ でも ヒカクテキ はやく から できて いた トオリスジ で リョウガワ は そんな マチ-らしい、 いろんな もの を あきなう ミセ が たちならんで いた。
 ヨシダ は トウキョウ から ビョウキ が わるく なって その イエ へ かえって きた の が 2 ネン あまり マエ で あった。 ヨシダ の かえって きた ヨクネン ヨシダ の チチ は その イエ で しんで、 しばらく して ヨシダ の オトウト も ヘイタイ に いって いた の から かえって きて いよいよ おちついて ショウバイ を やって ゆく こと に なり ヨメ を もらった。 そして それ を キカイ に ひとまず ヨシダ も ヨシダ の ハハ も オトウト も、 それまで ホカ で イエ を もって いた ヨシダ の アニ の イエ の セワ に なる こと に なり、 その アニ が それまで すんで いた マチ から すこし はなれた イナカ に、 ビョウニン を すます に ツゴウ の いい ハナレ の ある いい イエ が みつかった ので そこ へ ひっこした の が まだ 3 カゲツ ほど マエ で あった。
 ヨシダ の オトウト は ビョウシツ で ハハオヤ を アイテ に しばらく アタリサワリ の ない ジブン の イエ の ハナシ など を して いた が やがて かえって いった。 しばらく して それ を おくって いった ハハ が ヘヤ へ かえって きて、 また しばらく して の アト で、 ハハ は とつぜん、
「あの アラモノヤ の ムスメ が しんだ と」
 と いって ヨシダ に はなしかけた。
「ふうむ」
 ヨシダ は そう いった なり オトウト が その ハナシ を この ヘヤ では しない で おくって いった ハハ と オモヤ の ほう で した と いう こと を かんがえて いた が、 やはり オトウト の メ には この ジブン が そんな ハナシ も できない ビョウニン に みえた か と おもう と、 「そう かなあ」 と いう ふう にも かんがえて、
「なんで あれ も そんな ハナシ を あっち の ヘヤ で したり する ん です やろ なあ」
 と いう ふう な こと を いって いた が、
「そりゃ オマエ が びっくり する と おもうて さ」
 そう いいながら ハハ は ジブン が それ を いった こと は べつに イ に かいして ない らしい ので ヨシダ は すぐに も 「それじゃ アンタ は?」 と ききかえしたく なる の だった が、 イマ は そんな こと を いう キ にも ならず ヨシダ は じっと その ムスメ の しんだ と いう こと を かんがえて いた。
 ヨシダ は イゼン から その ムスメ が ハイ が わるくて ねて いる と いう こと は きいて しって いた。 その アラモノヤ と いう の は ヨシダ の オトウト の イエ から ツジ を ヒトツ こした 2~3 ゲン サキ の くすんだ カンジ の ミセ だった。 ヨシダ は その ミセ に そんな ムスメ が すわって いた こと は いくら いわれて も おもいだせなかった が、 その イエ の オバアサン と いう の は いつも キンジョ へ であるいて いる ので よく みて しって いた。 ヨシダ は その オバアサン から は いつも すこし ヒト の よすぎる やや はらだたしい インショウ を うけて いた の で ある が、 それ は その オバアサン が またしても ヘン な ワライガオ を しながら キンジョ の オカミサン たち と オシャベリ を し に でて いって は、 ナブリモノ に されて いる―― そんな バメン を たびたび みた から だった。 しかし それ は ヨシダ の オモイスギ で、 それ は その オバアサン が ツンボ で ヒト に テマネ を して もらわない と ハナシ が つうじず、 しかも ジブン は ハナ の つぶれた コエ で モノ を いう ので いっそう ヒト に ケイベツテキ な インショウ を あたえる から で、 それ は たしょう ヒトビト には ケイベツ されて は いて も、 オモシロ-ハンブン に でも テマネ で はなして くれる ヒト が あり、 ハナ の つぶれた コエ でも その ハナシ を きいて くれる ヒト が あって こそ、 その オバアサン も なんの キガネ も なし に キンジョ ナカマ の ナカマイリ が できる ので、 それ が カザリ も なにも ない こうした マチ の セイカツ の シンジツ なん だ と いう こと は イロイロ な こと を しって みて はじめて ヨシダ にも エトク の ゆく こと なの だった。
