2014/07/22

カゼ たちぬ

 カゼ たちぬ

 ホリ タツオ

   Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
                   PAUL VALÉRY

 ジョキョク

 それら の ナツ の ヒビ、 イチメン に ススキ の おいしげった クサハラ の ナカ で、 オマエ が たった まま ネッシン に エ を かいて いる と、 ワタシ は いつも その カタワラ の 1 ポン の シラカバ の コカゲ に ミ を よこたえて いた もの だった。 そうして ユウガタ に なって、 オマエ が シゴト を すませて ワタシ の ソバ に くる と、 それから しばらく ワタシタチ は カタ に テ を かけあった まま、 はるか かなた の、 フチ だけ アカネイロ を おびた ニュウドウグモ の むくむく した カタマリ に おおわれて いる チヘイセン の ほう を ながめやって いた もの だった。 ようやく くれよう と しかけて いる その チヘイセン から、 ハンタイ に ナニモノ か が うまれて きつつ ある か の よう に……

 そんな ヒ の ある ゴゴ、 (それ は もう アキ ちかい ヒ だった) ワタシタチ は オマエ の カキカケ の エ を ガカ に たてかけた まま、 その シラカバ の コカゲ に ねそべって クダモノ を かじって いた。 スナ の よう な クモ が ソラ を さらさら と ながれて いた。 その とき フイ に、 どこ から とも なく カゼ が たった。 ワタシタチ の アタマ の ウエ では、 キ の ハ の アイダ から ちらっと のぞいて いる アイイロ が のびたり ちぢんだり した。 それ と ほとんど ドウジ に、 クサムラ の ナカ に ナニ か が ばったり と たおれる モノオト を ワタシタチ は ミミ に した。 それ は ワタシタチ が そこ に オキッパナシ に して あった エ が、 ガカ と ともに、 たおれた オト らしかった。 すぐ たちあがって ゆこう と する オマエ を、 ワタシ は、 イマ の イッシュン の ナニモノ をも うしなうまい と する か の よう に ムリ に ひきとめて、 ワタシ の ソバ から はなさない で いた。 オマエ は ワタシ の する が まま に させて いた。

  カゼ たちぬ、 いざ いきめ やも。

 ふと クチ を ついて でて きた そんな シク を、 ワタシ は ワタシ に もたれて いる オマエ の カタ に テ を かけながら、 クチ の ウチ で くりかえして いた。 それから やっと オマエ は ワタシ を ふりほどいて たちあがって いった。 まだ よく かわいて は いなかった カンバス は、 その アイダ に、 イチメン に クサ の ハ を こびつかせて しまって いた。 それ を ふたたび ガカ に たてなおし、 パレット ナイフ で そんな クサ の ハ を とりにくそう に しながら、
「まあ! こんな ところ を、 もし オトウサマ に でも みつかったら……」
 オマエ は ワタシ の ほう を ふりむいて、 なんだか アイマイ な ビショウ を した。

「もう 2~3 ニチ したら オトウサマ が いらっしゃる わ」
 ある アサ の こと、 ワタシタチ が モリ の ナカ を さまよって いる とき、 とつぜん オマエ が そう いいだした。 ワタシ は なんだか フマン そう に だまって いた。 すると オマエ は、 そういう ワタシ の ほう を みながら、 すこし しゃがれた よう な コエ で ふたたび クチ を きいた。
「そう したら もう、 こんな サンポ も できなく なる わね」
「どんな サンポ だって、 しよう と おもえば できる さ」
 ワタシ は まだ フマン-らしく、 オマエ の いくぶん きづかわしそう な シセン を ジブン の ウエ に かんじながら、 しかし それ より も もっと、 ワタシタチ の ズジョウ の コズエ が なんとはなし に ざわめいて いる の に キ を とられて いる よう な ヨウス を して いた。
「オトウサマ が なかなか ワタシ を はなして くださらない わ」
 ワタシ は とうとう じれったい と でも いう よう な メツキ で、 オマエ の ほう を みかえした。
「じゃあ、 ボクタチ は もう これ で オワカレ だ と いう の かい?」
「だって シカタ が ない じゃ ない の」
 そう いって オマエ は いかにも あきらめきった よう に、 ワタシ に つとめて ほほえんで みせよう と した。 ああ、 その とき の オマエ の カオイロ の、 そして その クチビル の イロ まで も、 なんと あおざめて いた こと ったら!
「どうして こんな に かわっちゃった ん だろう なあ。 あんな に ワタシ に なにもかも まかせきって いた よう に みえた のに……」 と ワタシ は かんがえあぐねた よう な カッコウ で、 だんだん ハダカネ の ごろごろ しだして きた せまい ヤマミチ を、 オマエ を すこし サキ に やりながら、 いかにも あるきにくそう に あるいて いった。 そこいら は もう だいぶ コダチ が ふかい と みえ、 クウキ は ひえびえ と して いた。 トコロドコロ に ちいさな サワ が くいこんだり して いた。 とつぜん、 ワタシ の アタマ の ナカ に こんな カンガエ が ひらめいた。 オマエ は この ナツ、 ぐうぜん であった ワタシ の よう な モノ にも あんな に ジュウジュン だった よう に、 いや、 もっと もっと、 オマエ の チチ や、 それから また そういう チチ をも カズ に いれた オマエ の スベテ を たえず シハイ して いる もの に、 すなお に ミ を まかせきって いる の では ない だろう か?…… 「セツコ! そういう オマエ で ある の なら、 ワタシ は オマエ が もっと もっと すき に なる だろう。 ワタシ が もっと しっかり と セイカツ の ミトオシ が つく よう に なったら、 どうしたって オマエ を もらい に いく から、 それまで は オトウサン の モト に イマ の まま の オマエ で いる が いい……」 そんな こと を ワタシ は ジブン ジシン に だけ いいきかせながら、 しかし オマエ の ドウイ を もとめ でも する か の よう に、 いきなり オマエ の テ を とった。 オマエ は その テ を ワタシ に とられる が まま に させて いた。 それから ワタシタチ は そうして テ を くんだ まま、 ヒトツ の サワ の マエ に たちどまりながら、 おしだまって、 ワタシタチ の アシモト に ふかく くいこんで いる ちいさな サワ の ずっと ソコ の、 シタバエ の シダ など の ウエ まで、 ヒ の ヒカリ が かずしれず エダ を さしかわして いる ひくい カンボク の スキマ を ようやく の こと で くぐりぬけながら、 マダラ に おちて いて、 そんな コモレビ が そこ まで とどく うち に ほとんど ある か ない か くらい に なって いる ソヨカゼ に ちらちら と ゆれうごいて いる の を、 ナニ か せつない よう な キモチ で みつめて いた。

 それから 2~3 ニチ した ある ユウガタ、 ワタシ は ショクドウ で、 オマエ が オマエ を むかえ に きた チチ と ショクジ を ともに して いる の を みいだした。 オマエ は ワタシ の ほう に ぎごちなさそう に セナカ を むけて いた。 チチ の ソバ に いる こと が オマエ に ほとんど ムイシキテキ に とらせて いる に ちがいない ヨウス や ドウサ は、 ワタシ には オマエ を ついぞ みかけた こと も ない よう な わかい ムスメ の よう に かんじさせた。
「たとい ワタシ が その ナ を よんだ に したって……」 と ワタシ は ヒトリ で つぶやいた。 「アイツ は ヘイキ で こっち を ミムキ も しない だろう。 まるで もう ワタシ の よんだ モノ では ない か の よう に……」
 その バン、 ワタシ は ヒトリ で つまらなそう に でかけて いった サンポ から かえって きて から も、 しばらく ホテル の ヒトケ の ない ニワ の ナカ を ぶらぶら して いた。 ヤマユリ が におって いた。 ワタシ は ホテル の マド が まだ フタツ ミッツ アカリ を もらして いる の を ぼんやり と みつめて いた。 そのうち すこし キリ が かかって きた よう だった。 それ を おそれ でも する か の よう に、 マド の アカリ は ヒトツビトツ きえて いった。 そして とうとう ホテル-ジュウ が すっかり マックラ に なった か と おもう と、 かるい キシリ が して、 ゆるやか に ヒトツ の マド が ひらいた。 そして バライロ の ネマキ らしい もの を きた、 ヒトリ の わかい ムスメ が、 マド の フチ に じっと よりかかりだした。 それ は オマエ だった。……

 オマエタチ が たって いった ノチ、 ヒゴト ヒゴト ずっと ワタシ の ムネ を しめつけて いた、 あの カナシミ に にた よう な コウフク の フンイキ を、 ワタシ は いまだに はっきり と よみがえらせる こと が できる。
 ワタシ は シュウジツ、 ホテル に とじこもって いた。 そうして ながい アイダ オマエ の ため に うっちゃって おいた ジブン の シゴト に とりかかりだした。 ワタシ は ジブン にも おもいがけない くらい、 しずか に その シゴト に ボットウ する こと が できた。 その うち に スベテ が ホカ の キセツ に うつって いった。 そして いよいよ ワタシ も シュッパツ しよう と する ゼンジツ、 ワタシ は ヒサシブリ で ホテル から サンポ に でかけて いった。
 アキ は ハヤシ の ナカ を みちがえる ばかり に ランザツ に して いた。 ハ の だいぶ すくなく なった キギ は、 その アイダ から、 ヒトケ の たえた ベッソウ の テラス を ずっと ゼンポウ に のりださせて いた。 キンルイ の しめっぽい ニオイ が オチバ の ニオイ に いりまじって いた。 そういう おもいがけない くらい の キセツ の スイイ が、 ――オマエ と わかれて から ワタシ の しらぬ マ に こんな にも たって しまった ジカン と いう もの が、 ワタシ には イヨウ に かんじられた。 ワタシ の ココロ の ウチ の どこかしら に、 オマエ から ひきはなされて いる の は ただ イチジテキ だ と いった カクシン の よう な もの が あって、 その ため こうした ジカン の スイイ まで が、 ワタシ には イマ まで とは ぜんぜん ちがった イミ を もつ よう に なりだした の で あろう か?…… そんな よう な こと を、 ワタシ は すぐ アト で はっきり と たしかめる まで、 なにやら ぼんやり と かんじだして いた。
 ワタシ は それから 10 スウフン-ゴ、 ヒトツ の ハヤシ の つきた ところ、 そこ から キュウ に うちひらけて、 とおい チヘイセン まで も イッタイ に ながめられる、 イチメン に ススキ の おいしげった クサハラ の ナカ に、 アシ を ふみいれて いた。 そして ワタシ は その カタワラ の、 すでに ハ の きいろく なりかけた 1 ポン の シラカバ の コカゲ に ミ を よこたえた。 そこ は、 その ナツ の ヒビ、 オマエ が エ を かいて いる の を ながめながら、 ワタシ が いつも イマ の よう に ミ を よこたえて いた ところ だった。 あの とき には ほとんど いつも ニュウドウグモ に さえぎられて いた チヘイセン の アタリ には、 イマ は、 どこ か しらない、 トオク の サンミャク まで が、 マッシロ な ホサキ を なびかせた ススキ の ウエ を わけながら、 その リンカク を ヒトツヒトツ くっきり と みせて いた。
 ワタシ は それら の とおい サンミャク の スガタ を みんな アンキ して しまう くらい、 じっと メ に チカラ を いれて みいって いる うち に、 イマ まで ジブン の ウチ に ひそんで いた、 シゼン が ジブン の ため に きめて おいて くれた もの を イマ こそ やっと みいだした と いう カクシン を、 だんだん はっきり と ジブン の イシキ に のぼらせはじめて いた。……

 ハル

 3 ガツ に なった。 ある ゴゴ、 ワタシ が イツモ の よう に ぶらっと サンポ の ツイデ に ちょっと たちよった と でも いった ふう に セツコ の イエ を おとずれる と、 モン を はいった すぐ ヨコ の ウエコミ の ナカ に、 ロウドウシャ の かぶる よう な おおきな ムギワラボウ を かぶった チチ が、 カタテ に ハサミ を もちながら、 そこいら の キ の テイレ を して いた。 ワタシ は そういう スガタ を みとめる と、 まるで コドモ の よう に キ の エダ を かきわけながら、 その ソバ に ちかづいて いって、 フタコト ミコト アイサツ の コトバ を かわした ノチ、 そのまま チチ の する こと を ものめずらしそう に みて いた。 ――そう やって ウエコミ の ナカ に すっぽり と ミ を いれて いる と、 あちらこちら の ちいさな エダ の ウエ に ときどき なにかしら しろい もの が ひかったり した。 それ は みんな ツボミ らしかった。……
「あれ も コノゴロ は だいぶ ゲンキ に なって きた よう だ が」 チチ は とつぜん そんな ワタシ の ほう へ カオ を もちあげて、 その コロ ワタシ と コンヤク した ばかり の セツコ の こと を いいだした。
「もうすこし いい ヨウキ に なったら、 テンチ でも させて みたら どう だろう ね?」
「それ は いい でしょう けれど……」 と ワタシ は くちごもりながら、 サッキ から メノマエ に きらきら ひかって いる ヒトツ の ツボミ が なんだか キ に なって ならない と いった フウ を して いた。
「どこ ぞ いい ところ は ない か と コノアイダウチ から ブッショク しとる の だ がね――」 と チチ は そんな ワタシ には かまわず に いいつづけた。 「セツコ は F の サナトリウム なんぞ どう かしらん と いう の じゃ が、 アナタ は あそこ の インチョウ さん を しって おいで だ そう だね?」
「ええ」 と ワタシ は すこし ウワノソラ での よう に ヘンジ を しながら、 やっと さっき みつけた しろい ツボミ を テモト に たぐりよせた。
「だが、 あそこ なんぞ は、 あれ ヒトリ で いって おられる だろう か?」
「ミンナ ヒトリ で いって いる よう です よ」
「だが、 あれ には なかなか いって おられまい ね?」
 チチ は なんだか こまった よう な カオツキ を した まま、 しかし ワタシ の ほう を みず に、 ジブン の メノマエ に ある キ の エダ の ヒトツ へ いきなり ハサミ を いれた。 それ を みる と、 ワタシ は とうとう ガマン が しきれなく なって、 それ を ワタシ が いいだす の を チチ が まって いる と しか おもわれない コトバ を、 ついと クチ に だした。
「なんでしたら ボク も イッショ に いって も いい ん です。 イマ、 しかけて いる シゴト の ほう も、 ちょうど それまで には カタ が つきそう です から……」
 ワタシ は そう いいながら、 やっと テ の ナカ に いれた ばかり の ツボミ の ついた エダ を ふたたび そっと てばなした。 それ と ドウジ に チチ の カオ が キュウ に あかるく なった の を ワタシ は みとめた。
「そうして いただけたら、 いちばん いい の だ が、 ――しかし アナタ には えろう すまん な……」
「いいえ、 ボク なんぞ には かえって そういった ヤマ の ナカ の ほう が シゴト が できる かも しれません……」
 それから ワタシタチ は その サナトリウム の ある サンガク チホウ の こと など はなしあって いた。 が、 いつのまにか ワタシタチ の カイワ は、 チチ の イマ テイレ を して いる ウエキ の ウエ に おちて いった。 フタリ の イマ おたがいに かんじあって いる イッシュ の ドウジョウ の よう な もの が、 そんな トリトメ の ない ハナシ を まで カッキ-づける よう に みえた。……
「セツコ さん は おおき に なって いる の かしら?」 しばらく して から ワタシ は なにげなさそう に きいて みた。
「さあ、 おきとる でしょう。 ……どうぞ、 かまわん から、 そこ から あちら へ……」 と チチ は ハサミ を もった テ で、 ニワキド の ほう を しめした。 ワタシ は やっと ウエコミ の ナカ を くぐりぬける と、 ツタ が からみついて すこし ひらきにくい くらい に なった その キド を こじあけて、 そのまま ニワ から、 コノアイダ まで は アトリエ に つかわれて いた、 ハナレ の よう に なった ビョウシツ の ほう へ ちかづいて いった。
 セツコ は、 ワタシ の きて いる こと は もう とうに しって いた らしい が、 ワタシ が そんな ニワ から はいって こよう とは おもわなかった らしく、 ネマキ の ウエ に あかるい イロ の ハオリ を ひっかけた まま、 ナガイス の ウエ に ヨコ に なりながら、 ほそい リボン の ついた、 みかけた こと の ない フジンボウ を テ で オモチャ に して いた。
 ワタシ が フレンチ ドア-ゴシ に そういう カノジョ を メ に いれながら ちかづいて ゆく と、 カノジョ の ほう でも ワタシ を みとめた らしかった。 カノジョ は ムイシキ に たちあがろう と する よう な ミウゴキ を した。 が、 カノジョ は そのまま ヨコ に なり、 カオ を ワタシ の ほう へ むけた まま、 すこし きまりわるそう な ビショウ で ワタシ を みつめた。
「おきて いた の?」 ワタシ は ドア の ところ で、 いくぶん ランボウ に クツ を ぬぎながら、 コエ を かけた。
「ちょっと おきて みた ん だ けれど、 すぐ つかれちゃった わ」
 そう いいながら、 カノジョ は いかにも ツカレ を おびた よう な、 ちからなげ な テツキ で、 ただ なんと いう こと も なし に テ で もてあそんで いた らしい その ボウシ を、 すぐ ワキ に ある キョウダイ の ウエ へ ムゾウサ に ほうりなげた。 が、 それ は そこ まで とどかない で ユカ の ウエ に おちた。 ワタシ は それ に ちかよって、 ほとんど ワタシ の カオ が カノジョ の アシ の サキ に くっつきそう に なる よう に かがみこんで、 その ボウシ を ひろいあげる と、 コンド は ジブン の テ で、 さっき カノジョ が そうして いた よう に、 それ を オモチャ に しだして いた。
 それから ワタシ は やっと きいた。 「こんな ボウシ なんぞ とりだして、 ナニ を して いた ん だい?」
「そんな もの、 いつ に なったら かぶれる よう に なる ん だ か しれ や しない のに、 オトウサマ ったら、 キノウ かって おいで に なった のよ。 ……おかしな オトウサマ でしょう?」
「これ、 オトウサマ の オミタテ なの? ホントウ に いい オトウサマ じゃ ない か。 ……どおれ、 この ボウシ、 ちょっと かぶって ごらん」 と ワタシ が カノジョ の アタマ に それ を ジョウダン ハンブン かぶせる よう な マネ を しかける と、
「いや、 そんな こと……」
 カノジョ は そう いって、 うるさそう に、 それ を さけ でも する よう に、 なかば ミ を おこした。 そうして イイワケ の よう に よわよわしい ビショウ を して みせながら、 ふいと おもいだした よう に、 いくぶん ヤセ の めだつ テ で、 すこし もつれた カミ を なおしはじめた。 その なにげなし に して いる、 それでいて いかにも シゼン に わかい オンナ-らしい テツキ は、 それ が まるで ワタシ を アイブ でも しだした か の よう な、 いきづまる ほど センシュアル な ミリョク を ワタシ に かんじさせた。 そうして それ は、 おもわず それ から ワタシ が メ を そらさず には いられない ほど だった……
 やがて ワタシ は それまで テ で もてあそんで いた カノジョ の ボウシ を、 そっと ワキ の キョウダイ の ウエ に のせる と、 ふいと ナニ か かんがえだした よう に だまりこんで、 なおも そういう カノジョ から は メ を そらせつづけて いた。
「おおこり に なった の?」 と カノジョ は とつぜん ワタシ を みあげながら、 きづかわしそう に とうた。
「そう じゃ ない ん だ」 と ワタシ は やっと カノジョ の ほう へ メ を やりながら、 それから ハナシ の ツヅキ でも なんでも なし に、 だしぬけ に こう いいだした。 「さっき オトウサマ が そう いって いらしった が、 オマエ、 ホントウ に サナトリウム に いく キ かい?」
「ええ、 こうして いて も、 いつ よく なる の だ か わからない の です もの。 はやく よく なれる ん なら、 どこ へ でも いって いる わ。 でも……」
「どうした のさ? なんて いう つもり だった ん だい?」
「なんでも ない の」
「なんでも なくって も いい から いって ごらん。 ……どうしても いわない ね、 じゃ ボク が いって やろう か? オマエ、 ボク にも イッショ に いけ と いう の だろう?」
「そんな こと じゃ ない わ」 と カノジョ は キュウ に ワタシ を さえぎろう と した。
 しかし ワタシ は それ には かまわず に、 サイショ の チョウシ とは ちがって、 だんだん マジメ に なりだした、 いくぶん フアン そう な チョウシ で いいつづけた。 「……いや、 オマエ が こなく とも いい と いったって、 そりゃ ボク は イッショ に いく とも。 だが ね、 ちょっと こんな キ が して、 それ が キガカリ なの だ。 ……ボク は こうして オマエ と イッショ に ならない マエ から、 どこ か の さびしい ヤマ の ナカ へ、 オマエ みたい な かわいらしい ムスメ と フタリ きり の セイカツ を し に いく こと を ゆめみて いた こと が あった の だ。 オマエ にも ずっと マエ に そんな ワタシ の ユメ を うちあけ や しなかった かしら? ほら、 あの ヤマゴヤ の ハナシ さ、 そんな ヤマ の ナカ に ワタシタチ は すめる の かしら と いって、 あの とき は オマエ は ムジャキ そう に わらって いたろう?…… じつは ね、 コンド オマエ が サナトリウム へ いく と いいだして いる の も、 そんな こと が しらずしらず の うち に オマエ の ココロ を うごかして いる の じゃ ない か と おもった の だ。 ……そう じゃ ない の かい?」
 カノジョ は つとめて ほほえみながら、 だまって それ を きいて いた が、
「そんな こと もう おぼえて なんか いない わ」 と カノジョ は きっぱり と いった。 それから むしろ ワタシ の ほう を いたわる よう な メツキ で しげしげ と みながら、 「アナタ は ときどき とんでもない こと を かんがえだす のね……」
 それから スウフン-ゴ、 ワタシタチ は、 まるで ワタシタチ の アイダ には ナニゴト も なかった よう な カオツキ を して、 フレンチ ドア の ムコウ に、 シバフ が もう だいぶ あおく なって、 あちら にも こちら にも カゲロウ らしい もの の たって いる の を、 イッショ に なって めずらしそう に ながめだして いた。

