2013/02/06

ソラチガワ の キシベ

 ソラチガワ の キシベ

 クニキダ ドッポ

 1

 ヨ が サッポロ に タイザイ した の は イツカ-カン で ある、 わずか に イツカ-カン では ある が、 ヨ は この アイダ に ホッカイドウ を あいする の ジョウ を イクバイ した の で ある。
 ワガクニ ホンド の ウチ でも チュウゴク の ごとき、 ジンコウ チュウミツ の チ に セイチョウ して ヤマ をも ノ をも ニンゲン の チカラ で たいらげつくしたる コウケイ を みなれたる ヨ に ありて は、 トウホク の ゲンヤ すら すでに わが シゼン に キエ したる の ジョウ を うごかしたる に、 ホッカイドウ を みる に およびて、 いかで ココロ おどらざらん、 サッポロ は ホッカイドウ の トウキョウ で ありながら、 マンモク の コウケイ は ほとんど ヨ を ましさった の で ある。
 サッポロ を シュッパツ して タンシン ソラチガワ の エンガン に むかった の は、 9 ガツ 25 ニチ の アサ で、 トウキョウ ならば なお ザンショ の コウ で ありながら、 ヨ が この とき の フクソウ は フユギ の ヨウフク なりし を おもわば、 この チ の アキ すでに おいて コガラシ の フユ の マヂカ に せまって いる こと が しれる で あろう。
 モクテキ は ソラチガワ の エンガン を チョウサ しつつ ある ドウチョウ の カンリ に あって トチ の センテイ を ソウダン する こと で ある。 しかるに ヨ は まったく チリ に くらい の で ある。 かつ ドウチョウ の カンリ は はたして エンガン いずれ の ヘン に たむろして いる か、 サッポロ の チジン ナンビト も しらない の で ある、 こころぼそく も ヨ は ソラチブト を さして キシャ に とうじた。
 イシカリ の ノ は クモ ひくく まよいて シャソウ より ながむれば ノ にも ヤマ にも おそろしき シゼン の チカラ あふれ、 ここ に アイ なく ジョウ なく、 みる と して こうりょう、 せきばく、 レイゲン に して かつ ソウダイ なる コウケイ は、 あたかも ニンゲン の ムリョク と ハカナサ と を あざわらう が ごとく に みえた。
 ソウハク なる カオ を ガイトウ の エリ に うずめて シャソウ の イチグウ に もくねん と ざして いる イチ セイネン を ドウシツ の ヒトビト は なんと みたろう。 ヒトビト の ハナシガラ は サクモツ で ある、 サンリン で ある、 トチ で ある、 この ムゲン の フゲン より いかに して オウゴン を つかみだす べき か で ある。 カレラ の ある モノ は ビンヅメ の サケ を かたむけて コウロン し、 ある モノ は タバコ を くゆらして ダンショウ して いる。 そして カレラ オオク は シャチュウ で はじめて あった の で ある。 そして イチ セイネン は カレラ の ナカマ に くわわらず ただ ヒトリ その コドク を まもって、 ヒトリ その クウソウ に しずんで いる の で ある。 カレ は いかに して シャカイ に すむ べき か と いう こと は ぜんぜん その シコウ の モンダイ と した こと が ない、 カレ は ただ いつも いつも いかに して この テンチカン に この セイ を たくす べき か と いう こと を のみ おもいなやんで いた。 であるから、 カレ には ドウシャ の ヒトビト を みる こと ほとんど タカイ の モノ を みる が ごとく、 カレ と ヒトビト の アイダ には こゆ べからざる シンコク の よこたわる こと を かんぜざる を えなかった ので、 いましも キシャ が おなじ レッシャ に ヒトビト および カレ を のせて イシカリ の ノ を つきすごして ゆく こと は、 ちょうど カレ の イッショウ の それ と おなじ よう に おもわれた の で ある。 ああ コドク よ! カレ は みずから もとめて シャカイ の ソト を あゆみながら も、 チュウシン じつに コドク の カン に たえなかった。
 もしそれ テン たかく すみて シュウセイ ぬぐう が ごとき ヒ で あった ならば、 ヨ が ウックツ も おおいに クツロギ を えたろう けれど、 クモ は ますます ひくく たれ ハヤシ は キリ に つつまれ、 どこ を みて も ヒカリ イッセン だも ない ので、 ヨ は ほとんど たゆ べからざる ユウシュウ に しずんだ の で ある。
 キシャ の ウタシナイ の タンザン に わかるる ナニガシ テイシャジョウ に つく や、 シャチュウ の タイハン は そこ で のりかえた ので、 のこる は ヨ の ホカ に フタリ ある のみ。 ゲンシ ジダイ ソノママ で イクセンネン ヒト の アシアト を とどめざる ダイシンリン を うがって レッシャ は イッチョクセン に はしる の で ある。 ハイイロ の キリ の イチダン また イチダン、 たちまち あらわれ たちまち きえ、 あるいは イノチ ある もの の ごとく もくもく と して フドウ して いる。