 そんな ふう で はじめ ヨシダ には その ムスメ の こと より も オバアサン の こと が その アラモノヤ に ついて の チシキ を しめて いた の で ある が、 だんだん その ムスメ の こと が ジブン の こと にも カンレン して チュウイ されて きた の は だいぶん その ムスメ の ヨウダイ も わるく なって きて から で あった。 キンジョ の ヒト の ハナシ では その アラモノヤ の オヤジサン と いう の が ヒジョウ に ケチ で、 その ムスメ を イシャ にも かけて やらなければ クスリ も かって やらない と いう こと で あった。 そして ただ その ムスメ の ハハオヤ で ある サッキ の オバアサン だけ が その ムスメ の セワ を して いて、 ムスメ は 2 カイ の ヒトマ に ネタキリ、 その オヤジサン も ムスコ も そして まだ きて マ の ない その ムスコ の ヨメ も ダレ も その ビョウニン には よりつかない よう に して いる と いう こと を いって いた。 そして ヨシダ は ある とき その ムスメ が マイニチ ショクゴ に メダカ を 5 ヒキ ずつ のんで いる と いう ハナシ を きいた とき は 「どうして また そんな もの を」 と いう キモチ が して にわか に その ムスメ を ココロ に とめる よう に なった の だ が、 しかし それ は ヨシダ に とって まだまだ とおい ヒトゴト の キモチ なの で あった。
 ところが ソノゴ しばらく して そこ の ヨメ が ヨシダ の イエ へ カケトリ に きた とき、 ウチ の モノ と ハナシ を して いる の を ヨシダ が こちら の ヘヤ の ナカ で きいて いる と、 その メダカ を のむ よう に なって から ビョウニン が グアイ が いい と いって いる と いう こと や、 オヤジサン が トオカ に イチド ぐらい それ を ノハラ の ほう へ とり に ゆく と いう ハナシ など を して から サイゴ に、
「ウチ の アミ は いつでも あいて ます よって、 オウチ の ビョウニン さん にも ちっと とって きて のまして あげはったら どう です」
 と いう よう な ハナシ に なって きた ので ヨシダ は イチジ に ロウバイ して しまった。 ヨシダ は ナニ より も ジブン の ビョウキ が そんな にも おおっぴら に はなされる ほど ヒトビト に しられて いる の か と おもう と いまさら の よう に おどろかない では いられない の だった が、 しかし かんがえて みれば もちろん それ は ムリ の ない ハナシ で、 いまさら それ に おどろく と いう の は やはり ジブン が ふだん ジブン に ついて ムシ の いい ソウゾウ を して いる ん だ と いう こと を ヨシダ は おもいしらなければ ならなかった の だった。 だが ヨシダ に とって また なまなましかった の は その メダカ を ジブン にも のましたら と いわれた こと だった。 アト で それ を ウチ の モノ が わらって はなした とき、 ヨシダ は ウチ の モノ にも やはり そんな キ が ある の じゃ ない か と おもって、 もう ちょっと その サカナ を おおきく して やる ヒツヨウ が ある と いって ニクマレグチ を たたいた の だ が、 ヨシダ は そんな もの を のみながら だんだん シキ に ちかづいて ゆく ムスメ の こと を ソウゾウ する と たまらない よう な ユウウツ な キモチ に なる の だった。 そして その ムスメ の こと に ついて は それきり で ヨシダ は こちら の イナカ の ジュウキョ の ほう へ きて しまった の だった が、 それから しばらく して ヨシダ の ハハ が オトウト の イエ へ いって きた とき の ハナシ に、 ヨシダ は とつぜん その ムスメ の ハハオヤ が しんで しまった こと を きいた。 それ は その オバアサン が ある ヒ アガリガマチ から ザシキ の ナガヒバチ の ほう へ あがって ゆきかけた まま ノウイッケツ か ナニ か で しんで しまった と いう ので ヒジョウ に あっけない ハナシ で あった が、 ヨシダ の ハハオヤ は あの オバアサン に しなれて は あの ムスメ も イッペン に キ を おとして しまった だろう と その こと ばかり を シンパイ した。 そして その オバアサン が ふだん あんな に みえて いて も、 その ムスメ を オヤジサン には ナイショ で シミン ビョウイン へ つれて いったり、 また ムスメ が ネタキリ に なって から は ひそか に クスリ を もらい に いって やったり した こと が ある と いう こと を、 ある とき その オバアサン が グチバナシ に ヨシダ の ハハオヤ を つかまえて はなした こと が ある と いって、 やはり ハハオヤ は ハハオヤ だ と いう こと を いう の だった。 