     ⁂

 4 ガツ に なって から、 セツコ の ビョウキ は いくらか ずつ カイフクキ に ちかづきだして いる よう に みえた。 そして それ が いかにも ちち と して いれば いる ほど、 その カイフク への もどかしい よう な イッポ イッポ は、 かえって ナニ か カクジツ な もの の よう に おもわれ、 ワタシタチ には いいしれず たのもしく さえ あった。
 そんな ある ヒ の ゴゴ の こと、 ワタシ が ゆく と、 ちょうど チチ は ガイシュツ して いて、 セツコ は ヒトリ で ビョウシツ に いた。 その ヒ は たいへん キブン も よさそう で、 いつも ほとんど キタキリ の ネマキ を、 めずらしく あおい ブラウス に きかえて いた。 ワタシ は そういう スガタ を みる と、 どうしても カノジョ を ニワ へ ひっぱりだそう と した。 すこし ばかり カゼ が ふいて いた が、 それ すら キモチ の いい くらい やわらか だった。 カノジョ は ちょっと ジシン なさそう に わらいながら、 それでも ワタシ に やっと ドウイ した。 そうして ワタシ の カタ に テ を かけて、 フレンチ ドア から、 なんだか あぶなかしそう な アシツキ を しながら、 おずおず と シバフ の ウエ へ でて いった。 イケガキ に そうて、 いろんな ガイコクシュ の も まじって、 どれ が どれ だ か みわけられない くらい に エダ と エダ を かわしながら、 ごちゃごちゃ に しげって いる ウエコミ の ほう へ ちかづいて ゆく と、 それら の シゲミ の ウエ には、 あちら にも こちら にも シロ や キ や ウスムラサキ の ちいさな ツボミ が もう いまにも さきだしそう に なって いた。 ワタシ は そんな シゲミ の ヒトツ の マエ に たちどまる と、 キョネン の アキ だった か、 それ が そう だ と カノジョ に おしえられた の を ひょっくり おもいだして、
「これ は ライラック だった ね?」 と カノジョ の ほう を ふりむきながら、 なかば きく よう に いった。
「それ が どうも ライラック じゃ ない かも しれない わ」 と ワタシ の カタ に かるく テ を かけた まま、 カノジョ は すこし キノドク そう に こたえた。
「ふん…… じゃ、 イマ まで ウソ を おしえて いた ん だね?」
「ウソ なんか つき や しない けれど、 そう いって ヒト から チョウダイ した の。 ……だけど、 あんまり いい ハナ じゃ ない ん です もの」
「なあん だ、 もう いまにも ハナ が さきそう に なって から、 そんな こと を ハクジョウ する なんて! じゃあ、 どうせ あいつ も……」
 ワタシ は その トナリ に ある シゲミ の ほう を ゆびさしながら、 「あいつ は なんて いったっけ なあ?」
「エニシダ?」 と カノジョ は それ を ひきとった。 ワタシタチ は コンド は そっち の シゲミ の マエ に うつって いった。 「この エニシダ は ホンモノ よ。 ほら、 きいろい の と しろい の と、 ツボミ が 2 シュルイ ある でしょう? こっち の しろい の、 そりゃあ めずらしい の ですって…… オトウサマ の ゴジマン よ……」
 そんな タワイ の ない こと を いいあいながら、 その アイダジュウ セツコ は ワタシ の カタ から テ を はずさず に、 しかし つかれた と いう より も、 うっとり と した よう に なって、 ワタシ に もたれかかって いた。 それから ワタシタチ は しばらく そのまま だまりあって いた。 そう する こと が こういう ハナ さきにおう よう な ジンセイ を そのまま すこし でも ひきとめて おく こと が でき でも する か の よう に。 ときおり やわらか な カゼ が ムコウ の イケガキ の アイダ から おさえつけられて いた コキュウ か なんぞ の よう に おしだされて、 ワタシタチ の マエ に して いる シゲミ に まで たっし、 その ハ を わずか に もちあげながら、 それから そこ に そういう ワタシタチ だけ を そっくり カンゼン に のこした まんま とおりすぎて いった。
 とつぜん、 カノジョ が ワタシ の カタ に かけて いた ジブン の テ の ナカ に その カオ を うずめた。 ワタシ は カノジョ の シンゾウ が イツモ より か たかく うって いる の に キ が ついた。
「つかれた の?」 ワタシ は やさしく カノジョ に きいた。
「いいえ」 と カノジョ は コゴエ に こたえた が、 ワタシ は ますます ワタシ の カタ に カノジョ の ゆるやか な オモミ の かかって くる の を かんじた。
「ワタシ が こんな に よわくって、 アナタ に なんだか オキノドク で……」 カノジョ は そう ささやいた の を、 ワタシ は きいた と いう より も、 むしろ そんな キ が した くらい の もの だった。
「オマエ の そういう ひよわ なの が、 そう で ない より ワタシ には もっと オマエ を いとしい もの に させて いる の だ と いう こと が、 どうして わからない の だろう なあ……」 と ワタシ は もどかしそう に ココロ の ウチ で カノジョ に よびかけながら、 しかし ヒョウメン は わざと なんにも ききとれなかった よう な ヨウス を しながら、 そのまま じっと ミウゴキ も しない で いる と、 カノジョ は キュウ に ワタシ から それ を そらせる よう に して カオ を もたげ、 だんだん ワタシ の カタ から テ さえ も はなして ゆきながら、
「どうして、 ワタシ、 コノゴロ こんな に キ が よわく なった の かしら? コナイダウチ は、 どんな に ビョウキ の ひどい とき だって、 なんとも おもわなかった くせ に……」 と、 ごく ひくい コエ で、 ヒトリゴト でも いう よう に くちごもった。 チンモク が そんな コトバ を きづかわしげ に ひきのばして いた。 そのうち カノジョ が キュウ に カオ を あげて、 ワタシ を じっと みつめた か と おもう と、 それ を ふたたび ふせながら、 いくらか うわずった よう な チュウオン で いった。 「ワタシ、 なんだか キュウ に いきたく なった のね……」
 それから カノジョ は きこえる か きこえない くらい の コゴエ で いいたした。 「アナタ の おかげ で……」

     ⁂

 それ は、 ワタシタチ が はじめて であった もう 2 ネン マエ にも なる ナツ の コロ、 フイ に ワタシ の クチ を ついて でた、 そして それから ワタシ が なんと いう こと も なし に くちずさむ こと を このんで いた、

  カゼ たちぬ、 いざ いきめ やも。

と いう シク が、 それきり ずっと わすれて いた のに、 また ひょっくり と ワタシタチ に よみがえって きた ほど の、 ――いわば ジンセイ に さきだった、 ジンセイ ソノモノ より か もっと いきいき と、 もっと せつない まで に たのしい ヒビ で あった。
 ワタシタチ は その ツキズエ に ヤツガタケ サンロク の サナトリウム に ゆく ため の ジュンビ を しだして いた。 ワタシ は、 ちょっと した シリアイ に なって いる、 その サナトリウム の インチョウ が ときどき ジョウキョウ する キカイ を とらえて、 そこ へ でかける まで に イチド セツコ の ビョウジョウ を みて もらう こと に した。
 ある ヒ、 やっと の こと で コウガイ に ある セツコ の イエ まで その インチョウ に きて もらって、 サイショ の シンサツ を うけた ノチ、 「なあに たいした こと は ない でしょう。 まあ、 1~2 ネン ヤマ へ きて シンボウ なさる ん です なあ」 と ビョウニン たち に いいのこして いそがしそう に かえって ゆく インチョウ を、 ワタシ は エキ まで みおくって いった。 ワタシ は カレ から ジブン に だけ でも、 もっと セイカク な カノジョ の ビョウタイ を きかして おいて もらいたかった の だった。
「しかし、 こんな こと は ビョウニン には いわぬ よう に したまえ。 ファター には そのうち ボク から も よく はなそう と おもう がね」 インチョウ は そんな マエオキ を しながら、 すこし きむずかしい カオツキ を して セツコ の ヨウダイ を かなり こまか に ワタシ に セツメイ して くれた。 それから それ を だまって きいて いた ワタシ の ほう を じっと みて、 「キミ も ひどく カオイロ が わるい じゃ ない か。 ついでに キミ の カラダ も みて おいて やる ん だった な」 と ワタシ を キノドク-がる よう に いった。
 エキ から ワタシ が かえって、 ふたたび ビョウシツ に はいって ゆく と、 チチ は そのまま ねて いる ビョウニン の ソバ に いのこって、 サナトリウム へ でかける ヒドリ など の ウチアワセ を カノジョ と しだして いた。 なんだか うかない カオ を した まま、 ワタシ も その ソウダン に くわわりだした。 「だが……」 チチ は やがて ナニ か ヨウジ でも おもいついた よう に、 たちあがりながら、 「もう この くらい に よく なって いる の だ から、 ナツジュウ だけ でも いって いたら、 よかりそう な もの だ がね」 と いかにも フシン そう に いって、 ビョウシツ を でて いった。
 フタリ きり に なる と、 ワタシタチ は どちら から とも なく ふっと だまりあった。 それ は いかにも ハル-らしい ユウグレ で あった。 ワタシ は サッキ から なんだか ズツウ が しだして いる よう な キ が して いた が、 それ が だんだん くるしく なって きた ので、 そっと めだたぬ よう に たちあがる と、 ガラス ドア の ほう に ちかづいて、 その イッポウ の ドア を なかば あけはなちながら、 それ に もたれかかった。 そうして しばらく そのまま ワタシ は、 ジブン が ナニ を かんがえて いる の か も わからない くらい に ぼんやり して、 イチメン に うっすら と モヤ の たちこめて いる ムコウ の ウエコミ の アタリ へ 「いい ニオイ が する なあ、 なんの ハナ の ニオイ だろう――」 と おもいながら、 うつろ な メ を やって いた。
「ナニ を して いらっしゃる の?」
 ワタシ の ハイゴ で、 ビョウニン の すこし しゃがれた コエ が した。 それ が フイ に ワタシ を そんな イッシュ の マヒ した よう な ジョウタイ から カクセイ させた。 ワタシ は カノジョ の ほう には セナカ を むけた まま、 いかにも ナニ か ホカ の こと でも かんがえて いた よう な、 とって つけた よう な チョウシ で、
「オマエ の こと だの、 ヤマ の こと だの、 それから そこ で ボクタチ の くらそう と して いる セイカツ の こと だの を、 かんがえて いる のさ……」 と とぎれとぎれ に いいだした。 が、 そんな こと を いいつづけて いる うち に、 ワタシ は なんだか ホントウ に そんな こと を イマシガタ まで かんがえて いた よう な キ が して きた。 そう だ、 それから ワタシ は こんな こと も かんがえて いた よう だ――。 「ムコウ へ いったら、 ホントウ に イロイロ な こと が おこる だろう なあ。 ……しかし ジンセイ と いう もの は、 オマエ が いつも そうして いる よう に、 なにもかも それ に まかせきって おいた ほう が いい の だ。 ……そう すれば きっと、 ワタシタチ が それ を ねがおう など とは おもい も およばなかった よう な もの まで、 ワタシタチ に あたえられる かも しれない の だ。……」 そんな こと まで ココロ の ウチ で かんがえながら、 それ には すこしも ジブン では キ が つかず に、 ワタシ は かえって なんでも ない よう に みえる ササイ な インショウ の ほう に すっかり キ を とられて いた の だ。……
 そんな ニワモ は まだ ほのあかるかった が、 キ が ついて みる と、 ヘヤ の ナカ は もう すっかり うすぐらく なって いた。
「アカリ を つけよう か?」 ワタシ は キュウ に キ を とりなおしながら いった。
「まだ つけない で おいて ちょうだい……」 そう こたえた カノジョ の コエ は マエ より も しゃがれて いた。
 しばらく ワタシタチ は コトバ も なくて いた。
「ワタシ、 すこし いきぐるしい の、 クサ の ニオイ が つよくて……」
「じゃ、 ここ も しめて おこう ね」
 ワタシ は、 ほとんど かなしげ な チョウシ で そう おうじながら、 ドア の ニギリ に テ を かけて、 それ を ひきかけた。
「アナタ……」 カノジョ の コエ は コンド は ほとんど チュウセイテキ な くらい に きこえた。 「イマ、 ないて いらしった ん でしょう?」
 ワタシ は びっくり した ヨウス で、 キュウ に カノジョ の ほう を ふりむいた。
「ないて なんか いる もの か。 ……ボク を みて ごらん」
 カノジョ は シンダイ の ナカ から ワタシ の ほう へ その カオ を むけよう とも しなかった。 もう うすぐらくって それ とは さだか に みとめがたい くらい だ が、 カノジョ は ナニ か を じっと みつめて いる らしい。 しかし ワタシ が それ を きづかわしそう に ジブン の メ で おって みる と、 ただ クウ を みつめて いる きり だった。
「わかって いる の、 ワタシ にも…… さっき インチョウ さん に ナニ か いわれて いらしった の が……」
 ワタシ は すぐ ナニ か こたえたかった が、 なんの コトバ も ワタシ の クチ から は でて こなかった。 ワタシ は ただ オト を たてない よう に そっと ドア を しめながら、 ふたたび ゆうぐれかけた ニワモ を みいりだした。
 やがて ワタシ は、 ワタシ の ハイゴ に ふかい タメイキ の よう な もの を きいた。
「ごめんなさい」 カノジョ は とうとう クチ を きいた。 その コエ は まだ すこし フルエ を おびて いた が、 マエ より も ずっと おちついて いた。 「こんな こと キ に なさらないで ね……。 ワタシタチ、 これから ホントウ に いきられる だけ いきましょう ね……」
 ワタシ は ふりむきながら、 カノジョ が そっと メガシラ に ユビサキ を あてて、 そこ に それ を じっと おいて いる の を みとめた。

     ⁂

 4 ガツ ゲジュン の ある うすぐもった アサ、 テイシャバ まで チチ に みおくられて、 ワタシタチ は あたかも ミツゲツ の タビ へ でも でかける よう に、 チチ の マエ は さも たのしそう に、 サンガク チホウ へ むかう キシャ の ニトウシツ に のりこんだ。 キシャ は しずか に プラットフォーム を はなれだした。 その アト に、 つとめて なにげなさそう に しながら、 ただ セナカ だけ すこし マエカガミ に して、 キュウ に としとった よう な ヨウス を して たって いる チチ だけ を ヒトリ のこして。――
 すっかり プラットフォーム を はなれる と、 ワタシタチ は マド を しめて、 キュウ に さびしく なった よう な カオツキ を して、 すいて いる ニトウシツ の イチグウ に コシ を おろした。 そう やって オタガイ の ココロ と ココロ を あたためあおう と でも する よう に、 ヒザ と ヒザ と を ぴったり と くっつけながら……

 カゼ たちぬ

 ワタシタチ の のった キシャ が、 ナンド と なく ヤマ を よじのぼったり、 ふかい ケイコク に そって はしったり、 また それから キュウ に うちひらけた ブドウバタケ の おおい ダイチ を ながい こと かかって よこぎったり した ノチ、 やっと サンガク チタイ へ と ハテシ の ない よう な、 シツヨウ な トウハン を つづけだした コロ には、 ソラ は いっそう ひくく なり、 イマ まで は ただ イチメン に とざして いる よう に みえた マックロ な クモ が、 いつのまにか ハナレバナレ に なって うごきだし、 それら が ワタシタチ の メ の ウエ に まで おしかぶさる よう で あった。 クウキ も なんだか ソコビエ が しだした。 ウワギ の エリ を たてた ワタシ は、 カタカケ に すっかり カラダ を うずめる よう に して メ を つぶって いる セツコ の、 つかれた と いう より も、 すこし コウフン して いる らしい カオ を フアン そう に みまもって いた。 カノジョ は ときどき ぼんやり と メ を ひらいて ワタシ の ほう を みた。 ハジメ の うち は フタリ は その たび ごと に メ と メ で ほほえみあった が、 シマイ には ただ フアン そう に タガイ を みあった きり、 すぐ フタリ とも メ を そらせた。 そうして カノジョ は また メ を とじた。
「なんだか ひえて きた ね。 ユキ でも ふる の かな」
「こんな 4 ガツ に なって も ユキ なんか ふる の?」
「うん、 この ヘン は ふらない とも かぎらない の だ」
 まだ 3 ジ-ゴロ だ と いう のに もう すっかり うすぐらく なった マド の ソト へ メ を そそいだ。 トコロドコロ に マックロ な モミ を まじえながら、 ハ の ない カラマツ が ムスウ に ならびだして いる の に、 すでに ワタシタチ は ヤツガタケ の スソ を とおって いる こと に キ が ついた が、 マノアタリ に みえる はず の ヤマ らしい もの は カゲ も カタチ も みえなかった。……
 キシャ は、 いかにも サンロク-らしい、 モノオキゴヤ と たいして かわらない ちいさな エキ に テイシャ した。 エキ には、 コウゲン リョウヨウジョ の シルシ の ついた ハッピ を きた、 としとった、 コヅカイ が ヒトリ、 ワタシタチ を むかえ に きて いた。
 エキ の マエ に またせて あった、 ふるい、 ちいさな ジドウシャ の ところ まで、 ワタシ は セツコ を ウデ で ささえる よう に して いった。 ワタシ の ウデ の ナカ で、 カノジョ が すこし よろめく よう に なった の を かんじた が、 ワタシ は それ には きづかない よう な フリ を した。
「つかれたろう ね?」
「そんな でも ない わ」
 ワタシタチ と イッショ に おりた スウニン の トチ の モノ らしい ヒトビト が、 そういう ワタシタチ の マワリ で なにやら ささやきあって いた よう だった が、 ワタシタチ が ジドウシャ に のりこんで いる うち に、 いつのまにか その ヒトビト は ホカ の ムラビト たち に まじって みわけにくく なりながら、 ムラ の ナカ に きえて いった。
 ワタシタチ の ジドウシャ が、 みすぼらしい コイエ の イチレツ に つづいて いる ムラ を とおりぬけた ノチ、 それ が みえない ヤツガタケ の オネ まで そのまま はてしなく ひろがって いる か と おもえる デコボコ の おおい ケイシャチ へ さしかかった と おもう と、 ハイゴ に ゾウキバヤシ を せおいながら、 あかい ヤネ を した、 イクツ も ソクヨク の ある、 おおきな タテモノ が、 ユクテ に みえだした。
「あれ だな」 と、 ワタシ は シャダイ の カタムキ を カラダ に かんじだしながら、 つぶやいた。
 セツコ は ちょっと カオ を あげ、 いくぶん シンパイ そう な メツキ で、 それ を ぼんやり と みた だけ だった。