「どちら まで オイデ です か」 と とつぜん ヒトリ の オトコ が ヨ に コエ を かけた。 ネンパイ 40 イクツ、 コッカク の たくましい、 トウハツ の のびた、 シカク な カオ、 するどい メ、 ダイ なる ハナ、 イッケン ヒトクセ ある べき ジンブツ で、 その フウゾク は カンリ に あらず ショクニン に あらず、 ヒャクショウ に あらず、 ショウニン に あらず、 じつに ホッカイドウ に して はじめて みる べき シュルイ の モノ らしい、 すなわち いずれ の ミカイチ にも かならず まず もっとも バッコ する ヤマシ らしい。
「ソラチブト まで ゆく つもり です」
「ドウチョウ の ゴヨウ で?」 カレ は ヨ を ホッカイドウ チョウ の コヤクニン と みた の で ある。
「いや ボク は トチ を センテイ に でかける の です」
「ははあ。 ソラチブト は どこら を ゴセンテイ か しらん が、 もう めぼしい ところ は ない よう です よ」
「どう でしょう、 ソラチブト から ソラチガワ の エンガン に でられる でしょう か」
「それ は でられましょう とも、 しかし ソラチガワ の エンガン の どこら です か、 それ が ハンゼン しない と……」
「ワカヤマ ケン の イミン ダンタイ が いる ところ で、 ドウチョウ の カンリ が フタリ シュッチョウ して いる、 そこ へ ゆく の です がね、 ともかくも ソラチブト まで いって きいて みる つもり で いる の です」
「そう です か、 それでは ソラチブト に おいで に なったら ミウラヤ と いう ヤドヤ へ あがって ごらんなさい、 そこ の アルジ が そういう こと に あかるう ございます から きいて ゴラン なったら よう がす、 どうも まだ ドウロ が ひらけない ので、 ちょっと そこ まで の ところ でも たいへん オオマワリ を しなければ ならん よう な こと が あって なれない モノ には こまる こと が おおう がす て」
 それ より カレ は、 カイコン の コンナン な こと や、 トチ に よって コンナン の ヒジョウ に ソウイ する こと や、 コウツウ フベン の ため に せっかく の シュウカク も ヨウイ に シジョウ に もちだす こと が できぬ こと や、 コサクニン を つかう ホウホウ など に ついて いろいろ と はなしだした。 それら の こと は ヨ も サッポロ の ショユウ から きいて は いた が、 カレ の かたる が まま に うけて ただ その コウイ を しゃする のみ で あった。
 まもなく キシャ は しょうじょう たる イチ エキ に ついて ウンテン を とめた ので ヨ も おりる と、 この レッシャ より でた キャク は ソウタイ で 20 ニン ぐらい に すぎざる を みた、 キシャ は ここ より ひっかえす の で ある。
 ただ みる この イチ ショウエキ は シンリン に かこまれて いる イチ の コトウ で ある。 テイシャジョウ に フゾク する ところ の 2~3 の カオク の ホカ ニンゲン に エン ある もの は なにも ない。 ながく ひびいた キテキ が シンリン に ハンキョウ して みゃくみゃく と して とおく きえうせた とき、 せきぜん と して いう べからざる シズケサ に この コトウ は かえった。
 3 リョウ の ノリアイ バシャ が まって いる。 ヒトビト は もくもく と して これ に のりうつった。 ヨ も サキ の ドウシャ の オトコ と ともに その ヒトツ に のった。
 ホッカイドウウマ の ロバ に ひとしき が 2 トウ、 たくましき ワカモノ が ヒトリ、 6 ニン の キャク を のせて いずく へ とも なく はしりはじめた。 ヨ は 「いずく へ とも なく」 と いう の ココロモチ が した の で ある。 じつに わが ユクサキ は いずく で、 みずから とうて みずから こたえる こと が できなかった の で ある。
 3 リョウ の バシャ は あいへだつる 1 チョウ ばかり、 ヨ の バシャ は シンガリ に いた ので、 マエ に すすむ バシャ の イッコウ イッテイ、 デコボコ おおき ミチ を はしって ゆく サマ が よく みえる。 キリ は ハヤシ を かすめて とび、 ミチ を よこぎって また ハヤシ に いり、 シンク に そまった コノハ は エダ を はなれて 2 ヘン 3 ペン バシャ を おうて まう。 ギョシャ は イチベン つよく くわえて、
「もう おりる ぞ!」 と さけんだ。