ヨシダ は その ハナシ には ヒジョウ に しみじみ と した もの を かんじて フダン の オバアサン に たいする カンガエ も すっかり かわって しまった の で ある が、 ヨシダ の ハハオヤ は また キンジョ の ヒト の ハナシ だ と いって、 その オバアサン の しんだ アト は レイ の オヤジサン が オバアサン に かわって ムスメ の メンドウ を みて やって いる こと、 それ が どんな グアイ に いって いる の か しらない が、 その オヤジサン が キンジョ へ きて の ハナシ に 「しんだ バアサン は なにひとつ ヤク に たたん バアサン やった が、 よう まあ あの 2 カイ の アガリオリ を 1 ニチ に 30 ナンベン も やった もん や と おもうて それ だけ は カンシン する」 と いって いた と いう こと を ヨシダ に はなして きかせた の だった。
 そして そこ まで が ヨシダ が サイキン まで に きいて いた ムスメ の ショウソク だった の だ が、 ヨシダ は そんな こと を みな おもいだしながら、 その ムスメ の しんで いった さびしい キモチ など を おもいやって いる うち に、 しらずしらず の アイダ に すっかり ジブン の キモチ が たよりない ヘン な キモチ に なって しまって いる の を かんじた。 ヨシダ は ジブン が あかるい ビョウシツ の ナカ に い、 そこ には ジブン の ハハオヤ も いながら、 なぜか ジブン だけ が ふかい ところ へ おちこんで しまって、 そこ へは でて ゆかれない よう な キモチ に なって しまった。
「やっぱり びっくり しました」
 それから しばらく たって ヨシダ は やっと ハハオヤ に そう いった の で ある が ハハオヤ は、
「そう やろ がな」
 かえって ヨシダ に それ を ナットク さす よう な クチョウ で そう いった なり、 べつに ジブン が それ を いった こと に ついて は なにも かんじない らしく、 また いろいろ その ムスメ の ハナシ を しながら サイゴ に、
「あの ムスメ は やっぱり あの オバアサン が いきて いて やらん こと には、 ――あの オバアサン が しんで から まだ フタツキ にも ならん でなあ」 と たんじて みせる の だった。

 3

 ヨシダ は その ムスメ の ハナシ から イロイロ な こと を おもいだして いた。 ダイイチ に ヨシダ が きづく の は ヨシダ が その マチ から こちら の イナカ へ きて まだ ナン-カゲツ にも ならない のに、 その アイダ に うけとった その マチ の ヒト の ダレ か の しんだ と いう タヨリ の おおい こと だった。 ヨシダ の ハハ は ツキ に 1 ド か 2 ド そこ へ いって くる たび に かならず そんな ハナシ を もって かえった。 そして それ は たいてい ハイビョウ で しんだ ヒト の ハナシ なの だった。 そして その ハナシ を きいて いる と それら の ヒトタチ の ビョウキ に かかって しんで いった まで の キカン は ヒジョウ に みじかかった。 ある ガッコウ の センセイ の ムスメ は ハントシ ほど の アイダ に しんで しまって イマ は また その ムスコ が ねついて しまって いた。 トオリスジ の ケイト ザッカヤ の シュジン は コノアイダ まで ミセ へ すえた ケイト の オリキ で イチニチジュウ ケイト を おって いた が、 キュウ に しんで しまって、 カゾク が すぐ ミセ を たたんで クニ へ かえって しまった その アト は じき カフェー に なって しまった。――
 そして ヨシダ は ジブン は イマ は こんな イナカ に いて たまに そんな こと を きく から、 いかにも それ を ケンチョ に かんずる が、 ジブン が いた 2 ネン-カン と いう アイダ も やはり それ と おなじ よう に、 そんな ハナシ が じつに かずしれず おこって は きえて いた ん だ と いう こと を おもわざる を えない の だった。
 ヨシダ は 2 ネン ほど マエ ビョウキ が わるく なって トウキョウ の ガクセイ セイカツ の エンチョウ から その マチ へ かえって きた の で ある が、 ヨシダ に とって は それ は ほとんど はじめて の イシキ して セケン と いう もの を みる セイカツ だった。 しかし そう は いって も ヨシダ は、 いつも イエ の ナカ に ひっこんで いて、 そんな チシキ と いう もの は たいてい ウチ の モノ の クチ を つうじて ヨシダ に はいって くる の だった が、 ヨシダ は サッキ の アラモノヤ の ムスメ の メダカ の よう に ジブン に すすめられた ハイビョウ の クスリ と いう もの を つうじて みて も、 そういう セケン が この ビョウキ と たたかって いる タタカイ の アンコクサ を しる こと が できる の だった。