 サナトリウム に つく と、 ワタシタチ は、 その いちばん オク の ほう の、 ウラ が すぐ ゾウキバヤシ に なって いる、 ビョウトウ の 2 カイ の ダイ 1 ゴウ-シツ に いれられた。 カンタン な シンサツゴ、 セツコ は すぐ ベッド に ねて いる よう に めいじられた。 リノリウム で ユカ を はった ビョウシツ には、 すべて マッシロ に ぬられた ベッド と タク と イス と、 ――それから その ホカ には、 いましがた コヅカイ が とどけて くれた ばかり の スウコ の トランク が ある きり だった。 フタリ きり に なる と、 ワタシ は しばらく おちつかず に、 ツキソイニン の ため に あてられた せまくるしい ソクシツ に はいろう とも しない で、 そんな ムキダシ な カンジ の する シツナイ を ぼんやり と みまわしたり、 また、 ナンド も マド に ちかづいて は、 ソラモヨウ ばかり キ に して いた。 カゼ が マックロ な クモ を おもたそう に ひきずって いた。 そして ときおり ウラ の ゾウキバヤシ から するどい オト を もいだり した。 ワタシ は イチド さむそう な カッコウ を して バルコン に でて いった。 バルコン は なんの シキリ も なし に ずっと ムコウ の ビョウシツ まで つづいて いた。 その ウエ には まったく ヒトケ が たえて いた ので、 ワタシ は かまわず に あるきだしながら、 ビョウシツ を ヒトツヒトツ のぞいて いって みる と、 ちょうど 4 バンメ の ビョウシツ の ナカ に、 ヒトリ の カンジャ の ねて いる の が ハンビラキ に なった マド から みえた ので、 ワタシ は いそいで そのまま ひっかえして きた。
 やっと ランプ が ついた。 それから ワタシタチ は カンゴフ の はこんで きて くれた ショクジ に むかいあった。 それ は ワタシタチ が フタリ きり で サイショ に ともに する ショクジ に して は、 すこし わびしかった。 ショクジチュウ、 ソト が もう マックラ なので なにも キ が つかず に、 ただ なんだか アタリ が キュウ に しずか に なった な と おもって いたら、 いつのまにか ユキ に なりだした らしかった。
 ワタシ は たちあがって、 ハンビラキ に して あった マド を もうすこし ホソメ に しながら、 その ガラス に カオ を くっつけて、 それ が ワタシ の イキ で くもりだした ほど、 じっと ユキ の ふる の を みつめて いた。 それから やっと そこ を はなれながら、 セツコ の ほう を ふりむいて、 「ねえ、 オマエ、 なんだって こんな……」 と いいだしかけた。
 カノジョ は ベッド に ねた まま、 ワタシ の カオ を うったえる よう に みあげて、 それ を ワタシ に いわせまい と する よう に、 クチ へ ユビ を あてた。

     ⁂

 ヤツガタケ の おおきな のびのび と した タイシャイロ の スソノ が ようやく その コウバイ を ゆるめよう と する ところ に、 サナトリウム は、 イクツ か の ソクヨク を ヘイコウ に ひろげながら、 ミナミ を むいて たって いた。 その スソノ の ケイシャ は さらに のびて いって、 2~3 の ちいさな サンソン を ムラ ゼンタイ かたむかせながら、 サイゴ に ムスウ の くろい マツ に すっかり つつまれながら、 みえない タニマ の ナカ に つきて いた。
 サナトリウム の ミナミ に ひらいた バルコン から は、 それら の かたむいた ムラ と その あかちゃけた コウサクチ が イッタイ に みわたされ、 さらに それら を とりかこみながら はてしなく なみたって いる マツバヤシ の ウエ に、 よく はれて いる ヒ だった ならば、 ミナミ から ニシ に かけて、 ミナミ アルプス と その 2~3 の シミャク と が、 いつも ジブン ジシン で わきあがらせた クモ の ナカ に ミエカクレ して いた。

 サナトリウム に ついた ヨクアサ、 ジブン の ソクシツ で ワタシ が メ を さます と、 ちいさな マドワク の ナカ に、 ランセイショク に はれきった ソラ と、 それから イクツ も の まっしろい トサカ の よう な サンテン が、 そこ に まるで タイキ から ひょっくり うまれ でも した よう な オモイガケナサ で、 ほとんど マナガイ に みられた。 そして ねた まま では みられない バルコン や ヤネ の ウエ に つもった ユキ から は、 キュウ に はるめいた ヒ の ヒカリ を あびながら、 たえず スイジョウキ が たって いる らしかった。
 すこし ねすごした くらい の ワタシ は、 いそいで とびおきて、 トナリ の ビョウシツ へ はいって いった。 セツコ は、 すでに メ を さまして いて、 モウフ に くるまりながら、 ほてった よう な カオ を して いた。
「おはよう」 ワタシ も おなじ よう に カオ が ほてりだす の を かんじながら、 キガル そう に いった。 「よく ねられた?」
「ええ」 カノジョ は ワタシ に うなずいて みせた。 「ユウベ クスリ を のんだ の。 なんだか アタマ が すこし いたい わ」
 ワタシ は そんな こと に なんか かまって いられない と いった ふう に、 ゲンキ よく マド も、 それから バルコン に つうじる ガラス ドア も、 すっかり あけはなした。 まぶしくって、 イチジ は なにも みられない くらい だった が、 そのうち それ に メ が だんだん なれて くる と、 ユキ に うもれた バルコン から も、 ヤネ から も、 ノハラ から も、 キ から さえ も、 かるい スイジョウキ の たって いる の が みえだした。
「それに とても おかしな ユメ を みた の。 あのね……」 カノジョ は ワタシ の ハイゴ で いいだしかけた。
 ワタシ は すぐ、 カノジョ が ナニ か うちあけにくい よう な こと を ムリ に いいだそう と して いる らしい の を さとった。 そんな バアイ の イツモ の よう に、 カノジョ の イマ の コエ も すこし しゃがれて いた。
 コンド は ワタシ が、 カノジョ の ほう を ふりむきながら、 それ を いわせない よう に、 クチ へ ユビ を あてる バン だった。……
 やがて カンゴフチョウ が せかせか した シンセツ そう な ヨウス を して はいって きた。 こうして カンゴフチョウ は、 マイアサ、 ビョウシツ から ビョウシツ へ と カンジャ たち を ヒトリヒトリ みまう の で ある。
「ユウベ は よく おやすみ に なれました か?」 カンゴフチョウ は カイカツ そう な コエ で たずねた。
 ビョウニン は なにも いわない で、 すなお に うなずいた。

     ⁂

 こういう ヤマ の サナトリウム の セイカツ など は、 フツウ の ヒトビト が もう ユキドマリ だ と しんじて いる ところ から はじまって いる よう な、 トクシュ な ニンゲンセイ を おのずから おびて くる もの だ。 ――ワタシ が ジブン の ウチ に そういう みしらない よう な ニンゲンセイ を ぼんやり と イシキ しはじめた の は、 ニュウインゴ まもなく ワタシ が インチョウ に シンサツシツ に よばれて いって、 セツコ の レントゲン で とられた シッカンブ の シャシン を みせられた とき から だった。
 インチョウ は ワタシ を マドギワ に つれて いって、 ワタシ にも みよい よう に、 その シャシン の ゲンパン を ヒ に すかせながら、 いちいち それ に セツメイ を くわえて いった。 ミギ の ムネ には スウホン の しらじら と した ロッコツ が くっきり と みとめられた が、 ヒダリ の ムネ には それら が ほとんど なにも みえない くらい、 おおきな、 まるで くらい フシギ な ハナ の よう な、 ビョウソウ が できて いた。
「おもった より も ビョウソウ が ひろがって いる なあ。 ……こんな に ひどく なって しまって いる とは おもわなかった ね。 ……これ じゃ、 イマ、 ビョウイン-ジュウ でも 2 バンメ ぐらい に ジュウショウ かも しれん よ……」
 そんな インチョウ の コトバ が ジブン の ミミ の ナカ で があがあ する よう な キ が しながら、 ワタシ は なんだか シコウリョク を うしなって しまった モノ みたい に、 いましがた みて きた あの くらい フシギ な ハナ の よう な イマージュ を それら の コトバ とは すこしも カンケイ が ない もの の よう に、 それ だけ を あざやか に イシキ の シキミ に のぼらせながら、 シンサツシツ から かえって きた。 ジブン と すれちがう ハクイ の カンゴフ だの、 もう あちこち の バルコン で ニッコウヨク を しだして いる ラタイ の カンジャ たち だの、 ビョウトウ の ザワメキ だの、 それから コトリ の サエズリ だの が、 そういう ワタシ の マエ を なんの レンラク も なし に すぎた。 ワタシ は とうとう いちばん ハズレ の ビョウトウ に はいり、 ワタシタチ の ビョウシツ の ある 2 カイ へ つうじる カイダン を のぼろう と して キカイテキ に アシ を ゆるめた シュンカン、 その カイダン の ヒトツ テマエ に ある ビョウシツ の ナカ から、 イヨウ な、 ついぞ そんな の は まだ きいた こと も ない よう な キミ の わるい カラセキ が ツヅケサマ に もれて くる の を ミミ に した。 「おや、 こんな ところ にも カンジャ が いた の かなあ」 と おもいながら、 ワタシ は その ドア に ついて いる No.17 と いう スウジ を、 ただ ぼんやり と みつめた。

     ⁂

 こうして ワタシタチ の すこし フウガワリ な アイ の セイカツ が はじまった。
 セツコ は ニュウイン イライ、 アンセイ を めいじられて、 ずっと ねついた きり だった。 その ため に、 キブン の いい とき は つとめて おきる よう に して いた ニュウイン マエ の カノジョ に くらべる と、 かえって ビョウニン-らしく みえた が、 べつに ビョウキ ソノモノ は アッカ した とも おもえなかった。 イシャ たち も また すぐ カイユ する カンジャ と して カノジョ を いつも とりあつかって いる よう に みえた。 「こうして ビョウキ を イケドリ に して しまう の だ」 と インチョウ など は ジョウダン でも いう よう に いったり した。
 キセツ は その アイダ に、 イマ まで すこし オクレギミ だった の を とりもどす よう に、 キュウソク に すすみだして いた。 ハル と ナツ と が ほとんど ドウジ に おしよせて きた か の よう だった。 マイアサ の よう に、 ウグイス や カンコドリ の サエズリ が ワタシタチ を めざませた。 そして ほとんど イチニチジュウ、 シュウイ の ハヤシ の シンリョク が サナトリウム を シホウ から おそいかかって、 ビョウシツ の ナカ まで すっかり さわやか に いろづかせて いた。 それら の ヒビ、 アサ の うち に ヤマヤマ から わいて でて いった しろい クモ まで も、 ユウガタ には ふたたび モト の ヤマヤマ へ たちもどって くる か と みえた。
 ワタシ は、 ワタシタチ が ともに した サイショ の ヒビ、 ワタシ が セツコ の マクラモト に ほとんど ツキキリ で すごした それら の ヒビ の こと を おもいうかべよう と する と、 それら の ヒビ が たがいに にて いる ため に、 その ミリョク は なく は ない タンイツサ の ため に、 ほとんど どれ が アト だ か サキ だ か ミワケ が つかなく なる よう な キ が する。
 と いう より も、 ワタシタチ は それら の にた よう な ヒビ を くりかえして いる うち に、 いつか まったく ジカン と いう もの から も ぬけだして しまって いた よう な キ さえ する くらい だ。 そして、 そういう ジカン から ぬけだした よう な ヒビ に あって は、 ワタシタチ の ニチジョウ セイカツ の どんな ササイ な もの まで、 その ヒトツヒトツ が イマ まで とは ぜんぜん ちがった ミリョク を もちだす の だ。 ワタシ の ミヂカ に ある この なまぬるい、 いい ニオイ の する ソンザイ、 その すこし はやい コキュウ、 ワタシ の テ を とって いる その しなやか な テ、 その ビショウ、 それから また ときどき とりかわす ヘイボン な カイワ、 ――そういった もの を もし とりのぞいて しまう と したら、 アト には なにも のこらない よう な タンイツ な ヒビ だ けれども、 ――ワレワレ の ジンセイ なんぞ と いう もの は ヨウソテキ には じつは これ だけ なの だ、 そして、 こんな ささやか な もの だけ で ワタシタチ が これほど まで マンゾク して いられる の は、 ただ ワタシ が それ を この オンナ と ともに して いる から なの だ、 と いう こと を ワタシ は カクシン して いられた。
 それら の ヒビ に おける ユイイツ の デキゴト と いえば、 カノジョ が ときおり ネツ を だす こと くらい だった。 それ は カノジョ の カラダ を じりじり おとろえさせて ゆく もの に ちがいなかった。 が、 ワタシタチ は そういう ヒ は、 イツモ と すこしも かわらない ニッカ の ミリョク を、 もっと サイシン に、 もっと カンマン に、 あたかも キンダン の カジツ の アジ を こっそり ぬすみ でも する よう に あじわおう と こころみた ので、 ワタシタチ の いくぶん シ の アジ の する セイ の コウフク は その とき は いっそう カンゼン に たもたれた ほど だった。

 そんな ある ユウグレ、 ワタシ は バルコン から、 そして セツコ は ベッド の ウエ から、 おなじ よう に、 ムコウ の ヤマ の セ に はいって マ も ない ユウヒ を うけて、 その アタリ の ヤマ だの オカ だの マツバヤシ だの ヤマバタケ だの が、 なかば あざやか な アカネイロ を おびながら、 なかば まだ ふたしか な よう な ネズミイロ に じょじょ に おかされだして いる の を、 うっとり と して ながめて いた。 ときどき おもいだした よう に その モリ の ウエ へ コトリ たち が ホウブツセン を えがいて とびあがった。 ――ワタシ は、 このよう な ショカ の ユウグレ が ほんの イッシュンジ しょうじさせて いる イッタイ の ケシキ は、 スベテ は いつも みなれた ドウグダテ ながら、 おそらく イマ を おいて は これほど の あふれる よう な コウフク の カンジ を もって ワタシタチ ジシン に すら ながめえられない だろう こと を かんがえて いた。 そして ずっと アト に なって、 いつか この うつくしい ユウグレ が ワタシ の ココロ に よみがえって くる よう な こと が あったら、 ワタシ は これ に ワタシタチ の コウフク ソノモノ の カンゼン な エ を みいだす だろう と ゆめみて いた。
「ナニ を そんな に かんがえて いる の?」 ワタシ の ハイゴ から セツコ が とうとう クチ を きった。
「ワタシタチ が ずっと アト に なって ね、 イマ の ワタシタチ の セイカツ を おもいだす よう な こと が あったら、 それ が どんな に うつくしい だろう と おもって いた ん だ」
「ホントウ に そう かも しれない わね」 カノジョ は そう ワタシ に ドウイ する の が さも たのしい か の よう に おうじた。
 それから また ワタシタチ は しばらく ムゴン の まま、 ふたたび おなじ フウケイ に みいって いた。 が、 その うち に ワタシ は フイ に なんだか、 こう やって うっとり と それ に みいって いる の が ジブン で ある よう な ジブン で ない よう な、 へんに ぼうばく と した、 トリトメ の ない、 そして それ が なんとなく くるしい よう な カンジ さえ して きた。 その とき ワタシ は ジブン の ハイゴ で ふかい イキ の よう な もの を きいた よう な キ が した。 が、 それ が また ジブン の だった よう な キ も された。 ワタシ は それ を たしかめ でも する よう に、 カノジョ の ほう を ふりむいた。
「そんな に イマ の……」 そういう ワタシ を じっと みかえしながら、 カノジョ は すこし しゃがれた コエ で いいかけた。 が、 それ を いいかけた なり、 すこし ためらって いた よう だった が、 それから キュウ に イマ まで とは ちがった うっちゃる よう な チョウシ で、 「そんな に いつまでも いきて いられたら いい わね」 と いいたした。
「また、 そんな こと を!」
 ワタシ は いかにも じれったい よう に ちいさく さけんだ。
「ごめんなさい」 カノジョ は そう みじかく こたえながら ワタシ から カオ を そむけた。
 イマシガタ まで の ナニ か ジブン にも ワケ の わからない よう な キブン が ワタシ には だんだん イッシュ の イラダタシサ に かわりだした よう に みえた。 ワタシ は それから もう イチド ヤマ の ほう へ メ を やった が、 その とき は すでに もう その フウケイ の ウエ に イッシュンカン しょうじて いた イヨウ な ウツクシサ は きえうせて いた。

 その バン、 ワタシ が トナリ の ソクシツ へ ね に ゆこう と した とき、 カノジョ は ワタシ を よびとめた。
「サッキ は ごめんなさい ね」
「もう いい ん だよ」
「ワタシ ね、 あの とき ホカ の こと を いおう と して いた ん だ けれど…… つい、 あんな こと を いって しまった の」
「じゃ、 あの とき ナニ を いおう と した ん だい?」
「……アナタ は いつか シゼン なんぞ が ホントウ に うつくしい と おもえる の は しんで いこう と する モノ の メ に だけ だ と おっしゃった こと が ある でしょう。 ……ワタシ、 あの とき ね、 それ を おもいだした の。 なんだか あの とき の ウツクシサ が そんな ふう に おもわれて」 そう いいながら、 カノジョ は ワタシ の カオ を ナニ か うったえたい よう に みつめた。
 その コトバ に ムネ を つかれ でも した よう に、 ワタシ は おもわず メ を ふせた。 その とき、 とつぜん、 ワタシ の アタマ の ナカ を ヒトツ の シソウ が よぎった。 そして サッキ から ワタシ を いらいら させて いた、 ナニ か ふたしか な よう な キブン が、 ようやく ワタシ の ウチ で はっきり と した もの に なりだした。…… 「そう だ、 オレ は どうして そいつ に キ が つかなかった の だろう? あの とき シゼン なんぞ を あんな に うつくしい と おもった の は オレ じゃ ない の だ。 それ は オレタチ だった の だ。 まあ いって みれば、 セツコ の タマシイ が オレ の メ を とおして、 そして ただ オレ の リュウギ で、 ゆめみて いた だけ なの だ。 ……それだのに、 セツコ が ジブン の サイゴ の シュンカン の こと を ゆめみて いる とも しらない で、 オレ は オレ で、 カッテ に オレタチ の ナガイキ した とき の こと なんぞ かんがえて いた なんて……」
 いつしか そんな カンガエ を とつおいつ しだして いた ワタシ が、 やっと メ を あげる まで、 カノジョ は サッキ と おなじ よう に ワタシ を じっと みつめて いた。 ワタシ は その メ を さける よう な カッコウ を しながら、 カノジョ の ウエ に かがみかけて、 その ヒタイ に そっと セップン した。 ワタシ は ココロ から はずかしかった。……

     ⁂

 とうとう マナツ に なった。 それ は ヘイチ で より も、 もっと モウレツ な くらい で あった。 ウラ の ゾウキバヤシ では、 ナニ か が もえだし でも した か の よう に、 セミ が ひねもす なきやまなかった。 ジュシ の ニオイ さえ、 あけはなした マド から ただよって きた。 ユウガタ に なる と、 コガイ で すこし でも ラク な コキュウ を する ため に、 バルコン まで ベッド を ひきださせる カンジャ たち が おおかった。 それら の カンジャ たち を みて、 ワタシタチ は はじめて、 コノゴロ にわか に サナトリウム の カンジャ たち の ふえだした こと を しった。 しかし、 ワタシタチ は あいかわらず ダレ にも かまわず に、 フタリ だけ の セイカツ を つづけて いた。
 コノゴロ、 セツコ は アツサ の ため に すっかり ショクヨク を うしない、 ヨル など も よく ねられない こと が おおい らしかった。 ワタシ は、 カノジョ の ヒルネ を まもる ため に、 マエ より も いっそう、 ロウカ の アシオト や、 マド から とびこんで くる ハチ や アブ など に キ を くばりだした。 そして アツサ の ため に おもわず おおきく なる ワタシ ジシン の コキュウ にも キ を もんだり した。
 そのよう に ビョウニン の マクラモト で、 イキ を つめながら、 カノジョ の ねむって いる の を みまもって いる の は、 ワタシ に とって も ヒトツ の ネムリ に ちかい もの だった。 ワタシ は カノジョ が ねむりながら コキュウ を はやく したり ゆるく したり する ヘンカ を くるしい ほど はっきり と かんじる の だった。 ワタシ は カノジョ と シンゾウ の コドウ を さえ ともに した。 ときどき かるい コキュウ コンナン が カノジョ を おそう らしかった。 そんな とき、 テ を すこし ケイレン させながら ノド の ところ まで もって いって それ を おさえる よう な テツキ を する、 ――ユメ に おそわれて でも いる の では ない か と おもって、 ワタシ が おこして やった もの か どう か と ためらって いる うち、 そんな くるしげ な ジョウタイ は やがて すぎ、 アト に シカン ジョウタイ が やって くる。 そう する と、 ワタシ も おもわず ほっと しながら、 イマ カノジョ の いきづいて いる しずか な コキュウ に ジブン まで が イッシュ の カイカン さえ おぼえる。 ――そうして カノジョ が メ を さます と、 ワタシ は そっと カノジョ の カミ に セップン を して やる。 カノジョ は まだ だるそう な メツキ で、 ワタシ を みる の だった。
「アナタ、 そこ に いた の?」
「ああ、 ボク も ここ で すこし うつらうつら して いた ん だ」
 そんな バン など、 ジブン も いつまでも ねつかれず に いる よう な こと が ある と、 ワタシ は それ が クセ に でも なった よう に、 ジブン でも しらず に、 テ を ノド に ちかづけながら それ を おさえる よう な テツキ を まねたり して いる。 そして それ に キ が ついた アト で、 それから やっと ワタシ は ホントウ の コキュウ コンナン を かんじたり する。 が、 それ は ワタシ には むしろ こころよい もの で さえ あった。