「ミウラヤ の マエ で とめて おくれ!」 と サキ の オトコ は さけんで ヨ を かえりみた。 ヨ は モクレイ して その コウイ を しゃした。 シャチュウ ナンビト も イチゴ を はっしない で、 ミナ クッタク な カオ を して モノオモイ に しずんで いる。 ギョシャ は いま イチド つよく ムチ を くわえて ラッパ を ふきたてた ので、 カラダ は ショウ なれど も ゴウリョク なる ホッカイ の ケンジ は オオカケ に かけだした。
 ハヤシ が やや ひらけて ショクミン の コヤ が 1 ケン 2 ケン と あらわれて きた か と おもう と、 とつぜん ヘイヤ に でた。 はばひろき ドウロ の リョウガワ に ショウカ らしき が とびとび に ならんで いる サマ は、 シンカイチ の シガイ たる を あざむかない。 バシャ は ラッパ の ネ いさましく この アイダ を かけた。

 2

 ミウラヤ に つく や さっそく シュジン を よんで、 ソラチガワ の エンガン に ゆく べき ホウホウ を とい、 くわしく モクテキ を はなして みた。 ところが シュジン は むしろ ひきかえして ウタシナイ に まわり、 ウタシナイ より ヤマゴエ した ほう が ベンリ だろう と いう。
「ツギ の キシャ なら ヒノクレ まで には ウタシナイ に つきます から コンヤ は ウタシナイ で イッパク なされて、 アス よく おききあわせ に なって その うえ で おでかけ に なった が よう がす。 ウタシナイ なら ここ とは ちがって ドウチョウ の カタ も います から、 その イダ さん とか いう カタ の イマ いる ところ も たぶん わかる でしょう」
 こう いわれて みる と なるほど そう で ある。 されども ヨ は ソラチガワ の キシ に そうて すすまば、 ヨ が あわん と する ドウチョウ の カンリ イダ-ボウ の イドコロ を しる に もっとも ベン ならん と しんじて、 ソラチブト まで きた の で ある。 しかるに ソラチブト より ソラチガワ の キシ を つたう こと は アンナイシャ なくて は できぬ との こと、 しかも その ミチ らしき ミチ の ひらけいる には あらず との こと を、 ミウラヤ の シュジン より はじめて きいた の で ある。 そこで ヨ は シュジン の チュウイ に したがい、 ウタシナイ に まわる こと に きめて、 ツギ の キシャ まで 2 ジカン イジョウ を、 ミウラヤ の 2 カイ で ヒトリ ぽつねん と まつ こと と なった。
 みわたせば マエ は ヒラノ で ある。 きりのこされた タイボク が かしこここ に つったって いる。 カゼアタリ の つよき ゆえ か、 いずれ も マルハダカ に なって、 キイロ に そまった ハ の わずか ばかり が エダ に しがみついて いる ばかり、 それ すら みて いる うち に ばらばら と ちって いる。 カゼ の くわわる と ともに アメ が ふって きた。 オチカタ は アマグモ に とざされて よく も みえわかず、 マヂカ に たって いる カシワ の タカサ 3 ジョウ ばかり なる が、 その ふとい ハ を アメ に うたれ カゼ に ゆられて、 けうとき ネ を たてて いる。 ミチ を とおる モノ は ヒトリ も ない。
 かかる とき、 かかる バショ に、 ヒトリ の チジン なく、 ヒトリ の ハナシアイテ なく、 ハタゴヤ の マド に よって ふりしきる アキ の アメ を ながめる こと は けっして たのしい もの で ない。 ヨ は はしなく トウキョウ の フボ や オトウト や したしき トモ を おもいおこして、 いまさら の ごとく、 キョウ まで ワレ を かこみし ニンジョウ の いかに あたたか で あった か を かんじた の で ある。
 ダンシ ココロザシ を たて リソウ を おうて、 いまや シンリン の ナカ に ジユウ の テンチ を もとめん と ねがう とき、 けっして めめしくて は ならぬ と ワレ と わが ココロ を ひきたてる よう に した が、 ようするに リソウ は ひややか に して ニンジョウ は あたたかく、 シゼン は レイゲン に して したしみがたく、 ジンカン は なつかしく して ス を つくる に てきして いる。
 ヨ は もんもん と して 2 ジカン を すごした。 その うち には アメ は コヤミ に なった と おもう と、 ラッパ の ネ が トオク に ひびく。 クビ を だして みる と ナナメ に イト の ごとく ふる アメ を ついて 1 リョウ の バシャ が はせて くる。 ヨ は この バシャ に のりこんで ふたたび サキ の テイシャジョウ へ と、 ミウラヤ を たった。