 サイショ それ は まだ ヨシダ が ガクセイ だった コロ、 この イエ へ キュウカ に かえって きた とき の こと だった。 かえって きて そうそう ヨシダ は ジブン の ハハオヤ から ニンゲン の ノウミソ の クロヤキ を のんで みない か と いわれて ヒジョウ に いや な キモチ に なった こと が あった。 ヨシダ は ハハオヤ が それ を おずおず でも ない イッシュ ヘン な クチョウ で いいだした とき、 いったい それ が ホンキ なの か どう なの か、 ナンド も ハハオヤ の カオ を みかえす ほど ミョウ な キモチ に なった。 それ は ヨシダ が ジブン の ハハオヤ が これまで めった に そんな こと を いう ニンゲン では なかった こと を しんじて いた から で、 その ハハオヤ が イマ そんな こと を いいだして いる か と おもう と なんとなく ミョウ な たよりない よう な キモチ に なって くる の だった。 そして ハハオヤ が それ を すすめた ニンゲン から すでに すこし ばかり それ を もらって もって いる の だ と いう こと を きかされた とき ヨシダ は まったく いや な キモチ に なって しまった。
 ハハオヤ の ハナシ に よる と それ は アオモノ を うり に くる オンナ が あって、 その オンナ と いろいろ ハナシ を して いる うち に その ハイビョウ の トッコウヤク の ハナシ を その オンナ が はじめた と いう の だった。 その オンナ には ハイビョウ の オトウト が あって それ が しんで しまった。 そして それ を ムラ の ヤキバ で やいた とき、 テラ の オショウ さん が ついて いて、
「ニンゲン の ノウミソ の クロヤキ は この ビョウキ の クスリ だ から、 アナタ も ヒトダスケ だ から この クロヤキ を もって いて、 もし この ビョウキ で わるい ヒト に あったら わけて あげなさい」
 そう いって ジブン で それ を とりだして くれた と いう の で あった。 ヨシダ は その ハナシ の ナカ から、 もう なんの テアテ も できず に しんで しまった その オンナ の オトウト、 それ を ほうむろう と して ヤキバ に たって いる アネ、 そして オショウ と いって も なんだか たよりない オトコ が そんな こと を いって やけのこった ホネ を つついて いる ヤキバ の ジョウケイ を おもいうかべる こと が できる の だった が、 その オンナ が その コトバ を しんじて ホカ の モノ では ない ジブン の オトウト の ノウミソ の クロヤキ を いつまでも ミヂカ に もって いて、 そして それ を この ビョウキ で わるい ヒト に あえば くれて やろう と いう キモチ には、 なにかしら たえがたい もの を ヨシダ は かんじない では いられない の だった。 そして そんな もの を もらって しまって、 たいてい ジブン が のまない の は わかって いる のに、 その アト を いったい どう する つもり なん だ と、 ヨシダ は ハハオヤ の した こと が トリカエシ の つかない いや な こと に おもわれる の だった が、 ソバ に きいて いた ヨシダ の スエ の オトウト も、
「オカアサン、 もう コンド から そんな こと いう のん いや でっせ」
 と いった ので なんだか ジケン が コッケイ に なって きて、 それ は ソノママ に ケリ が ついて しまった の だった。
 この マチ へ かえって きて しばらく して から ヨシダ は また クビククリ の ナワ を 「まあ バカ な こと や と おもうて」 のんで みない か と いわれた。 それ を すすめた ニンゲン は ヤマト で ヌシヤ を して いる オトコ で その ナワ を どうして テ に いれた か と いう ハナシ を ヨシダ に して きかせた。