「コノゴロ なんだか オカオイロ が わるい よう よ」 ある ヒ、 カノジョ は イツモ より しげしげ と みながら いう の だった。 「どうか なすった の じゃ ない?」
「なんでも ない よ」 そう いわれる の は ワタシ の キ に いった。 「ボク は いつだって こう じゃ ない か?」
「あんまり ビョウニン の ソバ に ばかり いない で、 すこし は サンポ くらい なすって いらっしゃらない?」
「この あつい のに、 サンポ なんか できる もん か。 ……ヨル は ヨル で、 マックラ だし さ。 ……それに マイニチ、 ビョウイン の ナカ を ずいぶん いったり きたり して いる ん だ から なあ」
 ワタシ は そんな カイワ を それ イジョウ に すすめない ため に、 マイニチ ロウカ など で であったり する、 ホカ の カンジャ たち の ハナシ を もちだす の だった。 よく バルコン の フチ に ヒトカタマリ に なりながら、 ソラ を ケイバジョウ に、 うごいて いる クモ を いろいろ それ に にた ドウブツ に みたてあったり して いる ネンショウ の カンジャ たち の こと や、 いつも ツキソイ カンゴフ の ウデ に すがって、 アテ も なし に ロウカ を オウフク して いる、 ひどい シンケイ スイジャク の、 ブキミ な くらい セ の たかい カンジャ の こと など を はなして きかせたり した。 しかし、 ワタシ は まだ イチド も その カオ は みた こと が ない が、 いつも その ヘヤ の マエ を とおる たび ごと に、 キミ の わるい、 なんだか ぞっと する よう な セキ を ミミ に する レイ の ダイ 17 ゴウ-シツ の カンジャ の こと だけ は、 つとめて さける よう に して いた。 おそらく それ が この サナリウム-ジュウ で、 いちばん ジュウショウ の カンジャ なの だろう と おもいながら。……

 8 ガツ も ようやく スエ ちかく なった のに、 まだ ずっと ねぐるしい よう な バン が つづいて いた。 そんな ある バン、 ワタシタチ が なかなか ねつかれず に いる と、 (もう とっく に シュウミン ジカン の 9 ジ は すぎて いた。……) ずっと ムコウ の シタ の ビョウトウ が なんとなく そうぞうしく なりだした。 それに ときどき ロウカ を コバシリ に して ゆく よう な アシオト や、 おさえつけた よう な カンゴフ の ちいさな サケビ や、 キグ の するどく ぶつかる オト が まじった。 ワタシ は しばらく フアン そう に ミミ を かたむけて いた。 それ が やっと しずまった か と おもう と、 それ と そっくり な チンモク の ザワメキ が、 ほとんど ドウジ に、 あっち の ビョウトウ にも こっち の ビョウトウ にも おこりだした。 そして シマイ には ワタシタチ の すぐ シタ の ほう から も きこえて きた。
 ワタシ は、 イマ、 サナトリウム の ナカ を アラシ の よう に あばれまわって いる もの の ナン で ある か ぐらい は しって いた。 ワタシ は その カン に ナンド も ミミ を そばだてて は、 サッキ から アカリ は けして ある ものの、 まだ おなじ よう に ねつかれず に いる らしい リンシツ の ビョウニン の ヨウス を うかがった。 ビョウニン は ネガエリ さえ うたず に、 じっと して いる らしかった。 ワタシ も いきぐるしい ほど じっと しながら、 そんな アラシ が ひとりでに おとろえて くる の を まちつづけて いた。
 マヨナカ に なって から やっと それ が おとろえだす よう に みえた ので、 ワタシ は おもわず ほっと しながら すこし まどろみかけた が、 とつぜん、 リンシツ で ビョウニン が それまで ムリ に おさえつけて いた よう な シンケイテキ な セキ を フタツ ミッツ つよく した ので、 ふいと メ を さました。 そのまま すぐ その セキ は とまった よう だった が、 ワタシ は どうも キ に なって ならなかった ので、 そっと リンシツ に はいって いった。 マックラ な ナカ に、 ビョウニン は ヒトリ で おびえて でも いた よう に、 おおきく メ を みひらきながら、 ワタシ の ほう を みて いた。 ワタシ は なにも いわず に、 その ソバ に ちかづいた。
「まだ だいじょうぶ よ」
 カノジョ は つとめて ビショウ を しながら、 ワタシ に きこえる か きこえない くらい の コゴエ で いった。 ワタシ は だまった まま、 ベッド の フチ に コシ を かけた。
「そこ に いて ちょうだい」
 ビョウニン は イツモ に にず、 キヨワ そう に、 ワタシ に そう いった。 ワタシタチ は そうした まま まんじり とも しない で その ヨル を あかした。
 そんな こと が あって から、 2~3 ニチ する と、 キュウ に ナツ が おとろえだした。

     ⁂

 9 ガツ に なる と、 すこし アレモヨウ の アメ が ナンド と なく ふったり やんだり して いた が、 その うち に それ は ほとんど おやみなし に ふりつづきだした。 それ は キ の ハ を きばませる より サキ に、 それ を くさらせる か と みえた。 さしも の サナトリウム の ヘヤベヤ も、 マイニチ マド を しめきって、 うすぐらい ほど だった。 カゼ が ときどき ト を ばたつかせた。 そして ウラ の ゾウキバヤシ から、 タンチョウ な、 おもくるしい オト を ひきもぎった。 カゼ の ない ヒ は、 ワタシタチ は シュウジツ、 アメ が ヤネヅタイ に バルコン の ウエ に おちる の を きいて いた。 そんな アメ が やっと キリ に にだした ある ソウチョウ、 ワタシ は マド から、 バルコン の めんして いる ほそながい ナカニワ が いくぶん うすあかるく なって きた よう なの を ぼんやり と みおろして いた。 その とき、 ナカニワ の ムコウ の ほう から、 ヒトリ の カンゴフ が、 そんな キリ の よう な アメ の ナカ を そこここ に さきみだれて いる ノギク や コスモス を てあたりしだい に とりながら、 こっち へ むかって ちかづいて くる の が みえた。 ワタシ は それ が あの ダイ 17 ゴウ-シツ の ツキソイ カンゴフ で ある こと を みとめた。 「ああ、 あの いつも フカイ な セキ ばかり きいて いた カンジャ が しんだ の かも しれない なあ」 ふと そんな こと を おもいながら、 アメ に ぬれた まま なんだか コウフン した よう に なって まだ ハナ を とって いる その カンゴフ の スガタ を みつめて いる うち に、 ワタシ は キュウ に シンゾウ が しめつけられる よう な キ が しだした。 「やっぱり ここ で いちばん おもかった の は アイツ だった の かな? が、 アイツ が とうとう しんで しまった と する と、 コンド は?…… ああ、 あんな こと を インチョウ が いって くれなければ よかった ん だに……」
 ワタシ は その カンゴフ が おおきな ハナタバ を かかえた まま バルコン の カゲ に かくれて しまって から も、 うつけた よう に マドガラス に カオ を くっつけて いた。
「ナニ を そんな に みて いらっしゃる の?」 ベッド から ビョウニン が ワタシ に とうた。
「こんな アメ の ナカ で、 サッキ から ハナ を とって いる カンゴフ が いる ん だ けれど、 あれ は ダレ だろう かしら?」
 ワタシ は そう ヒトリゴト の よう に つぶやきながら、 やっと その マド から はなれた。

 しかし、 その ヒ は とうとう イチニチジュウ、 ワタシ は なんだか ビョウニン の カオ を マトモ に みられず に いた。 なにもかも みぬいて いながら、 わざと しらぬ よう な ヨウス を して、 ときどき ワタシ の ほう を じっと ビョウニン が みて いる よう な キ さえ されて、 それ が ワタシ を いっそう くるしめた。 こんな ふう に おたがいに わかたれない フアン や キョウフ を いだきはじめて、 フタリ が フタリ で すこし ずつ ベツベツ に モノ を かんがえだす なんて いう こと は、 いけない こと だ と おもいかえして は、 ワタシ は はやく こんな デキゴト は わすれて しまおう と つとめながら、 また いつのまにやら その こと ばかり を アタマ に うかべて いた。 そして シマイ には、 ワタシタチ が この サナトリウム に はじめて ついた ユキ の ふる バン に ビョウニン が みた と いう ユメ、 ハジメ は それ を きくまい と しながら ついに うちまけて ビョウニン から それ を ききだして しまった あの フキツ な ユメ の こと まで、 イマ まで ずっと わすれて いた のに、 ひょっくり おもいうかべたり して いた。 ――その フシギ な ユメ の ナカ で、 ビョウニン は シガイ に なって カン の ナカ に ねて いた。 ヒトビト は その カン を にないながら、 どこ だ か しらない ノハラ を よこぎったり、 モリ の ナカ へ はいったり した。 もう しんで いる カノジョ は しかし、 カン の ナカ から、 すっかり ふゆがれた ノヅラ や、 くろい モミ の キ など を ありあり と みたり、 その ウエ を さびしく ふいて すぎる カゼ の オト を ミミ に きいたり して いた、 ……その ユメ から さめて から も、 カノジョ は ジブン の ミミ が とても つめたくて、 モミ の ザワメキ が まだ それ を みたして いる の を まざまざ と かんじて いた。……
 
 そんな キリ の よう な アメ が なお スウジツ ふりつづいて いる うち に、 すでに もう ホカ の キセツ に なって いた。 サナトリウム の ナカ も、 キ が ついて みる と、 あれだけ タスウ に なって いた カンジャ たち も ヒトリ さり フタリ さり して、 その アト には この フユ を こちら で こさなければ ならない よう な おもい カンジャ たち ばかり が とりのこされ、 また、 ナツ の マエ の よう な サビシサ に かわりだして いた。 ダイ 17 ゴウ-シツ の カンジャ の シ が それ を キュウ に めだたせた。
 9 ガツ の スエ の ある アサ、 ワタシ が ロウカ の キタガワ の マド から なにげなし に ウラ の ゾウキバヤシ の ほう へ メ を やって みる と、 その きりぶかい ハヤシ の ナカ に いつ に なく ヒト が でたり はいったり して いる の が イヨウ に かんじられた。 カンゴフ たち に きいて みて も なにも しらない よう な ヨウス を して いた。 それっきり ワタシ も つい わすれて いた が、 ヨクジツ も また、 ソウチョウ から 2~3 ニン の ニンプ が きて、 その オカ の フチ に ある クリ の キ らしい もの を きりたおしはじめて いる の が キリ の ナカ に みえたり かくれたり して いた。
 その ヒ、 ワタシ は カンジャ たち が まだ ダレ も しらず に いる らしい その ゼンジツ の デキゴト を、 ふとした こと から ききしった。 それ は なんでも、 レイ の キミ の わるい シンケイ スイジャク の カンジャ が その ハヤシ の ナカ で イシ して いた と いう ハナシ だった。 そう いえば、 どうか する と ヒ に ナンド も みかけた、 あの ツキソイ カンゴフ の ウデ に すがって ロウカ を いったり きたり して いた おおきな オトコ が、 キノウ から キュウ に スガタ を けして しまって いる こと に キ が ついた。
「あの オトコ の バン だった の か……」 ダイ 17 ゴウ-シツ の カンジャ が しんで から と いう もの すっかり シンケイシツ に なって いた ワタシ は、 それから まだ 1 シュウカン と たたない うち に ひきつづいて おこった そんな おもいがけない シ の ため に、 おもわず ほっと した よう な キモチ に なった。 そして それ は、 そんな インサン な シ から とうぜん ワタシ が うけた に ちがいない キミワルサ すら、 ワタシ には その ため に ほとんど かんぜられず に しまった と いって いい ほど で あった。
「こないだ しんだ ヤツ の ツギ くらい に わるい と いわれて いたって、 なにも しぬ と きまって いる ワケ の もの じゃ ない ん だ から なあ」 ワタシ は そう キガル そう に ジブン に むかって いって きかせたり した。
 ウラ の ハヤシ の ナカ の クリ の キ が 2~3 ボン ばかり きりとられて、 なんだか マ の ぬけた よう に なって しまった アト は、 コンド は その オカ の フチ を、 ひきつづき ニンプ たち が きりくずしだし、 そこ から すこし キュウ な ケイシャ で さがって いる ビョウトウ の キタガワ に そった すこし ばかり の アキチ に その ツチ を はこんで は、 そこいら イッタイ を ゆるやか な ナゾエ に しはじめて いた。 ヒト は そこ を カダン に かえる シゴト に とりかかって いる の だ。

     ⁂

「オトウサン から オテガミ だよ」
 ワタシ は カンゴフ から わたされた ヒトタバ の テガミ の ナカ から、 その ヒトツ を セツコ に わたした。 カノジョ は ベッド に ねた まま それ を うけとる と、 キュウ に ショウジョ-らしく メ を かがやかせながら、 それ を よみだした。
「あら、 オトウサマ が いらっしゃる ん ですって」
 リョコウチュウ の チチ は、 その キト を リヨウ して ちかい うち に サナトリウム へ たちよる と いう こと を かいて よこした の だった。
 それ は ある 10 ガツ の よく はれた、 しかし カゼ の すこし つよい ヒ だった。 チカゴロ、 ネタキリ だった ので ショクヨク が おとろえ、 やや ヤセ の めだつ よう に なった セツコ は、 その ヒ から つとめて ショクジ を し、 ときどき ベッド の ウエ に おきて いたり、 こしかけたり しだした。 カノジョ は また ときどき オモイダシ ワライ の よう な もの を カオ の ウエ に ただよわせた。 ワタシ は それ に カノジョ が いつも チチ の マエ で のみ うかべる ショウジョ-らしい ビショウ の シタガキ の よう な もの を みとめた。 ワタシ は そういう カノジョ の する が まま に させて いた。

 それから スウジツ たった ある ゴゴ、 カノジョ の チチ は やって きた。
 カレ は いくぶん マエ より か カオ にも オイ を みせて いた が、 それ より も もっと めだつ ほど セナカ を かがめる よう に して いた。 それ が なんとはなし に ビョウイン の クウキ を カレ が おそれ でも して いる よう な ヨウス に みせた。 そうして ビョウシツ へ はいる なり、 カレ は いつも ワタシ の すわりつけて いる ビョウニン の マクラモト に コシ を おろした。 ここ スウジツ、 すこし カラダ を うごかしすぎた せい か、 キノウ の ユウガタ いくらか ネツ を だし、 イシャ の イイツケ で、 カノジョ は その キタイ も むなしく、 アサ から ずっと アンセイ を めいじられて いた。
 ほとんど もう ビョウニン は なおりかけて いる もの と おもいこんで いた らしい のに、 まだ そうして ネタキリ で いる の を みて、 チチ は すこし フアン そう な ヨウス だった。 そして その ゲンイン を しらべ でも する か の よう に、 ビョウシツ の ナカ を シサイ に みまわしたり、 カンゴフ たち の イチイチ の ドウサ を みまもったり、 それから バルコン に まで でて いって みたり して いた が、 それら は いずれ も カレ を マンゾク させた らしかった。 その うち に ビョウニン が だんだん コウフン より も ネツ の せい で ホオ を バライロ に させだした の を みる と、 「しかし カオイロ は とても いい」 と、 ムスメ が どこ か よく なって いる こと を ジブン ジシン に ナットク させたい か の よう に、 それ ばかり くりかえして いた。
 ワタシ は それから ヨウジ を コウジツ に して ビョウシツ を でて ゆき、 カレラ を フタリ きり に させて おいた。 やがて しばらく して から、 ふたたび はいって いって みる と、 ビョウニン は ベッド の ウエ に おきなおって いた。 そして カケフ の ウエ に、 チチ の もって きた カシバコ や ホカ の カミヅツミ を いっぱい に ひろげて いた。 それ は ショウジョ ジダイ カノジョ の すき だった、 そして イマ でも すき だ と チチ の おもって いる よう な もの ばかり らしかった。 ワタシ を みる と、 カノジョ は まるで イタズラ を みつけられた ショウジョ の よう に、 カオ を あかく しながら、 それ を かたづけ、 すぐ ヨコ に なった。
 ワタシ は いくぶん キヅマリ に なりながら、 フタリ から すこし はなれて、 マドギワ の イス に こしかけた。 フタリ は、 ワタシ の ため に チュウダン された らしい ハナシ の ツヅキ を、 サッキ より も コゴエ で、 つづけだした。 それ は ワタシ の しらない ナジミ の ヒトビト や コトガラ に かんする もの が おおかった。 その ウチ の ある もの は、 カノジョ に、 ワタシ の しりえない よう な ちいさな カンドウ を さえ あたえて いる らしかった。
 ワタシ は フタリ の さも たのしげ な タイワ を ナニ か そういう エ でも みて いる か の よう に、 みくらべて いた。 そして そんな カイワ の アイダ に チチ に しめす カノジョ の ヒョウジョウ や ヨクヨウ の ウチ に、 ナニ か ヒジョウ に ショウジョ-らしい カガヤキ が よみがえる の を ワタシ は みとめた。 そして そんな カノジョ の こどもらしい コウフク の ヨウス が、 ワタシ に、 ワタシ の しらない カノジョ の ショウジョ ジダイ の こと を ゆめみさせて いた。……
 ちょっと の アイダ、 ワタシタチ が フタリ きり に なった とき、 ワタシ は カノジョ に ちかづいて、 からかう よう に ミミウチ した。
「オマエ は キョウ は なんだか みしらない バライロ の ショウジョ みたい だよ」
「しらない わ」 カノジョ は まるで コムスメ の よう に カオ を リョウテ で かくした。

     ⁂

 チチ は フツカ タイザイ して いった。
 シュッパツ する マエ、 チチ は ワタシ を アンナイヤク に して、 サナトリウム の マワリ を あるいた。 が、 それ は ワタシ と フタリ きり で はなす の が モクテキ だった。 ソラ には クモ ヒトツ ない くらい に はれきった ヒ だった。 いつ に なく くっきり と あかちゃけた ヤマハダ を みせて いる ヤツガタケ など を ワタシ が さして しめして も、 チチ は それ には ちょっと メ を あげる きり で、 ネッシン に ハナシ を つづけて いた。
「ここ は どうも あれ の カラダ には むかない の では ない だろう か? もう ハントシ イジョウ にも なる の だ から、 もうすこし よく なって いそう な もの だ が……」
「さあ、 コトシ の ナツ は どこ も キコウ が わるかった の では ない でしょう か? それに こういう ヤマ の リョウヨウジョ なんぞ は フユ が いい の だ と いいます が……」
「それ は フユ まで シンボウ して いられれば いい の かも しれん が…… しかし あれ には フユ まで ガマン できまい……」
「しかし ジブン では フユ も いる キ で いる よう です よ」 ワタシ は こういう ヤマ の コドク が どんな に ワタシタチ の コウフク を はぐくんで いて くれる か と いう こと を、 どう したら チチ に リカイ させられる だろう か と もどかしがりながら、 しかし そういう ワタシタチ の ため に チチ の はらって いる ギセイ の こと を おもえば なんとも それ を いいだしかねて、 ワタシタチ の ちぐはぐ な タイワ を つづけて いた。 「まあ、 せっかく ヤマ へ きた の です から、 いられる だけ いて みる よう に なさいません か?」
「……だが、 アナタ も フユ まで イッショ に いて くだされる の か?」
「ええ、 もちろん います とも」
「それ は アナタ には ホントウ に すまん な。 ……だが、 アナタ は、 イマ シゴト は して おられる の か?」
「いいえ……」
「しかし、 アナタ も ビョウニン に ばかり かまって おらず に、 シゴト も すこし は なさらなければ いけない ね」
「ええ、 これから すこし……」 と ワタシ は くちごもる よう に いった。
 ―― 「そう だ、 オレ は ずいぶん ながい こと オレ の シゴト を うっちゃらかして いた なあ。 なんとか して イマ の うち に シゴト も しださなけりゃあ いけない」 ……そんな こと まで かんがえだしながら、 なにかしら ワタシ は キモチ が いっぱい に なって きた。 それから ワタシタチ は しばらく ムゴン の まま、 オカ の ウエ に たたずみながら、 いつのまにか ニシ の ほう から ナカゾラ に ずんずん ひろがりだした ムスウ の ウロコ の よう な クモ を じっと みあげて いた。
 やがて ワタシタチ は もう すっかり キ の ハ の きばんだ ゾウキバヤシ の ナカ を とおりぬけて、 ウラテ から ビョウイン へ かえって いった。 その ヒ も、 ニンプ が 2~3 ニン で、 レイ の オカ を きりくずして いた。 その ソバ を とおりすぎながら、 ワタシ は 「なんでも ここ へ カダン を こしらえる ん だ そう です よ」 と いかにも なにげなさそう に いった きり だった。