 キシャ の ジョウキャク は かぞうる ばかり。 ヨ の はいった シツ は ヨ ヒトリ で あった。 ヒト ヒトリ いる は このましき こと に あらず、 ヨ は タ の シツ に のりかえん か とも おもった が、 おもいとまって アメ と キリ との ため に うすくらく なって いる シツ の カタスミ に ミ を よせて、 クレ ちかく なった ソラ の クモ の ユキキ や ワ を なして カイテン しさる ハヤシ の タチキ を ぼうぜん と ながめて いた。 かかる とき、 ヒト は おうおう ムネン ムソウ の ウチ に いる もの で ある。 リガイ の ネン も なければ コシカタ ユクスエ の オモイ も なく、 オンアイ の ジョウ も なく ゾウオ の ナヤミ も なく、 シツボウ も なく キボウ も なく、 ただ くうぜん と して メ を ひらき ミミ を ひらいて いる。 タビ を して シンシン ともに つかれはてて なお その ミ は シャジョウ に ゆられ、 エン も ユカリ も ない チホウ を ゆく とき は、 おうおう に して かく の ごとき シンキョウ に おちいる もの で ある。 かかる とき、 はからず メ に いった コウケイ は ふかく ノウテイ に えりこまれて タネン これ を わすれない もの で ある。 ヨ が いましも シャソウ より ながむる ところ の クモ の ユキキ や、 カバ の ハヤシ や ちょうど それ で あった。
 キシャ の ウタシナイ の ケイコク に ついた とき は、 アメ まったく やみて ヒ は まさに くれん と する とき で、 ヨ は やどる べき イエ の アテ も なく テイシャジョウ を でる と、 さすが に イクセン の コウフ を やしない、 イクヒャク の ジンカ の せまき タニ に ゾクシュウ して いる バショ だけ ありて、 ヤドヒキ なる モノ が 2~3 ニン まちうけて いた。 その ヒトリ に みちびかれ イシ おおく トモシビ くらき マチ を あゆみて 2 カイ-ダテ の ハタゴヤ に いり、 サイジョ の イナカナマリ を そのまま、 アイキョウ も ココロ から らしく むかえられた とき は、 ヨ も おもわず ビショウ した の で ある。
 ヤショク を すます と、 よばず して シュジン は ヨ の ヘヤ に きて くれた ので、 ただちに モクテキ を かたり カレ より できる だけ の ホウベン を もとめた。 シュジン は ヨ の かたる ところ を にこついて きいて いた が、
「ちょっと おまち ください、 すこし ココロアタリ が あります から」 と いいすてて ヘヤ を さった。 しばらく して たちかえり、
「だから エン と いう は キタイ な もの です。 アナタ もう ゴアンシン なさい、 すっかり わかりました」 と ワガミ の こと の ごとく よろこんで ザ に ついた。
「わかりました か」
「わかりました とも、 オオワカリ。 ヨッカ マエ から ワタシ の イエ に オトマリ の オキャクサマ が あります。 この カタ は ゴリョウチ の カカリ の カタ で センダッテ から サンリン を ミワケ して おまわり に なった の です が、 そら、 ノジュク の ほう が おお がしょう、 だから とうとう カラダ を こわして イマ テマエドモ で ホヨウ して いらっしゃる の です。 シノハラ さん と いう カタ です がね。 なんでも タク へ みえる マエ の ヒ は ソラチガワ の ほう に いらっしゃった と いう こと ききました から、 もしや と おもって ただいま うかがって みました ところ が、 わりました。 うん ドウチョウ の シュッチョウイン なら ヤマ を こす と すぐ シタ の コヤ に いた と おっしゃる の です。 ゴアンシン なさい、 ここ から 1 リ ぐらい な もの で ワケ は ありません、 アサ ゆけば オヒルマエ には かえって こられます さ」
「どうも いろいろ ありがとう、 それ で アンシン しました。 しかし イマ も その コヤ に いて くれれば いい が。 しじゅう イドコロ が かわる ので それで ドウチョウ でも しれなかった の だ から」
「だいじょうぶ います よ、 もし かわって いたら せんに いた コヤ の モノ に きけば よう がす、 トオク に うつる わけ は ありません」
「ともかくも アス アサ はやく でかけます から アンナイ を ヒトリ たのんで くれません か」
「そう です な、 ヤマミチ で エダ が おおい から やはり アンナイ が いる でしょう、 タク の セガレ を つれて いらっしゃい。 14 の コゾウ です が、 ソラチブト まで なら ぞんじて います。 アンナイ ぐらい できましょう よ」
と あくまで シンセツ に いって くれる ので、 ヨ は じつに しゃする ところ を しらなかった。 なるほど エン は キタイ な もの で ある、 ヨ に して もし タ の ヤドヤ に とまった なら けっして これほど の ベンギ と シンセツ とは うる こと が できなかったろう。