 それ は その マチ に ヒトリ の ヤモメ の ハイビョウ カンジャ が あって、 その オトコ は ビョウキ が おもった まま ほとんど テアテ を する ヒト も なく、 1 ケン の アバラヤ に すておかれて あった の で ある が、 とうとう サイキン に なって クビ を くくって しんで しまった。 すると そんな オトコ に でも いろんな シャッキン が あって、 しんだ と なる と いろんな サイケンシャ が やって きた の で ある が、 その オトコ に イエ を かして いた オオヤ が そんな ニンゲン を あつめて その バ で その オトコ の もって いた もの を キョウバイ に して アトシマツ を つける こと に なった。 ところが その シナモノ の ナカ で もっとも たかい ネ が でた の は その オトコ が クビ を くくった ナワ で、 それ が 1 スン 2 スン と いう ふう に して カイテ が ついて、 オオヤ は その カネ で その オトコ の カンタン な ソウシキ を して やった ばかり で なく ジブン の ところ の とどこおって いた ヤチン も みな とって しまった と いう ハナシ で あった。
 ヨシダ は そんな ハナシ を きく に つけて も、 そういう メイシン を しんじる ニンゲン の ムチ に バカバカシサ を かんじない わけ に ゆかなかった けれども、 かんがえて みれば ニンゲン の ムチ と いう の は みな テイド の サ で、 そう おもって バカバカシサ の カンジ を とりのぞいて しまえば、 アト に のこる の は それら の ニンゲン の かんじて いる ハイビョウ に たいする シュダン の ゼツボウ と、 ビョウニン たち の なんと して でも ジブン の よく なりつつ ある と いう アンジ を えたい と いう フタツ の コトガラ なの で あった。
 また ヨシダ は その マエ の トシ ハハオヤ が おもい ビョウキ に かかって ニュウイン した とき イッショ に その ビョウイン へ ついて いって いた こと が あった。 その とき ヨシダ が その ビョウシャ の ショクドウ で、 なにごころなく ショクジ した アト ぼんやり と マド に うつる フウケイ を ながめて いる と、 いきなり その メノマエ へ カオ を ちかづけて、 ヒジョウ に おしころした ちからづよい コエ で、
「シンゾウ へ きました か?」
 と ミミウチ を した オンナ が あった。 はっと して ヨシダ が その オンナ の カオ を みる と、 それ は その ビョウシャ の カンジャ の ツキソイ に やとわれて いる ツキソイフ の ヒトリ で、 もちろん そんな ツキソイフ の カオブレ にも マイニチ の よう に ヘンカ は あった が、 その オンナ は その コロ ロアクテキ な ジョウダン を いって は ショクドウ へ あつまって くる ホカ の ツキソイフ たち を ぎゅうじって いた チュウバアサン なの だった。
 ヨシダ は そう いわれて なんの こと か わからず に しばらく アイテ の カオ を みて いた が、 すぐに 「ああ なるほど」 と キ の ついた こと が あった。 それ は ジブン が その ニワ の ほう を ながめはじめた マエ に、 ジブン が セキ を した と いう こと なの だった。 そして その オンナ は ジブン が セキ を して から ニワ の ほう を むいた の を カンチガイ して、 てっきり これ は 「シンゾウ へ きた」 と おもって しまった の だ と ヨシダ は さとる こと が できた。 そして セキ が フイ に シンゾウ の ドウキ を たかめる こと が ある の は ヨシダ も ジブン の ケイケン で しって いた。 それで ナットク の いった ヨシダ は はじめて そう では ない ムネ を ヘンジ する と、 その オンナ は その ヘンジ には イサイ かまわず に、
「その ビョウキ に きく ええ クスリ を おしえたげまひょ か」
 と、 また おびやかす よう に ちからづよい コエ で じっと ヨシダ の カオ を のぞきこんだ の だった。 ヨシダ は イチ にも ニ にも ジブン が 「その ビョウキ」 に みこまれて いる の が フユカイ では あった が、
「いったい どんな クスリ です?」
 と すなお に ききかえして みる こと に した。 すると その オンナ は また こんな こと を いって ヨシダ を ヘイコウ させて しまう の だった。
「それ は イマ ここ で おしえて も この ビョウイン では できまへん で」