 ユウガタ テイシャバ まで チチ を ミオクリ に いって、 ワタシ が かえって きて みる と、 ビョウニン は ベッド の ナカ で カラダ を ヨコムキ に しながら、 はげしい セキ に むせって いた。 こんな に はげしい セキ は これまで イチド も した こと は ない くらい だった。 その ホッサ が すこし しずまる の を まちながら、 ワタシ が、
「どうした ん だい?」 と たずねる と、
「なんでも ない の。 ……じき とまる わ」 ビョニン は それ だけ やっと こたえた。 「その ミズ を ちょうだい」
 ワタシ は フラスコ から コップ に ミズ を すこし ついで、 それ を カノジョ の クチ に もって いって やった。 カノジョ は それ を ヒトクチ のむ と、 しばらく ヘイセイ に して いた が、 そんな ジョウタイ は みじかい アイダ に すぎ、 またも、 サッキ より も はげしい くらい の ホッサ が カノジョ を おそった。 ワタシ は ほとんど ベッド の ハシ まで のりだして、 ミモダエ して いる カノジョ を どう シヨウ も なく、 ただ こう きいた ばかり だった。
「カンゴフ を よぼう か?」
「…………」
 カノジョ は その ホッサ が しずまって も、 いつまでも くるしそう に カラダ を ねじらせた まま、 リョウテ で カオ を おおいながら、 ただ うなずいて みせた。
 ワタシ は カンゴフ を よび に いった。 そして ワタシ に かまわず サキ に はしって いった カンゴフ の すこし アト から ビョウシツ へ はいって ゆく と、 ビョウニン は その カンゴフ に リョウテ で ささえられる よう に しながら、 いくぶん ラク そう な シセイ に かえって いた。 が、 カノジョ は うつけた よう に ぼんやり と メ を みひらいて いる きり だった。 セキ の ホッサ は イチジ とまった らしかった。
 カンゴフ は カノジョ を ささえて いた テ を すこし ずつ はなしながら、
「もう とまった わね。 ……すこうし、 そのまま じっと して いらっしゃい ね」 と いって、 みだれた モウフ など を なおしたり しはじめた。 「イマ チュウシャ を たのんで きて あげる わ」
 カンゴフ は ヘヤ を でて ゆきながら、 どこ に いて いい か わからなく なって ドア の ところ に ボウダチ に たって いた ワタシ に、 ちょっと ミミウチ した。 「すこし ケッタン を だして よ」
 ワタシ は やっと カノジョ の マクラモト に ちかづいて いった。
 カノジョ は ぼんやり と メ は みひらいて いた が、 なんだか ねむって いる と しか おもえなかった。 ワタシ は その あおざめた ヒタイ に ほつれて ちいさな ウズ を まいて いる カミ を かきあげて やりながら、 その つめたく あせばんだ ヒタイ を ワタシ の テ で そっと なでた。 カノジョ は やっと ワタシ の あたたかい ソンザイ を それ に かんじ でも した か の よう に、 ちらっと ナゾ の よう な ビショウ を クチビル に ただよわせた。

     ⁂

 ゼッタイ アンセイ の ヒビ が つづいた。
 ビョウシツ の マド は すっかり きいろい ヒオオイ を おろされ、 ナカ は うすぐらく されて いた。 カンゴフ たち も アシ を つまだてて あるいた。 ワタシ は ほとんど ビョウニン の マクラモト に ツキッキリ で いた。 ヨトギ も ヒトリ で ひきうけて いた。 ときどき ビョウニン は ワタシ の ほう を みて ナニ か いいだしそう に した。 ワタシ は それ を いわせない よう に、 すぐ ユビ を ワタシ の クチ に あてた。
 そのよう な チンモク が、 ワタシタチ を それぞれ カクジ の カンガエ の ウチ に ひっこませて いた。 が、 ワタシタチ は ただ アイテ が ナニ を かんがえて いる の か を、 いたい ほど はっきり と かんじあって いた。 そして ワタシ が、 コンド の デキゴト を あたかも ジブン の ため に ビョウニン が ギセイ に して いて くれた もの が、 ただ メ に みえる もの に かわった だけ か の よう に おもいつめて いる アイダ、 ビョウニン は また ビョウニン で、 これまで フタリ して あんな にも サイシン に サイシン に と そだてあげて きた もの を ジブン の カルハズミ から イッシュン に うちこわして しまい でも した よう に くいて いる らしい の が、 はっきり と ワタシ に かんじられた。
 そして そういう ジブン の ギセイ を ギセイ とも しない で、 ジブン の カルハズミ な こと ばかり を せめて いる よう に みえる ビョウニン の いじらしい キモチ が、 ワタシ の ココロ を しめつけて いた。 そういう ギセイ を まで ビョウニン に トウゼン の ダイショウ の よう に はらわせながら、 それ が いつ シ の トコ に なる かも しれぬ よう な ベッド で、 こうして ビョウニン と ともに たのしむ よう に して あじわって いる セイ の カイラク―― それ こそ ワタシタチ を、 このうえなく コウフク に させて くれる もの だ と ワタシタチ が しんじて いる もの、 ――それ は はたして ワタシタチ を ホントウ に マンゾク させおおせる もの だろう か? ワタシタチ が イマ ワタシタチ の コウフク だ と おもって いる もの は、 ワタシタチ が それ を しんじて いる より は、 もっと ツカノマ の もの、 もっと キマグレ に ちかい よう な もの では ない だろう か?……
 ヨトギ に つかれた ワタシ は、 ビョウニン の まどろんで いる ソバ で、 そんな カンガエ を とつおいつ しながら、 コノゴロ ともすれば ワタシタチ の コウフク が ナニモノ か に おびやかされがち なの を、 フアン そう に かんじて いた。

 その キキ は、 しかし、 1 シュウカン ばかり で たちのいた。
 ある アサ、 カンゴフ が やっと ビョウシツ から ヒオオイ を とりのけて、 マド の イチブ を あけはなして いった。 マド から さしこんで くる アキ-らしい ニッコウ を まぶしそう に しながら、
「キモチ が いい わ」 と ビョウニン は ベッド の ナカ から よみがえった よう に いった。
 カノジョ の マクラモト で シンブン を ひろげて いた ワタシ は、 ニンゲン に おおきな ショウドウ を あたえる デキゴト なんぞ と いう もの は かえって それ が すぎさった アト は なんだか まるで ヨソ の こと の よう に みえる もの だなあ と おもいながら、 そういう カノジョ の ほう を ちらり と みやって、 おもわず ヤユ する よう な チョウシ で いった。
「もう オトウサン が きたって、 あんな に コウフン しない ほう が いい よ」
 カノジョ は カオ を こころもち あからめながら、 そんな ワタシ の ヤユ を すなお に うけいれた。
「コンド は オトウサマ が いらっしたって しらん カオ を して いて やる わ」
「それ が オマエ に できる ん なら ねえ……」
 そんな ふう に ジョウダン でも いいあう よう に、 ワタシタチ は おたがいに アイテ の キモチ を いたわりあう よう に しながら、 イッショ に なって こどもらしく、 スベテ の セキニン を カノジョ の チチ に おしつけあったり した。
 そうして ワタシタチ は すこしも わざとらしく なく、 この 1 シュウカン の デキゴト が ほんの ナニ か の マチガイ に すぎなかった よう な、 キガル な キブン に なりながら、 イマシガタ まで ワタシタチ を ニクタイテキ ばかり で なく、 セイシンテキ にも おそいかかって いる よう に みえた キキ を、 こともなげ に きりぬけだして いた。 すくなくとも ワタシタチ には そう みえた。……

 ある バン、 ワタシ は カノジョ の ソバ で ホン を よんで いる うち、 とつぜん、 それ を とじて、 マド の ところ に ゆき、 しばらく かんがえぶかそう に たたずんで いた。 それから また、 カノジョ の ソバ に かえった。 ワタシ は ふたたび ホン を とりあげて、 それ を よみだした。
「どうした の?」 カノジョ は カオ を あげながら ワタシ に とうた。
「なんでも ない」 ワタシ は ムゾウサ に そう こたえて、 スウビョウ-ジ ホン の ほう に キ を とられて いる よう な ヨウス を して いた が、 とうとう ワタシ は クチ を きった。
「こっち へ きて あんまり なにも せず に しまった から、 ボク は これから シゴト でも しよう か と かんがえだして いる のさ」
「そう よ、 オシゴト を なさらなければ いけない わ。 オトウサマ も それ を シンパイ なさって いた わ」 カノジョ は マジメ な カオツキ を して ヘンジ を した。 「ワタシ なんか の こと ばかり かんがえて いない で……」
「いや、 オマエ の こと を もっと もっと かんがえたい ん だ……」 ワタシ は その とき トッサ に アタマ に うかんで きた ある ショウセツ の ばく と した イデー を すぐ その バ で おいまわしだしながら、 ヒトリゴト の よう に いいつづけた。 「オレ は オマエ の こと を ショウセツ に かこう と おもう の だよ。 それ より ホカ の こと は イマ の オレ には かんがえられそう も ない の だ。 オレタチ が こうして おたがいに あたえあって いる この コウフク、 ――ミナ が もう イキドマリ だ と おもって いる ところ から はじまって いる よう な この セイ の タノシサ、 ――そういった ダレ も しらない よう な、 オレタチ だけ の もの を、 オレ は もっと カクジツ な もの に、 もうすこし カタチ を なした もの に おきかえたい の だ。 わかる だろう?」
「わかる わ」 カノジョ は ジブン ジシン の カンガエ でも おう か の よう に ワタシ の カンガエ を おって いた らしく、 それ に すぐ おうじた。 が、 それから クチ を すこし ゆがめる よう に わらいながら、
「ワタシ の こと なら どうでも おすき な よう に おかきなさい な」 と ワタシ を かるく あしらう よう に いいたした。
 ワタシ は しかし、 その コトバ を ソッチョク に うけとった。
「ああ、 それ は オレ の すき な よう に かく とも さ。 ……が、 コンド の やつ は オマエ にも たんと ジョリョク して もらわなければ ならない の だよ」
「ワタシ にも できる こと なの?」
「ああ、 オマエ には ね、 オレ の シゴト の アイダ、 アタマ から アシ の サキ まで シアワセ に なって いて もらいたい ん だ。 そう で ない と……」
 ヒトリ で ぼんやり と カンガエゴト を して いる の より も、 こう やって フタリ で イッショ に かんがえあって いる みたい な ほう が、 よけい ジブン の アタマ が カッパツ に はたらく の を イヨウ に かんじながら、 ワタシ は アト から アト から と わいて くる シソウ に おされ でも する か の よう に、 ビョウシツ の ナカ を いつか いったり きたり しだして いた。
「あんまり ビョウニン の ソバ に ばかり いる から、 ゲンキ が なくなる のよ。 ……すこし は サンポ でも して いらっしゃらない?」
「うん、 オレ も シゴト を する と なりゃあ」 と ワタシ は メ を かがやかせながら、 ゲンキ よく こたえた。 「うんと サンポ も する よ」

     ⁂

 ワタシ は その モリ を でた。 おおきな サワ を へだてながら、 ムコウ の モリ を こして、 ヤツガタケ の サンロク イッタイ が ワタシ の メノマエ に はてしなく テンカイ して いた が、 その ずっと ゼンポウ、 ほとんど その モリ と スレスレ ぐらい の ところ に、 ヒトツ の せまい ムラ と その かたむいた コウサクチ と が よこたわり、 そして、 その イチブ に イクツ も の あかい ヤネ を ツバサ の よう に ひろげた サナトリウム の タテモノ が、 ごく ちいさな スガタ に なりながら しかし メイリョウ に みとめられた。
 ワタシ は ソウチョウ から、 どこ を どう あるいて いる の か も しらず に、 アシ の むく まま、 ジブン の カンガエ に すっかり ミ を まかせきった よう に なって、 モリ から モリ へ と さまよいつづけて いた の だった が、 イマ、 そんな ふう に ワタシ の マノアタリ に、 アキ の すんだ クウキ が おもいがけず に ちかよせて いる サナトリウム の ちいさな スガタ を、 フイ に シヤ に いれた セツナ、 ワタシ は キュウ に ナニ か ジブン に ついて いた もの から さめた よう な キモチ で、 その タテモノ の ナカ で タスウ の ビョウニン たち に とりかこまれながら、 マイニチ マイニチ を なにげなさそう に すごして いる ワタシタチ の セイカツ の イヨウサ を、 はじめて それ から ひきはなして かんがえだした。 そうして サッキ から ジブン の ウチ に わきたって いる セイサクヨク に それ から それ へ と うながされながら、 ワタシ は そんな ワタシタチ の キミョウ な ヒゴト ヒゴト を ヒトツ の イジョウ に パセティック な、 しかも ものしずか な モノガタリ に おきかえだした。…… 「セツコ よ、 これまで フタリ の モノ が こんな ふう に あいしあった こと が あろう とは おもえない。 イマ まで オマエ と いう もの は いなかった の だ もの。 それから ワタシ と いう もの も……」
 ワタシ の ムソウ は、 ワタシタチ の ウエ に おこった サマザマ な ジブツ の ウエ を、 ある とき は ジンソク に すぎ、 ある とき は じっと ヒトトコロ に テイタイ し、 いつまでも いつまでも ためらって いる よう に みえた。 ワタシ は セツコ から トオク に はなれて は いた が、 その カン たえず カノジョ に はなしかけ、 そして カノジョ の こたえる の を きいた。 そういう ワタシタチ に ついて の モノガタリ は、 セイ ソノモノ の よう に、 ハテシ が ない よう に おもわれた。 そうして その モノガタリ は いつのまにか それ ジシン の チカラ で もって いきはじめ、 ワタシ に かまわず カッテ に テンカイ しだしながら、 ともすれば ヒトトコロ に テイタイ しがち な ワタシ を そこ に とりのこした まま、 その モノガタリ ジシン が あたかも そういう ケッカ を ほっし でも する か の よう に、 やめる オンナ シュジンコウ の ものがなしい シ を サクイ しだして いた。 ――ミ の オワリ を ヨカク しながら、 その おとろえかかって いる チカラ を つくして、 つとめて カイカツ に、 つとめて けだかく いきよう と して いた ムスメ、 ――コイビト の ウデ に だかれながら、 ただ その のこされる モノ の カナシミ を かなしみながら、 ジブン は さも コウフク そう に しんで いった ムスメ、 ――そんな ムスメ の エイゾウ が クウ に えがいた よう に はっきり と うかんで くる。…… 「オトコ は ジブン たち の アイ を いっそう ジュスイ な もの に しよう と こころみて、 ビョウシン の ムスメ を さそう よう に して ヤマ の サナトリウム に はいって ゆく が、 シ が カレラ を おびやかす よう に なる と、 オトコ は こうして カレラ が えよう と して いる コウフク は、 はたして それ が カンゼン に えられた に して も カレラ ジシン を マンゾク させうる もの か どう か を、 しだいに うたがう よう に なる。 ――が、 ムスメ は その シク の ウチ に サイゴ まで ジブン を セイジツ に カイホウ して くれた こと を オトコ に カンシャ しながら、 さも マンゾク そう に しんで ゆく。 そして オトコ は そういう けだかい シシャ に たすけられながら、 やっと ジブン たち の ささやか な コウフク を しんずる こと が できる よう に なる……」
 そんな モノガタリ の ケツマツ が まるで そこ に ワタシ を まちぶせて でも いた か の よう に みえた。 そして とつぜん、 そんな シ に ひんした ムスメ の エイゾウ が おもいがけない ハゲシサ で ワタシ を うった。 ワタシ は あたかも ユメ から さめた か の よう に なんとも かとも イイヨウ の ない キョウフ と シュウチ と に おそわれた。 そして そういう ムソウ を ジブン から ふりはらおう と でも する よう に、 ワタシ は こしかけて いた ブナ の ハダカネ から あらあらしく たちあがった。
 タイヨウ は すでに たかく のぼって いた。 ヤマ や モリ や ムラ や ハタケ、 ――そうした スベテ の もの は アキ の おだやか な ヒ の ナカ に いかにも アンテイ した よう に うかんで いた。 かなた に ちいさく みえる サナトリウム の タテモノ の ナカ でも、 スベテ の モノ は マイニチ の シュウカン を ふたたび とりだして いる の に ちがいなかった。 そのうち フイ に、 それら の みしらぬ ヒトビト の アイダ で、 イツモ の シュウカン から とりのこされた まま、 ヒトリ で しょんぼり と ワタシ を まって いる セツコ の さびしそう な スガタ を アタマ に うかべる と、 ワタシ は キュウ に それ が キ に なって たまらない よう に、 いそいで ヤマミチ を おりはじめた。
 ワタシ は ウラ の ハヤシ を ぬけて サナトリウム に かえった。 そして バルコン を ウカイ しながら、 いちばん ハズレ の ビョウシツ に ちかづいて いった。 ワタシ には すこしも キ が つかず に、 セツコ は、 ベッド の ウエ で、 いつも して いる よう に カミ の サキ を テ で いじりながら、 いくぶん かなしげ な メツキ で クウ を みつめて いた。 ワタシ は マドガラス を ユビ で たたこう と した の を ふと おもいとどまりながら、 そういう カノジョ の スガタ を じっと みいった。 カノジョ は ナニ か に おびやかされて いる の を やっと こらえて いる と でも いった ヨウス で、 それでいて そんな ヨウス を して いる こと など は おそらく カノジョ ジシン も キ が ついて いない の だろう と おもえる くらい、 ぼんやり して いる らしかった。 ……ワタシ は シンゾウ を しめつけられる よう な キ が しながら、 そんな みしらない カノジョ の スガタ を みつめて いた。 ……と とつぜん、 カノジョ の カオ が あかるく なった よう だった。 カノジョ は カオ を もたげて、 ビショウ さえ しだした。 カノジョ は ワタシ を みとめた の だった。
 ワタシ は バルコン から はいりながら、 カノジョ の ソバ に ちかづいて いった。
「ナニ を かんがえて いた の?」
「なんにも……」 カノジョ は なんだか ジブン の で ない よう な コエ で ヘンジ を した。
 ワタシ が そのまま なにも いいださず に、 すこし キ が ふさいだ よう に だまって いる と、 カノジョ は やっと イツモ の ジブン に かえった よう な、 シンミツ な コエ で、
「どこ へ いって いらしった の? ずいぶん ながかった のね」
 と ワタシ に きいた。
「ムコウ の ほう だ」 ワタシ は ムゾウサ に バルコン の マショウメン に みえる とおい モリ の ほう を さした。
「まあ、 あんな ところ まで いった の?…… オシゴト は できそう?」
「うん、 まあ……」 ワタシ は ひどく ブアイソウ に こたえた きり、 しばらく また モト の よう な ムゴン に かえって いた が、 それから だしぬけ に ワタシ は、
「オマエ、 イマ の よう な セイカツ に マンゾク して いる かい?」
 と いくらか うわずった よう な コエ で きいた。
 カノジョ は そんな トッピョウシ も ない シツモン に ちょっと たじろいた ヨウス を して いた が、 それから ワタシ を じっと みつめかえして、 いかにも それ を カクシン して いる よう に うなずきながら、
「どうして そんな こと を おきき に なる の?」
 と いぶかしそう に といかえした。
「オレ は なんだか イマ の よう な セイカツ が オレ の キマグレ なの じゃ ない か と おもった ん だ。 そんな もの を いかにも ダイジ な もの の よう に こう やって オマエ にも……」
「そんな こと いっちゃ いや」 カノジョ は キュウ に ワタシ を さえぎった。 「そんな こと を おっしゃる の が アナタ の キマグレ なの」
 けれども ワタシ は そんな コトバ には まだ マンゾク しない よう な ヨウス を みせて いた。 カノジョ は そういう ワタシ の しずんだ ヨウス を しばらく は ただ もじもじ しながら みまもって いた が、 とうとう こらえきれなく なった と でも いう よう に いいだした。
「ワタシ が ここ で もって、 こんな に マンゾク して いる の が、 アナタ には おわかり に ならない の? どんな に カラダ の わるい とき でも、 ワタシ は イチド だって ウチ へ かえりたい なんぞ と おもった こと は ない わ。 もし アナタ が ワタシ の ソバ に いて くださらなかったら、 ワタシ は ホントウ に どう なって いた でしょう?…… サッキ だって、 アナタ が オルス の アイダ、 サイショ の うち は それでも アナタ の オカエリ が おそければ おそい ほど、 おかえり に なった とき の ヨロコビ が ヨケイ に なる ばかり だ と おもって、 ヤセガマン して いた ん だ けれど、 ――アナタ が もう おかえり に なる と ワタシ の おもいこんで いた ジカン を ずうっと すぎて も おかえり に ならない ので、 シマイ には とても フアン に なって きた の。 そう したら、 いつも アナタ と イッショ に いる この ヘヤ まで が なんだか みしらない ヘヤ の よう な キ が して きて、 こわく なって ヘヤ の ナカ から とびだしたく なった くらい だった わ。 ……でも、 それから やっと アナタ の いつか おっしゃった オコトバ を かんがえだしたら、 すこうし キ が おちついて きた の。 アナタ は いつか ワタシ に こう おっしゃった でしょう、 ――ワタシタチ の イマ の セイカツ、 ずっと アト に なって おもいだしたら どんな に うつくしい だろう って……」
 カノジョ は だんだん しゃがれた よう な コエ に なりながら それ を いいおえる と、 イッシュ の ビショウ とも つかない よう な もの で クチモト を ゆがめながら、 ワタシ を じっと みつめた。
 カノジョ の そんな コトバ を きいて いる うち に、 たまらぬ ほど ムネ が いっぱい に なりだした ワタシ は、 しかし、 そういう ジブン の カンドウ した ヨウス を カノジョ に みられる こと を おそれ でも する よう に、 そっと バルコン に でて いった。 そして その ウエ から、 かつて ワタシタチ の コウフク を そこ に カンゼン に えがきだした か とも おもえた あの ショカ の ユウガタ の それ に にた―― しかし それ とは ぜんぜん ちがった アキ の ゴゼン の ヒカリ、 もっと つめたい、 もっと フカミ の ある ヒカリ を おびた、 アタリ イッタイ の フウケイ を ワタシ は しみじみ と みいりだして いた。 あの とき の コウフク に にた、 しかし もっと もっと ムネ の しめつけられる よう な みしらない カンドウ で ジブン が いっぱい に なって いる の を かんじながら……