 シュジン は どこまでも カイカツ な オトコ で、 ホウタン で、 しかも ガンチュウ ヒト なき の ヨウス が ある。 カレ の シンセツ、 ミズシラズ の ヨ に まで オシゲ も なく なげだす シンセツ は、 カレ の ジンブツ の シゼン で ある らしい。 セカイ を ウチ と なし いたる ところ に その コキョウ を みいだす ほど の ヒト は、 いたる ところ の ヤマカワ、 せっする ところ の ヒト が すなわち ホウユウ で ある。 であるから ヒト の コンヤク を みれば、 その ヒト が ナンビト で あろう と、 ニクアシ する の イワレ さえ なくば、 すなわち ドウジョウ を ひょうする 10 ネン の コウユウ と イッパン なの で ある。 ヨ は シュジン の クチ より その リャクデン を きく に およんで カレ の ジンブツ の ヨ の スイソク に ちかき を しった。
 カレ は その ウマレコキョウ に おいて ソウトウ の ザイサン を もって いた ところ が、 カレ の オトウト フタリ は カレ の ソウゾク したる ザイサン を うらやむ こと はなはだしく、 ついには コツニク の アラソイ まで おこる ほど に およんだ。 しかるに カレ の チチ なる 70 の ロウオウ も また ショウテイ フタリ を あいして、 ややもすれば アニ に せまって その ザイサン を ブンパイ せしめよう と する。 もし これ 3 トウブン すれば、 3 ニン とも イッカ を たつる こと が できない の で ある。
「だから ワタシ は かんがえた の です、 コレッバカシ の もの を キョウダイ して あらそう なんて あまり リョウケン が ちいさい。 よろしい オマエタチ に やって しまおう。 ただ 5 ブン の 1 だけ くれろ、 ワシ は それ を もって ホッカイドウ に とぶ から って。 そこで コゾウ が ココノツ の とき でした、 オヤコ 3 ニン で ぽいと こっち へ やって きた の です。 いや ニンゲン と いう もの は どこ に でも すまば すまれる もの です よ。 はっはっはっ」 と わらって、
「ところが ミョウ でしょう、 オトウト の ヤツラ、 イマ では ワタシ が わけて やった もの を たいがい なくして しまって、 それでいて やはり ちっぽけ な ムラ を コノウエ も ない トチ の よう に おもって、 ワタシ が ナンド も ホッカイドウ へ きて みろ と テガミ で すすめて も でて きえない ん でさ」
 ヨ は この オトコ の なす ところ を み、 その かたる ところ を きいて、 おおいに うる ところ が あった の で ある。 よしや この イチ ショウリョテン の シュジン は、 ヨ が おもう ところ の ジンブツ と ドウイツ で ない に せよ、 よしや ヨ が おもう ところ の ジンブツ は、 この シュジン より おして さらに ヨ ジシン の クウソウ を くわえて もって カセイ したる モノ に せよ、 カレ は よく ジユウ に、 よく ドクリツ に、 シャカイ に すんで シャカイ に あっせられず、 ムキュウ の テンチ に カイリツ して やすんずる ところ あり、 ウミ をも ヤマ をも ゲンヤ をも はた シガイ をも、 ワガモノガオ に オウコウ カッポ して すこしも クッタク せず、 テンガイ チカク いたる ところ に ハナ の かんばしき を かぎ ニンジョウ の あたたかき に すむ、 げに オトコ は すべからく かく の ごとく して オトコ と いう べき では あるまい か。
 かく かんずる と ともに ヨ の ムネ は おおいに ひらけて、 サッポロ を いでて より ウタシナイ に つく まで、 クモ と ともに むすぼれ、 アメ と ともに しおれて いた ココロ は はしなくも テン の イッポウ シンペキ に して きわまりなき を のぞんだ よう な キ が して きた。
 ヨ の 10 ジ-ゴロ サンポ に でて みる と、 クモ の ナガレ キュウ に して タエマ タエマ には ホシ が みえる。 くらい マチ を たどって ジンカ を はなれる と、 タニ を へだてて ビョウブ の ごとく くろく ゼンメン に よこたわる ソマヤマ の ウエ に ツキ あらわれ、 ヤマ を かすめて とぶ フウン は おりおり その ゼンメン を ぬぐうて いる。 クウキ は おもく しめり、 ソラ には カゼ あれど も チ は しゅくぜん と して コエ なく、 ただ ケイリュウ の オト の かすか に きこゆる ばかり。 ヨ は イッポウ は ヤマ、 イッポウ は ガケ の ツマサキアガリ の ミチ を すすみて こだかき ヒロバ に でた か と おもう と、 とつぜん ミミ に いった もの は ゲンカ の サワギ で ある。