 そして そんな ものものしい ダメ を おしながら その オンナ の はなした クスリ と いう の は、 スヤキ の ドビン へ ネズミ の コ を とって きて いれて それ を クロヤキ に した もの で、 それ を いくらか ずつ か ごく すくない ブンリョウ を のんで いる と、 「1 ピキ くわん うち に」 なおる と いう の で あった。 そして その 「1 ピキ くわん うち に」 と いう ヒョウゲン で また その バアサン は こわい カオ を して ヨシダ を にらんで みせる の だった。 ヨシダ は それ で すっかり その バアサン に ぎゅうじられて しまった の で ある が、 その オンナ の ジブン の セキ に ビンカン で あった こと や、 そんな クスリ の こと など を おもいあわせて みる と、 ヨシダ は その オンナ は ツキソイフ と いう ショウバイガラ では ある が、 きっと その オンナ の ちかい ニクシン に その ビョウキ の モノ を もって いた の に ちがいない と いう こと を ソウゾウ する こと が できる の で あった。 そして ヨシダ が ビョウイン へ きて イライ もっとも しみじみ した インショウ を うけて いた もの は この ツキソイフ と いう さびしい オンナ たち の ムレ の こと で あって、 それら の ヒトタチ は ミナ たんなる セイカツ の ヒツヨウ と いう だけ では なし に、 オット に しにわかれた とか トシ が よって ヤシナイテ が ない とか、 どこ か に そうした ジンセイ の フコウ を ラクイン されて いる ヒトタチ で ある こと を ヨシダ は カンサツ して いた の で ある が、 あるいは この オンナ も そうした ニクシン を その ビョウキ で、 なくする こと に よって、 イマ こんな に して ツキソイフ など を やって いる の では あるまい か と いう こと を、 ヨシダ は その とき ふと かんじた の だった。
 ヨシダ は ビョウキ の ため に たまに こうした キカイ に しか ちょくせつ セケン に ふれる こと が なかった の で ある が、 そして その ふれた セケン と いう の は ミナ ヨシダ が ハイビョウ カンジャ だ と いう こと を みやぶって ちかづいて きた セケン なの で ある が、 ビョウイン に いる ヒトツキ ほど の アイダ に また ベツ な こと に ぶつかった。
 それ は ある ヒ ヨシダ が ビョウイン の チカク の イチバ へ ビョウニン の カイモノ に でかけた とき の こと だった。 ヨシダ が その イチバ で ヨウジ を たして かえって くる と オウライ に ヒトリ の オンナ が たって いて、 その オンナ が まじまじ と ヨシダ の カオ を みながら ちかづいて きて、
「もしもし、 アナタ シツレイ です が……」
 と ヨシダ に よびかけた の だった。 ヨシダ は ナニゴト か と おもって、
「?」
 と その オンナ を みかえした の で ある が、 その とき ヨシダ の かんじて いた こと は たぶん この オンナ は ヒトチガイ でも して いる の だろう と いう こと で、 そういう オウライ の よく ある デキゴト が たいてい コウイテキ な インショウ で モノワカレ に なる よう に、 この とき も ヨシダ は どちら か と いえば コウイテキ な キモチ を ヨウイ しながら その オンナ の いう こと を まった の だった。
「ひょっと して アナタ は ハイ が おわるい の じゃ ありません か」
 いきなり そう いわれた とき には ヨシダ は すくなからず おどろいた。 しかし ヨシダ に とって べつに それ は めずらしい こと では なかった し、 ブシツケ な こと を きく ニンゲン も ある もの だ とは おもいながら も、 その オンナ の イッシン に ヨシダ の カオ を みつめる なんとなく チセイ を かいた カオツキ から、 その コトバ の ツギ に まだ ナニ か ジンセイ の ダイジケン でも とびだす の では ない か と いう キモチ も あって、
「ええ、 わるい こと は わるい です が、 ナニ か……」
 と いう と、 その オンナ は いきなり トメド も なく ツギ の よう な こと を いいだす の だった。 それ は その ビョウキ は イシャ や クスリ では ダメ な こと、 やはり シンシン を しなければ とうてい たすかる もの では ない こと、 そして ジブン も ツレアイ が あった が とうとう その ビョウキ で しんで しまって、 ソノゴ ジブン も おなじ よう に わるかった の で ある が シンシン を はじめて それ で とうとう たすかる こと が できた こと、 だから アナタ も ぜひ シンシン を して、 その ビョウキ を なおせ―― と いう こと を るる と して のべたてる の で あった。 その アイダ ヨシダ は しぜん その ハナシ より も ハナシ を する オンナ の カオ の ほう に ふかい チュウイ を むけない では いられなかった の で ある が、 その オンナ には そういう ヨシダ の カオ が ヒジョウ に ナンカイ に うつる の か サマザマ に ヨシダ の キ を はかって は しかも ヒジョウ に シツヨウ に その ハナシ を つづける の で あった。 