 フユ

 1935 ネン 10 ガツ ハツカ
 ゴゴ、 イツモ の よう に ビョウニン を のこして、 ワタシ は サナトリウム を はなれる と、 シュウカク に いそがしい ノウフ ら の たちはたらいて いる タハタ の アイダ を ぬけながら、 ゾウキヤマ を こえて、 その ヤマ の クボミ に ある ヒトケ の たえた せまい ムラ に おりた ノチ、 ちいさな ケイリュウ に かかった ツリバシ を わたって、 その ムラ の タイガン に ある クリ の キ の おおい ひくい ヤマ へ よじのぼり、 その ジョウホウ の シャメン に コシ を おろした。 そこ で ワタシ は ナン-ジカン も、 あかるい、 しずか な キブン で、 これから テ を つけよう と して いる モノガタリ の コウソウ に ふけって いた。 ときおり ワタシ の アシモト の ほう で、 おもいだした よう に、 コドモ ら が クリ の キ を ゆすぶって いちどきに クリ の ミ を おとす、 その タニジュウ に ひびきわたる よう な おおきな オト に おどろかされながら……
 そういう ジブン の マワリ に ミキキ される スベテ の もの が、 ワタシタチ の セイ の カジツ も すでに じゅくして いる こと を つげ、 そして それ を はやく とりいれる よう に と ジブン を うながし でも して いる か の よう に かんずる の が、 ワタシ は すき で あった。
 ようやく ヒ が かたむいて、 はやくも その タニ の ムラ が ムコウ の ゾウキヤマ の カゲ の ナカ に すっかり はいって しまう の を みとめる と、 ワタシ は しずか に たちあがって、 ヤマ を おり、 ふたたび ツリバシ を わたって、 あちらこちら に スイシャ が ごとごと と オト を たてながら たえず まわって いる せまい ムラ の ナカ を なんと いう こと は なし に ヒトマワリ した ノチ、 ヤツガタケ の サンロク イッタイ に ひろがって いる カラマツバヤシ の ヘリ を、 もう そろそろ ビョウニン が もじもじ しながら ジブン の カエリ を まって いる だろう と かんがえながら、 こころもち アシ を はやめて サナトリウム に もどる の だった。

 10 ガツ 23 ニチ
 アケガタ ちかく、 ワタシ は ジブン の すぐ ミヂカ で した よう な キ の する イヨウ な モノオト に おどろいて メ を さました。 そうして しばらく ミミ を そばだてて いた が、 サナトリウム ゼンタイ は しんだ よう に ひっそり と して いた。 それから なんだか メ が さえて、 ワタシ は もう ねつかれなく なった。
 ちいさな ガ の こびりついて いる マドガラス を とおして、 ワタシ は ぼんやり と アカツキ の ホシ が まだ フタツ ミッツ かすか に ひかって いる の を みつめて いた。 が、 その うち に ワタシ は そういう アサアケ が なんとも いえず に さびしい よう な キ が して きて、 そっと おきあがる と、 ナニ を しよう と して いる の か ジブン でも わからない よう に、 まだ くらい トナリ の ビョウシツ へ スアシ の まま で はいって いった。 そうして ベッド に ちかづきながら、 セツコ の ネガオ を かがみこむ よう に して みた。 すると カノジョ は おもいがけず、 ぱっちり と メ を みひらいて、 そんな ワタシ の ほう を みあげながら、
「どう なすった の?」 と いぶかしそう に きいた。
 ワタシ は なんでも ない と いった メクバセ を しながら、 そのまま しずか に カノジョ の ウエ に ミ を かがめて、 いかにも こらえきれなく なった よう に その カオ へ ぴったり と ジブン の カオ を おしつけた。
「まあ、 つめたい こと」 カノジョ は メ を つぶりながら、 アタマ を すこし うごかした。 カミノケ が かすか に におった。 そのまま ワタシタチ は オタガイ の つく イキ を かんじあいながら、 いつまでも そうして じっと ホオズリ を して いた。
「あら、 また、 クリ が おちた……」 カノジョ は メ を ホソメ に あけて ワタシ を みながら、 そう ささやいた。
「ああ、 あれ は クリ だった の かい。 ……あいつ の おかげ で オレ は さっき メ を さまして しまった の だ」
 ワタシ は すこし うわずった よう な コエ で そう いいながら、 そっと カノジョ を てばなす と、 いつのまにか だんだん あかるく なりだした マド の ほう へ あゆみよって いった。 そして その マド に よりかかって、 いましがた どちら の メ から にじみでた の か も わからない あつい もの が ワタシ の ホオ を つたう が まま に させながら、 ムコウ の ヤマ の セ に イクツ か クモ の うごかず に いる アタリ が あかく にごった よう な イロアイ を おびだして いる の を みいって いた。 ハタケ の ほう から は やっと モノオト が きこえだした。……
「そんな こと を して いらっしゃる と オカゼ を ひく わ」 ベッド から カノジョ が ちいさな コエ で いった。
 ワタシ は ナニ か きがるい チョウシ で ヘンジ を して やりたい と おもいながら、 カノジョ の ほう を ふりむいた。 が、 おおきく みはって きづかわしそう に ワタシ を みつめて いる カノジョ の メ と みあわせる と、 そんな コトバ は だされなかった。 そうして ムゴン の まま マド を はなれて、 ジブン の ヘヤ に もどって いった。
 それから スウフン たつ と、 ビョウニン は アケガタ に いつも する、 おさえかねた よう な はげしい セキ を だした。 ふたたび ネドコ に もぐりこみながら、 ワタシ は なんとも かとも いわれない よう な フアン な キモチ で それ を きいて いた。

 10 ガツ 27 ニチ
 ワタシ は キョウ も また ヤマ や モリ で ゴゴ を すごした。
 ヒトツ の シュダイ が、 シュウジツ、 ワタシ の カンガエ を はなれない。 シン の コンヤク の シュダイ―― フタリ の ニンゲン が その あまり にも みじかい イッショウ の アイダ を どれだけ おたがいに コウフク に させあえる か? あらがいがたい ウンメイ の マエ に しずか に コウベ を うなだれた まま、 たがいに ココロ と ココロ と、 ミ と ミ と を あたためあいながら、 ならんで たって いる わかい ダンジョ の スガタ、 ――そんな ヒトクミ と して の、 さびしそう な、 それでいて どこ か たのしく ない こと も ない ワタシタチ の スガタ が、 はっきり と ワタシ の メノマエ に みえて くる。 それ を おいて、 イマ の ワタシ に ナニ が かける だろう か?……
 ハテシ の ない よう な サンロク を すっかり きばませながら かたむいて いる カラマツバヤシ の ヘリ を、 ユウガタ、 ワタシ が イツモ の よう に アシバヤ に かえって くる と、 ちょうど サナトリウム の ウラ に なった ソウキバヤシ の ハズレ に、 ナナメ に なった ヒ を あびて、 カミ を まぶしい ほど ひからせながら たって いる ヒトリ の セ の たかい わかい オンナ が とおく みとめられた。 ワタシ は ちょっと たちどまった。 どうも それ は セツコ らしかった。 しかし そんな バショ に ヒトリ きり の よう なの を みて、 はたして カノジョ か どう か わからなかった ので、 ワタシ は ただ マエ より も すこし アシ を はやめた だけ だった。 が、 だんだん ちかづいて みる と、 それ は やはり セツコ で あった。
「どうした ん だい?」 ワタシ は カノジョ の ソバ に かけつけて、 イキ を はずませながら きいた。
「ここ で アナタ を おまち して いた の」 カノジョ は カオ を すこし あかく して わらいながら こたえた。
「そんな ランボウ な こと を して も いい の かなあ」 ワタシ は カノジョ の カオ を ヨコ から みた。
「イッペン くらい なら かまわない わ。 ……それに キョウ は とても キブン が いい の です もの」 つとめて カイカツ な コエ を だして そう いいながら、 カノジョ は なおも じっと ワタシ の かえって きた サンロク の ほう を みて いた。 「アナタ の いらっしゃる の が、 ずっと トオク から みえて いた わ」
 ワタシ は なにも いわず に、 カノジョ の ソバ に ならんで、 おなじ ホウガク を みつめた。
 カノジョ が ふたたび カイカツ そう に いった。 「ここ まで でる と、 ヤツガタケ が すっかり みえる のね」
「うん」 と ワタシ は キ の なさそう な ヘンジ を した きり だった が、 そのまま そう やって カノジョ と カタ を ならべて その ヤマ を みつめて いる うち に、 ふいと なんだか フシギ に こんがらかった よう な キ が して きた。
「こう やって オマエ と あの ヤマ を みて いる の は キョウ が はじめて だった ね。 だが、 オレ には どうも これまで に ナンベン も こう やって あれ を みて いた こと が ある よう な キ が する ん だよ」
「そんな はず は ない じゃあ ない の?」
「いや、 そう だ…… オレ は イマ やっと キ が ついた…… オレタチ は ね、 ずっと マエ に この ヤマ を ちょうど ムコウガワ から、 こう やって イッショ に みて いた こと が ある の だ。 いや、 オマエ と それ を みて いた ナツ の ジブン は いつも クモ に さまたげられて ほとんど なにも みえ や しなかった のさ。 ……しかし アキ に なって から、 ヒトリ で オレ が そこ へ いって みたら、 ずっと ムコウ の チヘイセン の ハテ に、 この ヤマ が イマ とは ハンタイ の ガワ から みえた の だ。 あの トオク に みえた、 どこ の ヤマ だ か ちっとも しらず に いた の が、 たしか に これ らしい。 ちょうど そんな ホウガク に なりそう だ。 ……オマエ、 あの ススキ が たんと おいしげって いた ハラ を おぼえて いる だろう?」
「ええ」
「だが じつに ミョウ だなあ。 イマ、 あの ヤマ の フモト に こうして これまで なにも キ が つかず に オマエ と くらして いた なんて……」 ちょうど 2 ネン マエ の、 アキ の サイゴ の ヒ、 イチメン に おいしげった ススキ の アイダ から はじめて チヘイセン の ウエ に くっきり と みいだした この ヤマヤマ を トオク から ながめながら、 ほとんど かなしい くらい の コウフク な カンジ を もって、 フタリ は いつかは きっと イッショ に なれる だろう と ゆめみて いた ジブン ジシン の スガタ が、 いかにも なつかしく、 ワタシ の メ に あざやか に うかんで きた。
 ワタシタチ は チンモク に おちた。 その ジョウクウ を ワタリドリ の ムレ らしい の が オト も なく すうっと よこぎって ゆく、 その なみかさなった ヤマヤマ を ながめながら、 ワタシタチ は そんな サイショ の ヒビ の よう な したわしい キモチ で、 カタ を おしつけあった まま、 たたずんで いた。 そうして ワタシタチ の カゲ が だんだん ながく なりながら クサ の ウエ を はう が まま に させて いた。
 やがて カゼ が すこし でた と みえて、 ワタシタチ の ハイゴ の ゾウキバヤシ が キュウ に ざわめきたった。 ワタシ は 「もう そろそろ かえろう」 と ふいと おもいだした よう に カノジョ に いった。
 ワタシタチ は たえず ラクヨウ の して いる ゾウキバヤシ の ナカ へ はいって いった。 ワタシ は ときどき たちどまって、 カノジョ を すこし サキ に あるかせた。 2 ネン マエ の ナツ、 ただ カノジョ を よく みたい ばかり に、 わざと ワタシ の 2~3 ポ サキ に カノジョ を あるかせながら モリ の ナカ など を サンポ した コロ の サマザマ な ちいさな オモイデ が、 シンゾウ を しめつけられる くらい に、 ワタシ の ウチ に いっぱい に あふれて きた。

 11 ガツ フツカ
 ヨル、 ヒトツ の アカリ が ワタシタチ を ちかづけあって いる。 その アカリ の シタ で、 モノ を いいあわない こと にも なれて、 ワタシ が せっせと ワタシタチ の セイ の コウフク を シュダイ に した モノガタリ を かきつづけて いる と、 その カサ の カゲ に なった、 うすぐらい ベッド の ナカ に、 セツコ は そこ に いる の だ か いない の だ か わからない ほど、 ものしずか に ねて いる。 ときどき ワタシ が そっち へ カオ を あげる と、 サッキ から じっと ワタシ を みつめつづけて いた か の よう に ワタシ を みつめて いる こと が ある。 「こう やって アナタ の オソバ に い さえ すれば、 ワタシ は それ で いい の」 と ワタシ に さも いいたくって たまらない で いる よう な、 アイジョウ を こめた メツキ で ある。 ああ、 それ が どんな に イマ の ワタシ に ジブン たち の ショユウ して いる コウフク を しんじさせ、 そして こう やって それ に はっきり した カタチ を あたえる こと に ドリョク して いる ワタシ を たすけて いて くれる こと か!

 11 ガツ トオカ
 フユ に なる。 ソラ は ひろがり、 ヤマヤマ は いよいよ ちかく なる。 その ヤマヤマ の ジョウホウ だけ、 ユキグモ らしい の が いつまでも うごかず に じっと して いる よう な こと が ある。 そんな アサ には ヤマ から ユキ に おわれて くる の か、 バルコン の ウエ まで が イツモ は あんまり みかけた こと の ない コトリ で いっぱい に なる。 そんな ユキグモ の きえさった アト は、 1 ニチ ぐらい その ヤマヤマ の ジョウホウ だけ が うすじろく なって いる こと が ある。 そして コノゴロ は そんな イクツ か の ヤマ の イタダキ には そういう ユキ が そのまま めだつ ほど のこって いる よう に なった。
 ワタシ は スウネン マエ、 しばしば、 こういう フユ の さびしい サンガク チホウ で、 かわいらしい ムスメ と フタリ きり で、 セケン から まったく へだたって、 オタガイ が せつなく おもう ほど に あいしあいながら くらす こと を このんで ゆめみて いた コロ の こと を おもいだす。 ワタシ は ジブン の ちいさい とき から うしなわず に いる カンビ な ジンセイ への かぎりない ユメ を、 そういう ヒト の こわがる よう な カコク な くらい の シゼン の ナカ に、 それ を そっくり そのまま すこしも そこなわず に いかして みたかった の だ。 そして その ため には どうしても こういう ホントウ の フユ、 さびしい サンガク チホウ の それ で なければ いけなかった の だ……
 ――ヨル の あけかかる コロ、 ワタシ は まだ その すこし ビョウシン な ムスメ の ねむって いる アイダ に そっと おきて、 ヤマゴヤ から ユキ の ナカ へ ゲンキ よく とびだして ゆく。 アタリ の ヤマヤマ は、 アケボノ の ヒカリ を あびながら、 バライロ に かがやいて いる。 ワタシ は トナリ の ノウカ から シボリタテ の ヤギ の チチ を もらって、 すっかり こごえそう に なりながら もどって くる。 それから ジブン で ダンロ に タキギ を くべる。 やがて それ が ぱちぱち と カッパツ な オト を たてて もえだし、 その オト で やっと その ムスメ が メ を さます ジブン には、 もう ワタシ は かじかんだ テ を して、 しかし、 さも たのしそう に、 イマ ジブン たち が そう やって くらして いる ヤマ の セイカツ を そっくり そのまま かきとって いる……
 ケサ、 ワタシ は そういう ジブン の スウネン マエ の ユメ を おもいだし、 そんな どこ に だって ありそう も ない ハンガ-じみた フユゲシキ を マノアタリ に うかべながら、 その マルキヅクリ の コヤ の ナカ の サマザマ な カグ の イチ を かえたり、 それ に ついて ワタシ ジシン と ソウダン しあったり して いた。 それから ついに そんな ハイケイ は ばらばら に なり、 ぼやけて きえて ゆきながら、 ただ ワタシ の メノマエ には、 その ユメ から それ だけ が ゲンジツ に はみだし でも した よう に、 ほんの すこし ばかり ユキ の つもった ヤマヤマ と、 ハダカ に なった コダチ と、 つめたい クウキ と だけ が のこって いた。……
 ヒトリ で サキ に ショクジ を すませて しまって から、 マドギワ に イス を ずらして そんな オモイデ に ふけって いた ワタシ は、 その とき キュウ に、 イマ やっと ショクジ を おえ、 そのまま ベッド の ウエ に おきながら、 なんとなく ツカレ を おびた よう な ぼんやり した メツキ で ヤマ の ほう を みつめて いる セツコ の ほう を ふりむいて、 その カミノケ の すこし ほつれて いる やつれた よう な カオ を いつ に なく いたいたしげ に みつめだした。
「この オレ の ユメ が こんな ところ まで オマエ を つれて きた よう な もの なの だろう かしら?」 と ワタシ は ナニ か クイ に ちかい よう な キモチ で いっぱい に なりながら、 クチ には ださず に、 ビョウニン に むかって はなしかけた。
「それ だ と いう のに、 コノゴロ の オレ は ジブン の シゴト に ばかり ココロ を うばわれて いる。 そうして こんな ふう に オマエ の ソバ に いる とき だって、 オレ は ゲンザイ の オマエ の こと なんぞ ちっとも かんがえて やり は しない の だ。 それでいて、 オレ は シゴト を しながら オマエ の こと を もっと もっと かんがえて いる の だ と、 オマエ にも、 それから ジブン ジシン にも いって きかせて ある。 そうして オレ は いつのまにか イイキ に なって、 オマエ の こと より も、 オレ の つまらない ユメ なんぞ に こんな に ジカン を つぶしだして いる の だ……」
 そんな ワタシ の モノ いいたげ な メツキ に キ が ついた の か、 ビョウニン は ベッド の ウエ から、 にっこり とも しない で、 マジメ に ワタシ の ほう を みかえして いた。 コノゴロ いつのまにか、 そんな グアイ に、 マエ より か ずっと ながい アイダ、 もっと もっと オタガイ を しめつけあう よう に メ と メ を みあわせて いる の が、 ワタシタチ の シュウカン に なって いた。

 11 ガツ 17 ニチ
 ワタシ は もう 2~3 ニチ すれば ワタシ の ノート を かきおえられる だろう。 それ は ワタシタチ ジシン の こうした セイカツ に ついて かいて いれば キリ が あるまい。 それ を ともかくも いちおう かきおえる ため には、 ワタシ は ナニ か ケツマツ を あたえなければ ならない の だろう が、 イマ も なお こうして ワタシタチ の いきつづけて いる セイカツ には どんな ケツマツ だって あたえたく は ない。 いや、 あたえられ は しない だろう。 むしろ、 ワタシタチ の こうした ゲンザイ の ある が まま の スガタ で それ を おわらせる の が いちばん いい だろう。
 ゲンザイ の ある が まま の スガタ?…… ワタシ は イマ ナニ か の モノガタリ で よんだ 「コウフク の オモイデ ほど コウフク を さまたげる もの は ない」 と いう コトバ を おもいだして いる。 ゲンザイ、 ワタシタチ の たがいに あたえあって いる もの は、 かつて ワタシタチ の たがいに あたえあって いた コウフク とは まあ なんと ちがった もの に なって きて いる だろう! それ は そういった コウフク に にた、 しかし それ とは かなり ちがった、 もっと もっと ムネ が しめつけられる よう に せつない もの だ。 こういう ホントウ の スガタ が まだ ワタシタチ の セイ の ヒョウメン にも カンゼン に あらわれて きて いない もの を、 このまま ワタシ は すぐ おいつめて いって、 はたして それ に ワタシタチ の コウフク の モノガタリ に ふさわしい よう な ケツマツ を みいだせる で あろう か? なぜ だ か わからない けれど、 ワタシ が まだ はっきり させる こと の できず に いる ワタシタチ の セイ の ソクメン には、 なんとなく ワタシタチ の そんな コウフク に テキイ を もって いる よう な もの が ひそんで いる よう な キ も して ならない。……
 そんな こと を ワタシ は ナニ か おちつかない キモチ で かんがえながら、 アカリ を けして、 もう ねいって いる ビョウニン の ソバ を とおりぬけよう と して、 ふと たちどまって クラガリ の ナカ に それ だけ が ほのじろく ういて いる カノジョ の ネガオ を じっと みまもった。 その すこし おちくぼんだ メ の マワリ が ときどき ぴくぴく と ひっつれる よう だった が、 ワタシ には それ が ナニモノ か に おびやかされて でも いる よう に みえて ならなかった。 ワタシ ジシン の イイヨウ も ない フアン が それ を ただ そんな ふう に かんじさせる に すぎない で あろう か?