 みれば ヤマ に そうて ナガヤダチ の ヒトムネ あり、 これ に たいして また ヒトムネ あり。 ゲンカ は この ナガヤ より おこる の で あった。 ヒトムネ は イクコ か に わかれ、 ココ みな ショウジ を とざし、 その ショウジ には ホカゲ はなやか に うつり、 サンゲン の みだれて くるう チョウシ、 ホウカ の げきして さけぶ コエ、 わらう コエ は ざつぜん と して おこって いる の で ある。 ウシベヤ に ひとしき この ナガヤ は なんぞ しらん コウフ ども が シンザン ユウコク の イチグウ に もとめえし カンラクキョウ ならん とは。
 ながれて ユウジョ と なり、 ながれて コウフ と なり、 かう モノ も うる モノ も、 ワガヨ ユメ ぞ と キョウカ ランブ する の で ある。 ヨ は すすんで この ナガヤ コウジ に はいった。
 アメアガリ の ミチ は ぬかるみ、 ミズタマリ には ホカゲ うつる。 イエ は はなれて みし より も さらに あわれ な タテザマ にて、 シンカイチ だけ に ただ ノキサキ ショウジ など の シラキ の ヨメ にも なまなましく みゆる ばかり、 ユカ ひくく ヤネ ひくく、 たてし ショウジ は チ より ただちに ノキ に いたる か と おもわれ、 すでに ゆがみて スキマ より は ツリ-ランプ の カサ など みゆ。 ハダヌギ の アラクレ オトコ の カゲ オニ の ごとく うつれる あり、 ランパツ の シャクフ の アタマ の ヤシャ の ごとく うつる か と おもえば、 ユカ も おつる と おもわるる オト が して、 どっと ばかり ショウセイ の おこる イエ も あり。 「のめ よ」、 「うたえ よ」、 「ころす ぞ」、 「なぐる ぞ」、 コウショウ、 ゲキゴ、 アクバ、 カンコ、 シッタ、 ツヤ ある コブシ の ウタ の モンク の ハラワタ を たつ ばかり なる、 サンゲン の チョウシ の むせぶ が ごとき、 たちまち に して ボウフウ、 たちまち に して シュンウ、 みきたれば、 カンラク の ウチ に サッキ を こめ、 サッキ の ウチ に ケツルイ を ふくむ。 なく は わらう の か、 わらう の は なく の か、 イカリ は ウタ か、 ウタ は イカリ か、 ああ はかなき ジンセイ の ナガレ よ! スウネン-ゼン まで は クマ ねむり オオカミ すみし この タニマ に ながれおちて、 ここ に よどみ、 ここ に げきし、 ここ に しずみ、 ツキカゲ ひややか に これ を てらして いる。
 ヨ は とおりすぎて ふりかえり、 しばし たたずんで いる と、 とつぜん マヂカ なる 1 ケン の ショウジ が あいて ヒトリ の オトコ が つと あらわれた。
「や、 ツキ が でた!」 と ふりあげた カオ を みれば トシゴロ 26~27、 セ たかく カタ ひろく クッキョウ の ワカモノ で ある。 きょろきょろ アタリ を みまわして いた が ほっと シュキ を はき、 シタウチ して ふたたび ウチ に よろめきこんだ。

 3

 ヤド の コ の まめまめしき が サキ に たちて、 あくれば 9 ガツ 26 ニチ アサ の 9 ジ、 いよいよ ソラチガワ の キシ へ と シュッパツ した。
 インセイ さだめなき テンキ、 うすき ヒカゲ もるる か と おもえば たちまち ミネ より ハヤシ より キリ おこりて ミネ をも ハヤシ をも ミチ をも つつんで しまう。 ヤマジ は おもいし より ラク にて、 ヨ は ヤド の コ と サマザマ の モノガタリ しつつ ミ も ココロ も かろく あゆんだ。
 ハヤシ は まったく きばみ、 ツタモミジ は シンク に そまり、 キリ おこる とき は カスミ を へだてて ハナ を みる が ごとく、 ニッコウ チョクシャ する とき は ツユ を おびたる ハ ごと に イクセンマン の シンジュ ヘキギョク を つらねて ゼンザン もゆる か と おもわれた。 ヤド の コ は ソラチガワ エンガン に おける クマ の ハナシ を なし、 つづいて カレ が コドモゴコロ に ききあつめたる クマ モノガタリ の イクシュ か を ネッシン に かたった。 サカ を おりて クマザサ の しげれる ところ に くる と カレ は ちょっと たちどまり、
「きこえる だろう、 カワ の オト が」 と ミミ を かたむけた。 「そら…… きこえる だろう、 あれ が ソラチガワ、 もう すぐ そこ だ」
「みえそう な もの だな」
「どうして みえる もの か、 モリ の ナカ に ながれて いる の だ」
 フタリ は、 アタマ を ぼっする クマザサ の アイダ を わずか に かよう オビ ほど の ミチ を しばらく ゆく と、 ヒトリ の ロウジン の ヒャクショウ らしき に であった ので、 ヨ は ドウチョウ の シュッチョウイン が いる コヤ を たずねた。