そして ヨシダ は その ハナシ が ツギ の よう に かわって いった とき なるほど これ だな と おもった の で ある が、 その オンナ は ジブン が テンリキョウ の キョウカイ を もって いる と いう こと と、 そこ で いろんな ハナシ を したり キトウ を したり する から ぜひ やって きて くれ と いう こと を、 オビ の アイダ から メイシ とも いえない ショザイチ を ゴムバン で すった みすぼらしい カミキレ を とりだしながら、 ヨシダ に すすめはじめる の だった。 ちょうど その とき 1 ダイ の ジドウシャ が きかかって ぶーぶー と ケイテキ を ならした。 ヨシダ は はやく から それ に キ が ついて いて、 はやく この オンナ も この ハナシ を きりあげたら いい こと に と おもって ミチバタ へ よりかけた の で ある が、 オンナ は ジドウシャ の ケイテキ など は ぜんぜん チュウイ に はいらぬ らしく、 かえって ジブン に チュウイ の うすらいで きた ヨシダ の カオイロ に ヤッキ に なりながら その ハナシ を つづける ので、 ジドウシャ は とうとう オウライ で タチオウジョウ を しなければ ならなく なって しまった。 ヨシダ は その ハナシアイテ に つかまって いる の が ジブン なので テイサイ の ワルサ に トホウ に くれながら、 その オンナ を うながして ミチ の カタワキ へ よせた の で あった が、 オンナ は その アイダ も ホカ へ チュウイ を そらさず、 サッキ の 「キョウカイ へ ぜひ きて くれ」 と いう ハナシ を キュウ に また、 「ジブン は イマ から そこ へ かえる の だ から ぜひ イッショ に きて くれ」 と いう ハナシ に すすめかかって いた。 そして ヨシダ が ジブン に ヨウジ の ある こと を いって それ を ことわる と、 では ヨシダ の すんで いる マチ を どこ だ と きいて くる の だった。 ヨシダ は それ に たいして 「だいぶ ミナミ の ほう だ」 と アイマイ に いって、 それ を アイテ に おしえる イシ の ない こと を その オンナ に わからそう と した の で ある が、 すると その オンナ は すかさず 「ミナミ の ほう の どこ、 ×× マチ の ほう か それとも ○○ マチ の ほう か」 と いう ふう に ノッピキ の ならぬ よう に きいて くる ので、 ヨシダ は ジブン の ところ の チョウメイ、 それから その ナン-チョウメ と いう よう な こと まで、 だんだん に いって ゆかなければ ならなく なった。 ヨシダ は そんな オンナ に ちっとも ウソ を いう キモチ は なかった ので、 そこ まで ジブン の ジュウショ を うちあかして きた の だった が、
「ほ、 その 2 チョウメ の? ナン-バンチ?」
 と いよいよ その サイゴ まで おなじ チョウシ で ツイキュウ して きた の を きく と、 ヨシダ は にわか に ぐっと シャク に さわって しまった。 それ は ヨシダ が 「そこ まで いって しまって は また どんな うるさい こと に なる かも しれない」 と いう こと を キュウ に ジカク した の にも よる が、 それ と ドウジ に そこ まで ノッピキ の ならぬ よう に ツイキュウ して くる シツヨウ な オンナ の タイド が キュウ に おもくるしい アッパク を ヨシダ に かんじさせた から だった。 そして ヨシダ は うっかり かっと なって しまって、
「もう それ イジョウ は いわん」
 と きっと アイテ を にらんだ の だった。 オンナ は キュウ に アッケ に とられた カオ を して いた が、 ヨシダ が あわてて また イロ を おさめる の を みる と、 それでは ぜひ ちかぢか キョウカイ へ きて くれ と いって、 さっき ヨシダ が やって きた イチバ の ほう へ あるいて いった。 ヨシダ は、 とにかく オンナ の いう こと は みな きいた アト で おとなしく ことわって やろう と おもって いた ジブン が、 おもわず しらず サイゴ まで おいつめられて、 キュウ に あわてて かっと なった の に ジブン ながら ハンブン は オカシサ を かんじない では いられなかった が、 まだ ヒ の ヒカリ の あたらしい ゴゼン の オウライ で、 ジブン が いかにも ビョウニン-らしい わるい ガンボウ を して あるいて いる と いう こと を おもいしらされた アゲク、 あんな おもくるしい メ を した か と おもう と ハンブン は はらだたしく なりながら、 ビョウシツ へ かえる と そうそう、