 11 ガツ ハツカ
 ワタシ は これまで かいて きた ノート を すっかり よみかえして みた。 ワタシ の イト した ところ は、 これ なら まあ どうやら ジブン を マンゾク させる テイド には かけて いる よう に おもえた。
 が、 それ とは ベツ に、 ワタシ は それ を よみつづけて いる ジブン ジシン の ウチ に、 その モノガタリ の シュダイ を なして いる ワタシタチ ジシン の 「コウフク」 を もう カンゼン には あじわえそう も なくなって いる、 ホントウ に おもいがけない フアン そう な ワタシ の スガタ を みいだしはじめて いた。 そうして ワタシ の カンガエ は いつか その モノガタリ ソノモノ を はなれだして いた。 「この モノガタリ の ナカ の オレタチ は オレタチ に ゆるされる だけ の ささやか な セイ の タノシミ を あじわいながら、 それ だけ で ユニーク に オタガイ を コウフク に させあえる と しんじて いられた。 すくなくとも それ だけ で、 オレ は オレ の ココロ を しばりつけて いられる もの と おもって いた。 ――が、 オレタチ は あんまり たかく ねらいすぎて いた の で あろう か? そうして、 オレ は オレ の セイ の ヨッキュウ を すこし ばかり みくびりすぎて いた の で あろう か? その ため に イマ、 オレ の ココロ の イマシメ が こんな にも ひきちぎられそう に なって いる の だろう か?……」
「かわいそう な セツコ……」 と ワタシ は ツクエ に ほうりだした ノート を そのまま かたづけよう とも しない で、 かんがえつづけて いた。 「コイツ は オレ ジシン が きづかぬ よう な フリ を して いた そんな オレ の セイ の ヨッキュウ を チンモク の ナカ に みぬいて、 それ に ドウジョウ を よせて いる よう に みえて ならない。 そして それ が また こうして オレ を くるしめだして いる の だ。 ……オレ は どうして こんな オレ の スガタ を コイツ に かくしおおせる こと が できなかった の だろう? なんて オレ は よわい の だろう なあ……」
 ワタシ は、 アカリ の カゲ に なった ベッド に サッキ から メ を なかば つぶって いる ビョウニン に メ を うつす と、 ほとんど いきづまる よう な キ が した。 ワタシ は アカリ の ソバ を はなれて、 しずか に バルコン の ほう へ ちかづいて いった。 ちいさな ツキ の ある バン だった。 それ は クモ の かかった ヤマ だの、 オカ だの、 モリ など の リンカク を かすか に それ と みわけさせて いる きり だった。 そして ソノタ の ブブン は ほとんど すべて にぶい アオミ を おびた ヤミ の ナカ に とけいって いた。 しかし ワタシ の みて いた もの は それら の もの では なかった。 ワタシ は、 いつか の ショカ の ユウグレ に フタリ で せつない ほど な ドウジョウ を もって、 そのまま ワタシタチ の コウフク を サイゴ まで もって ゆけそう な キ が しながら ながめあって いた、 まだ その ナニモノ も きえうせて いない オモイデ の ナカ の、 それら の ヤマ や オカ や モリ など を まざまざ と ココロ に よみがえらせて いた の だった。 そして ワタシタチ ジシン まで が その イチブ に なりきって しまって いた よう な そういう イッシュンジ の フウケイ を、 こんな グアイ に これまで も ナンベン と なく よみがえらせた ので、 それら の もの も いつのまにか ワタシタチ の ソンザイ の イチブブン に なり、 そして もはや キセツ と ともに ヘンカ して ゆく それら の もの の、 ゲンザイ の スガタ が ときとすると ワタシタチ には ほとんど みえない もの に なって しまう くらい で あった。……
「あのよう な コウフク な シュンカン を オレタチ が もてた と いう こと は、 それ だけ でも もう オレタチ が こうして ともに いきる の に あたいした の で あろう か?」 と ワタシ は ジブン ジシン に といかけて いた。
 ワタシ の ハイゴ に ふと かるい アシオト が した。 それ は セツコ に ちがいなかった。 が、 ワタシ は ふりむこう とも せず に、 そのまま じっと して いた。 カノジョ も また なにも いわず に、 ワタシ から すこし はなれた まま たって いた。 しかし、 ワタシ は その イキヅカイ が かんぜられる ほど カノジョ を ちかぢか と かんじて いた。 ときおり つめたい カゼ が バルコン の ウエ を なんの オト も たてず に かすめすぎた。 どこ か トオク の ほう で カレキ が オト を ひきむしられて いた。
「ナニ を かんがえて いる の?」 とうとう カノジョ が クチ を きった。
 ワタシ は それ には すぐ ヘンジ を しない で いた。 それから キュウ に カノジョ の ほう へ ふりむいて、 ふたしか な よう に わらいながら、
「オマエ には わかって いる だろう?」 と といかえした。
 カノジョ は ナニ か ワナ でも おそれる か の よう に チュウイ-ぶかく ワタシ を みた。 それ を みて、 ワタシ は、
「オレ の シゴト の こと を かんがえて いる の じゃ ない か」 と ゆっくり いいだした。 「オレ には どうしても いい ケツマツ が おもいうかばない の だ。 オレ は オレタチ が ムダ に いきて いた よう には それ を おわらせたく は ない の だ。 どう だ、 ひとつ オマエ も それ を オレ と イッショ に かんがえて くれない か?」
 カノジョ は ワタシ に ほほえんで みせた。 しかし、 その ホホエミ は どこ か まだ フアン そう で あった。
「だって どんな こと を おかき に なった ん だ か も しらない じゃ ない の」 カノジョ は やっと コゴエ で いった。
「そう だっけ なあ」 と ワタシ は もう イチド ふたしか な よう に わらいながら いった。 「それじゃあ、 その うち に ひとつ オマエ にも よんで きかせる かな。 しかし まだ、 サイショ の ほう だって ヒト に よんで きかせる ほど まとまっちゃ いない ん だ から ね」
 ワタシタチ は ヘヤ の ナカ へ もどった。 ワタシ が ふたたび アカリ の ソバ に コシ を おろして、 そこ に ほうりだして ある ノート を もう イチド テ に とりあげて みて いる と、 カノジョ は そんな ワタシ の ハイゴ に たった まま、 ワタシ の カタ に そっと テ を かけながら、 それ を カタゴシ に のぞきこむ よう に して いた。 ワタシ は いきなり ふりむいて、
「オマエ は もう ねた ほう が いい ぜ」 と かわいた コエ で いった。
「ええ」 カノジョ は すなお に ヘンジ を して、 ワタシ の カタ から テ を すこし ためらいながら はなす と、 ベッド に もどって いった。
「なんだか ねられそう も ない わ」 2~3 プン する と カノジョ が ベッド の ナカ で ヒトリゴト の よう に いった。
「じゃ、 アカリ を けして やろう か?…… オレ は もう いい の だ」 そう いいながら、 ワタシ は アカリ を けして たちあがる と、 カノジョ の マクラモト に ちかづいた。 そうして ベッド の フチ に コシ を かけながら、 カノジョ の テ を とった。 ワタシタチ は しばらく そうした まま、 ヤミ の ナカ に だまりあって いた。
 サッキ より か カゼ が だいぶ つよく なった と みえる。 それ は あちこち の モリ から たえず オト を ひきもいで いた。 そして ときどき それ を サナトリウム の タテモノ に ぶっつけ、 どこ か の マド を ばたばた ならしながら、 いちばん サイゴ に ワタシタチ の ヘヤ の マド を すこし きしらせた。 それ に おびえ でも して いる か の よう に、 カノジョ は いつまでも ワタシ の テ を はなさない で いた。 そうして メ を つぶった まま、 ジブン の ウチ の ナニ か の ハタラキ に イッシン に なろう と して いる よう に みえた。 その うち に その テ が すこし ゆるんで きた。 カノジョ は ねいった フリ を しだした らしかった。
「さあ、 コンド は オレ の バン か……」 そんな こと を つぶやきながら、 ワタシ も カノジョ と おなじ よう に ねられそう も ない ジブン を ねつかせ に、 ジブン の マックラ な ヘヤ の ナカ へ はいって いった。

 11 ガツ 26 ニチ
 コノゴロ、 ワタシ は よく ヨル の あけかかる ジブン に メ を さます。 そんな とき は、 ワタシ は しばしば そっと おきあがって、 ビョウニン の ネガオ を しげしげ と みつめて いる。 ベッド の フチ や ビン など は だんだん きばみかけて きて いる のに、 カノジョ の カオ だけ が いつまでも あおじろい。 「かわいそう な ヤツ だなあ」 それ が ワタシ の クチグセ に でも なった か の よう に ジブン でも しらず に そう いって いる よう な こと も ある。
 ケサ も アケガタ ちかく に メ を さました ワタシ は、 ながい アイダ そんな ビョウニン の ネガオ を みつめて から、 つまさきだって ヘヤ を ぬけだし、 サナトリウム の ウラ の、 ハダカ-すぎる くらい に かれきった ハヤシ の ナカ へ はいって いった。 もう どの キ にも しんだ ハ が フタツ ミッツ のこって、 それ が カゼ に あらがって いる きり だった。 ワタシ が その クウキョ な ハヤシ を ではずれた コロ には、 ヤツガタケ の サンチョウ を はなれた ばかり の ヒ が、 ミナミ から ニシ に かけて たちならんで いる ヤマヤマ の ウエ に ひくく たれた まま うごこう とも しない で いる クモ の カタマリ を、 みるまに あかあか と かがやかせはじめて いた。 が、 そういう アケボノ の ヒカリ も チジョウ には まだ なかなか とどきそう に なかった。 それら の ヤマヤマ の アイダ に はさまれて いる ふゆがれた モリ や ハタケ や アレチ は、 イマ、 スベテ の もの から まったく うちすてられて でも いる よう な ヨウス を みせて いた。
 ワタシ は その カレキバヤシ の ハズレ に、 ときどき たちどまって は サムサ に おもわず アシブミ しながら、 そこいら を あるきまわって いた。 そうして ナニ を かんがえて いた の だ か ジブン でも おもいだせない よう な カンガエ を とつおいつ して いた ワタシ は、 そのうち フイ に アタマ を あげて、 ソラ が いつのまにか カガヤキ を うしなった くらい クモ に すっかり とざされて いる の を みとめた。 ワタシ は それ に キ が つく と、 つい サッキ まで それ を あんな にも うつくしく やいて いた アケボノ の ヒカリ が チジョウ に とどく の を それまで ココロマチ に して でも いた か の よう に、 キュウ に なんだか つまらなそう な カッコウ を して、 アシバヤ に サナトリウム に ひきかえして いった。
 セツコ は もう メ を さまして いた。 しかし たちもどった ワタシ を みとめて も、 ワタシ の ほう へは ものうげ に ちらっと メ を あげた きり だった。 そして さっき ねて いた とき より も いっそう あおい よう な カオイロ を して いた。 ワタシ が マクラモト に ちかづいて、 カミ を いじりながら ヒタイ に セップン しよう と する と、 カノジョ は よわよわしく クビ を ふった。 ワタシ は なんにも きかず に、 かなしそう に カノジョ を みて いた。 が、 カノジョ は そんな ワタシ を と いう より も、 むしろ、 そんな ワタシ の カナシミ を みまい と する か の よう に、 ぼんやり した メツキ で クウ を みいって いた。

 ヨル
 なにも しらず に いた の は ワタシ だけ だった の だ。 ゴゼン の シンサツ の すんだ アト で、 ワタシ は カンゴフチョウ に ロウカ へ よびだされた。 そして ワタシ は はじめて セツコ が ケサ ワタシ の しらない アイダ に ショウリョウ の カッケツ を した こと を きかされた。 カノジョ は ワタシ には それ を だまって いた の だ。 カッケツ は キケン と いう テイド では ない が、 ヨウジン の ため に しばらく ツキソイ カンゴフ を つけて おく よう に と、 インチョウ が いいつけて いった と いう の だ。 ――ワタシ は それ に ドウイ する ホカ は なかった。
 ワタシ は ちょうど あいて いる トナリ の ビョウシツ に、 その アイダ だけ ひきうつって いる こと に した。 ワタシ は イマ、 フタリ で すんで いた ヘヤ に どこ から どこ まで にた、 それでいて ぜんぜん みしらない よう な カンジ の する ヘヤ の ナカ に、 ヒトリボッチ で、 この ニッキ を つけて いる。 こうして ワタシ が スウ-ジカン マエ から すわって いる のに、 どうも まだ この ヘヤ は クウキョ の よう だ。 ここ には まるで ダレ も いない か の よう に、 アカリ さえ も つめたく ひかって いる。

 11 ガツ 28 ニチ
 ワタシ は ほとんど できあがって いる シゴト の ノート を、 ツクエ の ウエ に、 すこしも テ を つけよう とは せず に、 ほうりだした まま に して おいて ある。 それ を しあげる ため にも、 しばらく ベツベツ に くらした ほう が いい の だ と いう こと を ビョウニン には いいふくめて おいた の だ。
 が、 どうして それ に えがいた よう な ワタシタチ の あんな に コウフク そう だった ジョウタイ に、 イマ の よう な こんな フアン な キモチ の まま、 ワタシ ヒトリ で はいって ゆく こと が できよう か?

 ワタシ は マイニチ、 2~3 ジカン-オキ ぐらい に、 トナリ の ビョウシツ に ゆき、 ビョウニン の マクラモト に しばらく すわって いる。 しかし ビョウニン に しゃべらせる こと は いちばん よく ない ので、 ほとんど モノ を いわず に いる こと が おおい。 カンゴフ の いない とき にも、 フタリ で だまって テ を とりあって、 おたがいに なるたけ メ も あわせない よう に して いる。
 が、 どうか して ワタシタチ が ふいと メ を みあわせる よう な こと が ある と、 カノジョ は まるで ワタシタチ の サイショ の ヒビ に みせた よう な、 ちょっと キマリ の わるそう な ホホエミカタ を ワタシ に して みせる。 が、 すぐ メ を そらせて、 クウ を みながら、 そんな ジョウタイ に おかれて いる こと に すこしも フヘイ を みせず に、 おちついて ねて いる。 カノジョ は イチド ワタシ に シゴト は はかどって いる の か と きいた。 ワタシ は クビ を ふった。 その とき カノジョ は ワタシ を キノドク-がる よう な ミカタ を して みた。 が、 それきり もう ワタシ に そんな こと は きかなく なった。 そして イチニチ は、 ホカ の ヒ に にて、 まるで ナニゴト も ない か の よう に、 ものしずか に すぎる。
 そして カノジョ は ワタシ が かわって カノジョ の チチ に テガミ を だす こと さえ こばんで いる。

 ヨル、 ワタシ は おそく まで なにも しない で ツクエ に むかった まま、 バルコン の ウエ に おちて いる アカリ の カゲ が マド を はなれる に つれて だんだん かすか に なりながら、 ヤミ に シホウ から つつまれて いる の を、 あたかも ジブン の ココロ の ウチ さながら の よう な キ が しながら、 ぼんやり と みいって いる。 ひょっと したら ビョウニン も まだ ねつかれず に、 ワタシ の こと を かんがえて いる かも しれない と おもいながら……

 12 ガツ ツイタチ
 コノゴロ に なって、 どうした の か、 ワタシ の アカリ を したって くる ガ が また ふえだした よう だ。
 ヨル、 そんな ガ が どこ から とも なく とんで きて、 しめきった マドガラス に はげしく ぶつかり、 その ダゲキ で みずから きずつきながら、 なおも セイ を もとめて やまない よう に、 シニミ に なって ガラス に アナ を あけよう と こころみて いる。 ワタシ が それ を うるさがって、 アカリ を けして ベッド に はいって しまって も、 まだ しばらく ものぐるわしい ハバタキ を して いる が、 しだいに それ が おとろえ、 ついに どこ か に しがみついた きり に なる。 そんな ヨクアサ、 ワタシ は かならず その マド の シタ に、 1 マイ の クチバ みたい に なった ガ の シガイ を みつける。
 コンヤ も そんな ガ が 1 ピキ、 とうとう ヘヤ の ナカ へ とびこんで きて、 ワタシ の むかって いる アカリ の マワリ を サッキ から ものぐるわしく くるくる と まわって いる。 やがて ばさり と オト を たてて ワタシ の カミ の ウエ に おちる。 そして いつまでも そのまま うごかず に いる。 それから また ジブン の いきて いる こと を やっと おもいだした よう に、 キュウ に とびたつ。 ジブン でも もう ナニ を して いる の だ か わからず に いる の だ と しか みえない。 やがて また、 ワタシ の カミ の ウエ に ばさり と オト を たてて おちる。
 ワタシ は イヨウ な オソレ から その ガ を おいのけよう とも しない で、 かえって さも ムカンシン そう に、 ジブン の カミ の ウエ で それ が しぬ まま に させて おく。

 12 ガツ イツカ
 ユウガタ、 ワタシタチ は フタリ きり で いた。 ツキソイ カンゴフ は いましがた ショクジ に いった。 フユ の ヒ は すでに ニシカタ の ヤマ の セ に はいりかけて いた。 そして その かたむいた ヒザシ が、 だんだん ソコビエ の しだした ヘヤ の ナカ を キュウ に あかるく させだした。 ワタシ は ビョウニン の マクラモト で、 ヒーター に アシ を のせながら、 テ に した ホン の ウエ に ミ を かがめて いた。 その とき ビョウニン が フイ に、
「あら、 オトウサマ」 と かすか に さけんだ。
 ワタシ は おもわず ぎくり と しながら カノジョ の ほう へ カオ を あげた。 ワタシ は カノジョ の メ が いつ に なく かがやいて いる の を みとめた。 ――しかし ワタシ は さりげなさそう に、 イマ の ちいさな サケビ が ミミ に はいらなかった らしい ヨウス を しながら、
「イマ ナニ か いった かい?」 と きいて みた。
 カノジョ は しばらく ヘンジ を しない で いた。 が、 その メ は いっそう かがやきだしそう に みえた。
「あの ひくい ヤマ の ヒダリ の ハシ に、 すこうし ヒ の あたった ところ が ある でしょう?」 カノジョ は やっと おもいきった よう に ベッド から テ で その ほう を ちょっと さして、 それから なんだか いいにくそう な コトバ を ムリ に そこ から ひきだし でも する よう に、 その ユビサキ を コンド は ジブン の クチ へ あてがいながら、 「あそこ に オトウサマ の ヨコガオ に そっくり な カゲ が、 イマジブン に なる と、 いつも できる のよ。 ……ほら、 ちょうど イマ できて いる の が わからない?」
 その ひくい ヤマ が カノジョ の いって いる ヤマ で ある らしい の は、 その ユビサキ を たどりながら ワタシ にも すぐ わかった が、 ただ そこいら ヘン には ナナメ な ヒ の ヒカリ が くっきり と うきたたせて いる ヤマヒダ しか ワタシ には みとめられなかった。
「もう きえて いく わ…… ああ、 まだ ヒタイ の ところ だけ のこって いる……」
 その とき やっと ワタシ は その チチ の ヒタイ らしい ヤマヒダ を みとめる こと が できた。 それ は チチ の がっしり と した ヒタイ を ワタシ にも おもいださせた。 「こんな カゲ に まで、 コイツ は ココロ の ウチ で チチ を もとめて いた の だろう か? ああ、 コイツ は まだ ゼンシン で チチ を かんじて いる、 チチ を よんで いる……」
 が、 イッシュンカン の ノチ には、 ヤミ が その ひくい ヤマ を すっかり みたして しまった。 そして スベテ の カゲ は きえて しまった。
「オマエ、 イエ へ かえりたい の だろう?」 ワタシ は ついと ココロ に うかんだ サイショ の コトバ を おもわず も クチ に だした。
 その アト で すぐ ワタシ は フアン そう に セツコ の メ を もとめた。 カノジョ は ほとんど すげない よう な メツキ で ワタシ を みつめかえして いた が、 キュウ に その メ を そらせながら、
「ええ、 なんだか かえりたく なっちゃった わ」 と きこえる か きこえない くらい な、 かすれた コエ で いった。
 ワタシ は クチビル を かんだ まま、 めだたない よう に ベッド の ソバ を はなれて、 マドギワ の ほう へ あゆみよった。
 ワタシ の ハイゴ で カノジョ が すこし フルエゴエ で いった。 「ごめんなさい ね。 ……だけど、 いま ちょっと の アイダ だけ だわ。 ……こんな キモチ、 じきに なおる わ……」
 ワタシ は マド の ところ に リョウテ を くんだ まま、 コトバ も なく たって いた。 ヤマヤマ の フモト には もう ヤミ が かたまって いた。 しかし サンチョウ には まだ かすか に ヒカリ が ただよって いた。 とつぜん ノド を しめつけられる よう な キョウフ が ワタシ を おそって きた。 ワタシ は いきなり ビョウニン の ほう を ふりむいた。 カノジョ は リョウテ で カオ を おさえて いた。 キュウ に なにもかも が ジブン たち から うしなわれて いって しまいそう な、 フアン な キモチ で いっぱい に なりながら、 ワタシ は ベッド に かけよって、 その テ を カノジョ の カオ から ムリ に のけた。 カノジョ は ワタシ に あらがおう と しなかった。
 たかい ほど な ヒタイ、 もう しずか な ヒカリ さえ みせて いる メ、 ひきしまった クチモト、 ――なにひとつ イツモ と すこしも かわって いず、 イツモ より か もっと もっと おかしがたい よう に ワタシ には おもわれた。 ……そうして ワタシ は なんでも ない のに そんな に おびえきって いる ワタシ ジシン を かえって コドモ の よう に かんぜず には いられなかった。 ワタシ は それから キュウ に チカラ が ぬけて しまった よう に なって、 がっくり と ヒザ を ついて、 ベッド の フチ に カオ を うずめた。 そうして そのまま いつまでも ぴったり と それ に カオ を おしつけて いた。 ビョウニン の テ が ワタシ の カミノケ を かるく なでて いる の を かんじだしながら……
 ヘヤ の ナカ まで もう うすぐらく なって いた。