「この ミチ を 3 チョウ ばかり ゆく と ハバ の ひろい シンカイ の ドウロ に でる、 その ミギガワ の サイショ の コヤ に いなさる だ」 と いいすてて ロウジン は いって しまった。
 ウタシナイ を たって から ここ まで の アイダ に ヒト に であった の は この ロウジン ばかり で、 トチュウ また コヤ らしき もの を みなかった の で ある。 ヨ は この ロウジン を みて ソラチガワ の エンガン の すでに いくらか の カイコンシャ の いりこんで いる こと を ジジツ の ウエ に しった。
 クマザサ の コミチ を とおりぬける と、 はたして おもいがけない ダイドウ が シンリン を うがって イッチョクセン に つくられて ある。 その ハバ は 5 ケン イジョウ も あろう か。 しかも リョウガワ に ミツモ して いる ハヤシ は、 2 ジョウ を こえ 3 ジョウ に たっする タイボク が おおい ので、 この はばひろき ダイドウ も、 ホリワリ を つうずる テツドウ センロ の よう で あった。 しかし ヨ は この ドウロ を みて タクショク に ネッシン なる ドウチョウ の ケイエイ の、 いかに コンナン おおき か を しった の で ある。
 みれば この ドウロ の サイショ の ミギガワ に、 ナイチ では みる こと の できない イヨウ なる ホッタテゴヤ が ある。 コヤ の サユウ および ウシロ は ハヤシ を たおして、 2~3 ダンブ の ヒラチ が ひらかれて いる。 ヨ は シュビ よく この コヤ で ドウチョウ の ゾッカン、 イダ-ボウ および タ の ヒトリ に あう こと が できた。
 ショクミン カチョウ の テイネイ なる ショウカイ は、 カレラ を して ジュウブン に シンセツ に ヨ が ソウダン アイテ と ならしめた の で ある。 さらに おどろく べき は、 カレラ が ヨ の ナ を きいて、 はやく すでに ヨ を しって いた こと で、 ヨ の ブザツ なる ブンショウ も、 いつしか ホッカイドウ の おもい も かけぬ チ に その ドクシャ を えて いた こと で あった。
 フタリ は ヨ の モクテキ を ききおわりて ノチ、 ソラチガワ エンガン の チズ を ひらき その ケイケン おおき カンシキ を もって、 かしこここ と、 イミンシャ の ため に クカク せる 1 ク 1 マン 5000 ツボ の チ の ウチ から 6 カショ ほど センテイ して くれた。
 ジム は おわり ザツダン に うつった。
 コヤ は 3 ゲン に 4 ケン を いでず、 ヤネ も マワリ の カベ も タイボク の カワ を はばひろく はぎて くみあわした もの で、 イタ を もちいし は ユカ のみ。 ユカ には ムシロ を しき、 デイリ の クチ は これ また ジュヒ を くみて ト と なしたる が 1 マイ おおわれて ある ばかり、 これ カイコンシャ の ス なり、 イエ なり、 いな ジョウカク なり。 イチグウ に チョウホウケイ の おおきな ロ が きって、 これ を ヒバチ に カマド に、 タバコボン に、 フユ ならば ダンロ に シヨウ する の で ある。
「フユ に なったら たまらん でしょう ね、 こんな コヤ に いて は」
「だって カイコンシャ は ミンナ こんな コヤ に すんで いる の です よ。 どう です シンボウ が できます か」 と イダ は わらいながら いった。
「カクゴ は して います が、 いざ と なったら ずいぶん こまる でしょう」
「しかし おもった ほど でも ない もの です。 もし フユ に なって どうしても シンボウ が できそう も なかったら、 アナタガタ の こと だ から サッポロ へ にげて くれば いい です よ。 どうせ フユゴモリ は どこ で して も おなじ こと だ から」
「はっはっはっ はっはっはっ、 それなら ハジメ から コサクニン マカセ に して ゴジブン は サッポロ に いる ほう が よかろう」 と タ の ゾッカン が いった。
「そう です とも、 そう です とも、 フユ に なって サッポロ に にげて いく ほど なら、 いっそ ハジメ から トウキョウ に いて カイコン した ほう が いい ん です。 なに ボク は シンボウ します よ」 と ヨ は カクゴ を みせた。 イダ は、
「そう です な、 まず ユキ でも ふって きたら、 この ロ に どんどん タキビ を する ん です な、 タキギ なら オテノモノ だ から。 それで アナタガタ だ から うんと ショモツ を しこんで おいて ベンキョウ なさる ん です な」
「ユキ が とける ジブン には ダイガクシャ に なって あらわれる と いう シュコウ です か」 と ヨ は おもわず わらった。