「そんな に わるい カオイロ かなあ」
 と、 いきなり カガミ を とりだして カオ を みながら シンダイ の ウエ の ハハ に その テンマツ を うったえた の だった。 すると ヨシダ の ハハオヤ は、
「なんの オマエ ばっかり かいな」
 と いって ジブン も シエイ の コウセツ イチバ へ ゆく ミチ で ナンド も そんな メ に あった こと を はなした ので、 ヨシダ は やっと その ワケ が わかって きはじめた。 それ は そんな キョウカイ が シンジャ を つくる の に ヤッキ に なって いて、 マイアサ そんな オンナ が イチバ とか ビョウイン とか ヒト の たくさん よって ゆく バショ の チカク の ミチ で アミ を はって いて、 カオイロ の わるい よう な ジンブツ を ブッショク して は ヨシダ に やった の と おなじ よう な シュダン で なんとか して キョウカイ へ ひっぱって ゆこう と して いる の だ と いう こと だった。 ヨシダ は なあん だ と いう キ が した と ドウジ に ジブン ら の おもって いる より は はるか に ゲンジツテキ な そして イッショウ ケンメイ な ヨノナカ と いう もの を かんじた の だった。

 ヨシダ は ふだん よく おもいだす ある トウケイ の スウジ が あった。 それ は ハイケッカク で しんだ ニンゲン の ヒャクブンリツ で、 その トウケイ に よる と ハイケッカク で しんだ ニンゲン 100 ニン に ついて その ウチ の 90 ニン イジョウ は ゴクヒンシャ、 ジョウリュウ カイキュウ の ニンゲン は その ウチ の ヒトリ には まだ たりない と いう トウケイ で あった。 もちろん これ は たんに 「ハイケッカク に よって しんだ ニンゲン」 の トウケイ で ハイケッカク に たいする ゴクヒンシャ の シボウリツ や ジョウリュウ カイキュウ の モノ の シボウリツ と いう よう な もの を イミ して いない ので、 また ゴクヒンシャ と いったり ジョウリュウ カイキュウ と いったり して いる の も、 それ が どの くらい の テイド まで を さして いる の か は わからない の で ある が、 しかし それ は ヨシダ に ツギ の よう な こと を ソウゾウ せしめる には ジュウブン で あった。
 つまり それ は、 イマ ヒジョウ に オオク の ハイケッカク カンジャ が しにいそぎつつ ある。 そして その ナカ で ニンゲン の のぞみうる もっとも ゆきとどいた テアテ を うけて いる ニンゲン は 100 ニン に ヒトリ も ない くらい で、 その ウチ の 90 ナンニン か は ほとんど クスリ-らしい クスリ も のまず に しにいそいで いる と いう こと で あった。
 ヨシダ は これまで この トウケイ から は たんに そういう よう な こと を チュウショウ して、 それ を ジブン の ケイケン した そういう こと に あてはめて かんがえて いた の で ある が、 アラモノヤ の ムスメ の しんだ こと を かんがえ、 また ジブン の この ナン-シュウカン か の アイダ うけた クルシミ を かんがえる とき、 ばくぜん と また こういう こと を かんがえない では いられなかった。 それ は その トウケイ の ナカ の 90 ナンニン と いう ニンゲン を かんがえて みれば、 その ナカ には オンナ も あれば オトコ も あり コドモ も あれば トシヨリ も いる に ちがいない。 そして ジブン の フニョイ や ビョウキ の クルシミ に ちからづよく たえて ゆく こと の できる ニンゲン も あれば、 その いずれ にも たえる こと の できない ニンゲン も ずいぶん おおい に ちがいない。 しかし ビョウキ と いう もの は けっして ガッコウ の コウグン の よう に よわい それ に たえる こと の できない ニンゲン を その コウグン から ジョガイ して くれる もの では なく、 サイゴ の シ の ゴール へ ゆく まで は どんな ゴウケツ でも ヨワムシ でも ミンナ ドウレツ に ならばして イヤオウ なし に ひきずって ゆく―― と いう こと で あった。

ある オンナ (ゼンペン)

 ある オンナ  (ゼンペン)  アリシマ タケオ  1  シンバシ を わたる とき、 ハッシャ を しらせる 2 バンメ の ベル が、 キリ と まで は いえない 9 ガツ の アサ の、 けむった クウキ に つつまれて きこえて きた。 ヨウコ は ヘイキ で それ ...