 はなして いる と、 とつぜん ぱらぱら と オト が して きた ので ヨ は ソト に でて みる と、 ヒ は うすく ひかり、 クモ は しずか に ながれ、 せき たる シンリン を こえて シグレ が すぎゆく の で あった。
 ヨ は ヤド の コ を のこして、 ヒトリ この アタリ を サンポ す べく コヤ を でた。
 げに あやしき ドウロ よ。 これ センネン の シンリン を めっし、 ジンリョク を もって シゼン に うちかたん が ため に、 ことさら に ブジン の サカイ を えらんで つくられた の で ある。 みわたす かぎり、 リョウガワ の シンリン これ を おおう のみ にて、 イッコ の ジンエイ すら なく、 イチル の ケイエン すら おこらず、 イチ の ジンゴ すら きこえず、 せきせき りょうりょう と して よこたわって いる。
 ヨ は シグレ の オト の サビシサ を しって いる、 しかし いまだかつて、 ゲンシ の ダイシンリン を しのびやか に すぎゆく シグレ ほど サビシサ を かんじた こと は ない。 これ じつに シゼン の ユウジャク なる ササヤキ で ある。 シンリン の ソコ に いて、 この ネ を きく モノ、 ナンピト か セイブツ を レイショウ する シゼン の ムゲン の イリョク を かんぜざらん。 ドトウ、 ボウフウ、 シツライ、 センデン は シゼン の キョカツ で ある。 かの イリョク の もっとも ヒト に せまる の は、 かの もっとも しずか なる とき で ある。 コウエン なる ソウテン の、 なんの コエ も なく ただ もくして ゲカイ を みおろす とき、 かつて ジンセキ を ゆるさざりし シンリン の おくふかき ところ、 イッペン の コノハ の くちて カゼ なき に おつる とき、 シゼン は アクビ して いわく、 「ああ わが イチニチ も くれん と す」 と。 しかして ニンゲン の 1 セン-ネン は この セツナ に とびゆく の で ある。
 ヨ は リョウガワ の ハヤシ を のぞきつつ ゆく と、 ヒダリガワ で ハヤシ の やや うすく なって いる ところ を みいだした。 シタクサ を わけて すすみ、 ふと かえりみる と、 この ミ は いつしか シンリン の ソコ に いた の で ある。 とある タイボク の くちて たおれたる に コシ を かけた。
 ハヤシ が くらく なった か と おもう と、 たかい エダ の ウエ を シグレ が さらさら と ふって きた。 きた か と おもう と まもなく やんで しんと して ハヤシ は しずまりかえった。
 ヨ は しばらく じっと して ハヤシ の オク の くらく なって いる ところ を みて いた。
 シャカイ が どこ に ある、 ニンゲン の ホコリガオ に デンショウ する 「レキシ」 が どこ に ある。 この バショ に おいて、 この とき に おいて、 ヒト は ただ 「セイゾン」 ソノモノ の シゼン の イチ コキュウ の ナカ に たくされて おる こと を かんずる ばかり で ある。 ロコク の シジン は かつて シンリン の ナカ に ざして、 シ の カゲ の ワレ に せまる を おぼえた と いった が、 じつに そう で ある。 また いわく、 「ジンルイ の サイゴ の 1 ニン が この チキュウジョウ より ショウメツ する とき、 コノハ の イッペン も その ため に そよがざる なり」 と。
 シ の ごとく しずか なる、 ひややか なる、 くらき、 ふかき シンリン の ナカ に ざして、 かく の ごとき の イハク を うけない モノ は タレ も なかろう。 ヨ ワレ を わすれて おそろしき クウソウ に しずんで いる と、
「ダンナ! ダンナ!」 と よぶ コエ が モリ の ソト で した。 いそいで でて みる と ヤド の コ が たって いる。
「もう ゴヨウ が すんだら かえりましょう」
 そこで フタリ は ひとまず コヤ に かえる と、 イダ は、
「どう です、 コンヤ は シケン の ため に ヒトバン ここ に とまって ゴラン に なって は」

 ヨ は ついに ふたたび ホッカイドウ の チ を ふまない で コンニチ に いたった。 たとい イッカ の ジジョウ は ヨ の カイコン の モクテキ を チュウシ せしめた に せよ、 ヨ は イマ も なお ソラチガワ の エンガン を おもう と、 あの レイゲン なる シゼン が、 ヨ を ひきつける よう に かんずる の で ある。
 なぜ だろう。

ある オンナ (ゼンペン)

 ある オンナ  (ゼンペン)  アリシマ タケオ  1  シンバシ を わたる とき、 ハッシャ を しらせる 2 バンメ の ベル が、 キリ と まで は いえない 9 ガツ の アサ の、 けむった クウキ に つつまれて きこえて きた。 ヨウコ は ヘイキ で それ ...