 シ の カゲ の タニ

 1936 ネン 12 ガツ ツイタチ、 K・・ ムラ にて
 ほとんど 3 ネン ハン-ぶり で みる この ムラ は、 もう すっかり ユキ に うまって いた。 1 シュウカン ばかり も マエ から ユキ が ふりつづいて いて、 ケサ やっと それ が やんだ の だ そう だ。 スイジ の セワ を たのんだ ムラ の わかい ムスメ と その オトウト が、 その オトコ の コ の らしい ちいさな ソリ に ワタシ の ニモツ を のせて、 これから この フユ を そこ で ワタシ の すごそう と いう ヤマゴヤ まで ひきあげて いって くれた。 その ソリ の アト に ついて ゆきながら、 トチュウ で ナンド も ワタシ は すべりそう に なった。 それほど もう タニカゲ の ユキ は こちこち に しみついて しまって いた。……
 ワタシ の かりた コヤ は、 その ムラ から すこし キタ へ はいった、 ある ちいさな タニ に あって、 そこいら にも ふるく から ガイジン たち の ベッソウ が あちこち に たって いる、 ――なんでも それら の ベッソウ の いちばん ハズレ に なって いる はず だった。 そこ に ナツ を すごし に くる ガイジン たち が この タニ を しょうして コウフク の タニ と いって いる とか。 こんな ヒトケ の たえた、 さびしい タニ の、 いったい どこ が コウフク の タニ なの だろう、 と ワタシ は イマ は どれ も これ も ユキ に うもれた まんま みすてられて いる そういう ベッソウ を ヒトツヒトツ みすごしながら、 その タニ を フタリ の アト から おくれがち に のぼって ゆく うち に、 ふいと それ とは セイハンタイ の タニ の ナマエ さえ ジブン の クチ を ついて でそう に なった。 ワタシ は それ を ナニ か ためらい でも する よう に ちょっと ひっこめかけた が、 ふたたび キ を かえて とうとう クチ に だした。 シ の カゲ の タニ。 ……そう、 よっぽど そう いった ほう が この タニ には にあいそう だな、 すくなくとも こんな フユ の サナカ、 こういう ところ で さびしい ヤモメグラシ を しよう と して いる オレ に とって は。 ――と、 そんな こと を かんがえ かんがえ、 やっと ワタシ の かりる いちばん サイゴ の コヤ の マエ まで たどりついて みる と、 モウシワケ の よう に ちいさな ヴェランダ の ついた、 その コハダブキ の コヤ の マワリ には、 それ を とりかこんだ ユキ の ウエ に なんだか エタイ の しれない アシアト が いっぱい のこって いる。 アネムスメ が その しめきられた コヤ の ナカ へ サキ に はいって アマド など を あけて いる アイダ、 ワタシ は その ちいさな オトウト から これ は ウサギ これ は リス、 それから これ は キジ と、 それら の イヨウ な アシアト を いちいち おしえて もらって いた。
 それから ワタシ は、 なかば ユキ に うもれた ヴェランダ に たって、 シュウイ を ながめまわした。 ワタシタチ が イマ のぼって きた タニカゲ は、 そこ から みおろす と、 いかにも カッコウ の よい こぢんまり と した タニ の イチブブン に なって いる。 ああ、 いましがた レイ の ソリ に のって ヒトリ だけ サキ に かえって いった、 あの ちいさな オトウト の スガタ が、 ハダカ の キ と キ との アイダ から ミエカクレ して いる。 その かわいらしい スガタ が とうとう カホウ の カレキバヤシ の ナカ に きえて しまう まで みおくりながら、 ひとわたり その タニマ を みおわった ジブン、 どうやら コヤ の ナカ も かたづいた らしい ので、 ワタシ は はじめて その ナカ に はいって いった。 カベ まで すっかり スギカワ が はりつめられて あって、 テンジョウ も なにも ない ほど の、 おもった より も ソマツ な ツクリ だ が、 わるい カンジ では なかった。 すぐ 2 カイ にも あがって みた が、 シンダイ から イス と ナニ から ナニ まで フタリ ブン ある。 ちょうど オマエ と ワタシ との ため の よう に。 ――そう いえば、 ホントウ に こういった よう な ヤマゴヤ で、 オマエ と サシムカイ の サビシサ で くらす こと を、 ムカシ の ワタシ は どんな に ゆめみて いた こと か!……
 ユウガタ、 ショクジ の シタク が できる と、 ワタシ は そのまま すぐ ムラ の ムスメ を かえらせた。 それから ワタシ は ヒトリ で ダンロ の ソバ に おおきな テーブル を ひきよせて、 その ウエ で カキモノ から ショクジ イッサイ を する こと に きめた。 その とき ひょいと アタマ の ウエ に かかって いる コヨミ が いまだに 9 ガツ の まま に なって いる の に キ が ついて、 それ を たちあがって はがす と、 キョウ の ヒヅケ の ところ に シルシ を つけて おいて から、 さて、 ワタシ は じつに 1 ネン-ぶり で この テチョウ を ひらいた。

 12 ガツ フツカ
 どこ か キタ の ほう の ヤマ が しきり に ふぶいて いる らしい。 キノウ など は テ に とる よう に みえて いた アサマヤマ も、 キョウ は すっかり ユキグモ に おおわれ、 その オク で さかん に あれて いる と みえ、 この サンロク の ムラ まで その マキゾエ を くらって、 ときどき ヒ が あかるく さしながら、 ちらちら と たえず ユキ が まって いる。 どうか して フイ に そんな ユキ の ハシ が タニ の ウエ に かかり でも する と、 その タニ を へだてて、 ずっと ミナミ に つらなった ヤマヤマ の アタリ には くっきり と アオゾラ が みえながら、 タニ ゼンタイ が かげって、 ひとしきり モウレツ に ふぶく。 と おもう と、 また ぱあっと ヒ が あたって いる。……
 そんな タニ の たえず ヘンカ する コウケイ を マド の ところ に いって ちょっと ながめやって は、 また すぐ ダンロ の ソバ に もどって きたり して、 その せい で か、 ワタシ は なんとなく おちつかない キモチ で イチニチジュウ を すごした。
 ヒルゴロ、 フロシキヅツミ を せおった ムラ の ムスメ が タビハダシ で ユキ の ナカ を やって きて くれた。 テ から カオ まで シモヤケ の して いる よう な ムスメ だ が、 すなお そう で、 それに ムクチ なの が ナニ より も ワタシ には グアイ が いい。 また キノウ の よう に ショクジ の ヨウイ だけ させて おいて、 すぐに かえらせた。 それから ワタシ は もう イチニチ が おわって しまった か の よう に、 ダンロ の ソバ から はなれない で、 なにも せず に ぼんやり と、 タキギ が ひとりでに おこる カゼ に あおられつつ ぱちぱち と オト を たてながら もえる の を みまもって いた。
 そのまま ヨル に なった。 ヒトリ で つめたい ショクジ を すませて しまう と、 ワタシ の キモチ も いくぶん おちついて きた。 ユキ は たいした こと に ならず に やんだ よう だ が、 そのかわり カゼ が ではじめて いた。 ヒ が すこし でも おとろえて オト を しずめる と、 その スキスキ に、 タニ の ソトガワ で そんな カゼ が カレキバヤシ から オト を ひきもいで いる らしい の が キュウ に ちかぢか と きこえて きたり した。
 それから 1 ジカン ばかり ノチ、 ワタシ は なれない ヒ に すこし のぼせた よう に なって、 ガイキ に あたり に コヤ を でた。 そうして しばらく マックラ な コガイ を あるきまわって いた が、 やっと カオ が ひえびえ と して きた ので、 ふたたび コヤ に はいろう と しかけながら、 その とき はじめて ナカ から もれて くる アカリ で、 イマ も なお たえず こまかい ユキ が まって いる の に キ が ついた。 ワタシ は コヤ に はいる と、 すこし ぬれた カラダ を かわかし に、 ふたたび ヒ の ソバ に よって いった。 が、 そう やって また ヒ に あたって いる うち に、 いつしか カラダ を かわかして いる こと も わすれた よう に ぼんやり と して、 ジブン の ウチ に ある ツイオク を よみがえらせて いた。 それ は キョネン の イマゴロ、 ワタシタチ の いた ヤマ の サナトリウム の マワリ に、 ちょうど コンヤ の よう な ユキ の まって いる ヨフケ の こと だった。 ワタシ は ナンド も その サナトリウム の イリグチ に たって は、 デンポウ で よびよせた オマエ の チチ の くる の を まちきれなさそう に して いた。 やっと マヨナカ ちかく に なって チチ は ついた。 しかし オマエ は そういう チチ を ちらり と みながら、 クチビル の マワリ に ふと ビショウ とも つかない よう な もの を ただよわせた きり だった。 チチ は なにも いわず に そんな オマエ の ショウスイ しきった カオ を じっと みまもって いた。 そうして は ときおり ワタシ の ほう へ いかにも フアン そう な メ を むけた。 が、 ワタシ は それ には キ が つかない よう な フリ を して、 ただ、 オマエ の ほう ばかり を みる とも なし に みやって いた。 その うち に とつぜん オマエ が ナニ か くちごもった よう な キ が した ので、 ワタシ が オマエ の ソバ に よって ゆく と、 ほとんど きこえる か きこえない くらい の ちいさな コエ で、 「アナタ の カミ に ユキ が ついて いる の……」 と オマエ は ワタシ に むかって いった。 ――イマ、 こう やって ヒトリ きり で ヒ の ソバ に うずくまりながら、 ふいと よみがえった そんな オモイデ に さそわれる よう に して、 ワタシ が なんの キ なし に ジブン の テ を トウハツ に もって いって みる と、 それ は まだ ぬれる とも なく ぬれて いて、 つめたかった。 ワタシ は そう やって みる まで、 それ には すこしも キ が つかず に いた。……

 12 ガツ イツカ
 この スウジツ、 イイヨウ も ない ほど よい テンキ だ。 アサ の うち は ヴェランダ いっぱい に ヒ が さしこんで いて、 カゼ も なく、 とても あたたか だ。 ケサ など は とうとう その ヴェランダ に ちいさな タク や イス を もちだして、 まだ イチメン に ユキ に うもれた タニ を マエ に しながら、 チョウショク を はじめた くらい だ。 ホントウ に こうして ヒトリ っきり で いる の は なんだか もったいない よう だ、 と おもいながら チョウショク に むかって いる うち、 ひょいと すぐ メノマエ の かれた カンボク の ネモト へ メ を やる と、 いつのまにか キジ が きて いる。 それ も 2 ワ、 ユキ の ナカ に エ を あさりながら、 ごそごそ と あるきまわって いる……
「おい、 きて ごらん、 キジ が きて いる ぞ」
 ワタシ は あたかも オマエ が コヤ の ナカ に い でも する か の よう に ソウゾウ して、 コエ を ひくめて そう ひとりごちながら、 じっと イキ を つめて その キジ を みまもって いた。 オマエ が うっかり アシオト でも たて は しまい か と、 それ まで きづかいながら……
 その トタン、 どこ か の コヤ で、 ヤネ の ユキ が どおっ と タニジュウ に ひびきわたる よう な オト を たてながら なだれおちた。 ワタシ は おもわず どきり と しながら、 まるで ジブン の アシモト から の よう に 2 ワ の キジ が とびたって ゆく の を アッケ に とられて みて いた。 その とき ほとんど ドウジ に、 ワタシ は ジブン の すぐ ソバ に たった まま、 オマエ が そういう とき の クセ で、 なにも いわず に、 ただ おおきく メ を みはりながら ワタシ を じっと みつめて いる の を、 くるしい ほど まざまざ と かんじた。

 ゴゴ、 ワタシ は はじめて タニ の コヤ を おりて、 ユキ の ナカ に うまった ムラ を ヒトマワリ した。 ナツ から アキ に かけて しか この ムラ を しって いない ワタシ には、 イマ イチヨウ に ユキ を かぶって いる モリ だの、 ミチ だの、 クギヅケ に なった コヤ だの が、 どれ も これ も ミオボエ が ありそう で いて、 どうしても その イゼン の スガタ を おもいだされなかった。 ムカシ、 ワタシ が このんで あるきまわった スイシャ の ミチ に そって、 いつか ワタシ の しらない アイダ に、 ちいさな カトリック キョウカイ さえ できて いた。 しかも その うつくしい シラキヅクリ の キョウカイ は、 その ユキ を かぶった とがった ヤネ の シタ から、 すでに もう くろずみかけた カベイタ すら も みせて いた。 それ が いっそう その アタリ イッタイ を ワタシ に ナニ か みしらない よう に おもわせだした。 それから ワタシ は よく オマエ と つれだって あるいた こと の ある モリ の ナカ へも、 まだ かなり ふかい ユキ を わけながら はいって いって みた。 やがて ワタシ は、 どうやら ミオボエ の ある よう な キ の する 1 ポン の モミ の キ を みとめだした。 が、 やっと それ に ちかづいて みたら、 その モミ の ナカ から ぎゃっ と するどい トリ の ナキゴエ が した。 ワタシ が その マエ に たちどまる と、 1 ワ の、 ついぞ みかけた こと も ない よう な、 アオミ を おびた トリ が ちょっと おどろいた よう に はばたいて とびたった が、 すぐ ホカ の エダ に うつった まま かえって ワタシ に いどみ でも する よう に、 ふたたび ぎゃっ、 ぎゃっ と なきたてた。 ワタシ は その モミ の キ から さえ、 こころならず も たちさった。

 12 ガツ ナノカ
 シュウカイドウ の カタワラ の、 ふゆがれた ハヤシ の ナカ で、 ワタシ は とつぜん フタコエ ばかり カッコウ の なきつづけた の を きいた よう な キ が した。 その ナキゴエ は ひどく トオク で した よう にも、 また ひどく チカク で した よう にも おもわれて、 それ が ワタシ を そこいら の カレヤブ の ナカ だの、 カレキ の ウエ だの、 ソラザマ を みまわせさせた が、 それっきり その ナキゴエ は きこえなかった。
 それ は やはり どうも ジブン の キキチガエ だった よう に ワタシ にも おもわれて きた。 が、 それ より も サキ に、 その アタリ の カレヤブ だの、 カレキ だの、 ソラ だの は、 すっかり ナツ の なつかしい スガタ に たちかえって、 ワタシ の ウチ に あざやか に よみがえりだした。……
 けれども、 そんな 3 ネン マエ の ナツ の、 この ムラ で ワタシ の もって いた スベテ の もの が すでに うしなわれて、 イマ の ジブン に なにひとつ のこって は いない こと を、 ワタシ が ホントウ に しった の も それ と イッショ だった。

 12 ガツ トオカ
 この スウジツ、 どういう もの か、 オマエ が ちっとも いきいき と ワタシ に よみがえって こない。 そうして ときどき こうして コドク で いる の が ワタシ には ほとんど たまらない よう に おもわれる。 アサ なんぞ、 ダンロ に イチド くみたてた マキ が なかなか もえつかず、 シマイ に ワタシ は じれったく なって、 それ を あらあらしく ひっかきまわそう と する。 そんな とき だけ、 ふいと ジブン の カタワラ に きづかわしそう に して いる オマエ を かんじる。 ――ワタシ は それから やっと キ を とりなおして、 その マキ を あらた に くみかえる。
 また ゴゴ など、 すこし ムラ でも あるいて こよう と おもって、 タニ を おりて ゆく と、 コノゴロ は ユキドケ が して いる ゆえ、 ミチ が とても わるく、 すぐ クツ が ドロ で おもく なり、 あるきにくくて シヨウ が ない ので、 たいてい トチュウ から ひっかえして きて しまう。 そうして まだ ユキ の しみついて いる、 タニ まで さしかかる と、 おもわず ほっと しながら、 しかし コンド は これから ジブン の コヤ まで ずっと イキ の きれる よう な ノボリミチ に なる。 そこで ワタシ は ともすれば めいりそう な ジブン の ココロ を ひきたてよう と して、 「たとい ワレ シ の カゲ の タニ を あゆむ とも ワザワイ を おそれじ、 ナンジ ワレ と ともに いませば なり……」 と、 そんな ウロオボエ に おぼえて いる シヘン の モンク なんぞ まで おもいだして ジブン ジシン に いって きかせる が、 そんな モンク も ワタシ には ただ クウキョ に かんぜられる ばかり だった。

 12 ガツ 12 ニチ
 ユウガタ、 スイシャ の ミチ に そった レイ の ちいさな キョウカイ の マエ を ワタシ が とおりかかる と、 そこ の コヅカイ らしい オトコ が セツデイ の ウエ に タンネン に セキタンガラ を まいて いた。 ワタシ は その オトコ の ソバ に いって、 フユ でも ずっと この キョウカイ は ひらいて いる の です か、 と なんと いう こと も なし に きいて みた。
「コトシ は もう 2~3 ニチ うち に しめます そう で――」 と その コヅカイ は ちょっと セキタンガラ を まく テ を やすめながら こたえた。 「キョネン は ずっと フユジュウ ひらいて おりました が、 コトシ は シンプ サマ が マツモト の ほう へ おいで に なります ので……」
「そんな フユ でも この ムラ に シンジャ は ある ん です か?」 と ワタシ は ブシツケ に きいた。
「ほとんど いらっしゃいません が。 ……たいてい、 シンプ サマ オヒトリ で マイニチ の オミサ を なさいます」
 ワタシタチ が そんな タチバナシ を しだして いる ところ へ、 ちょうど ガイシュツサキ から その ドイツジン だ とか いう シンプ が かえって きた。 コンド は ワタシ が その ニホンゴ を まだ じゅうぶん リカイ しない、 しかし ひとなつこそう な シンプ に つかまって、 なにかと きかれる バン に なった。 そうして シマイ には ナニ か キキチガエ でも した らしく、 アス の ニチヨウ の ミサ には ぜひ こい、 と ワタシ は しきり に すすめられた。

 12 ガツ 13 ニチ、 ニチヨウビ
 アサ の 9 ジ-ゴロ、 ワタシ は ナニ を もとめる でも なし に その キョウカイ へ いった。 ちいさな ロウソク の ヒ の ともった サイダン の マエ で、 もう シンプ が ヒトリ の ジョサイ と ともに ミサ を はじめて いた。 シンジャ でも なんでも ない ワタシ は、 どうして いい か わからず、 ただ、 オト を たてない よう に して、 いちばん ウシロ の ほう に あった ワラ で できた イス に そのまま そっと コシ を おろした。 が、 やっと ウチ の ウスグラサ に メ が なれて くる と、 それまで ダレ も いない もの と ばかり おもって いた シンジャセキ の、 いちばん ゼンレツ の、 ハシラ の カゲ に ヒトリ クロズクメ の ナリ を した チュウネン の フジン が うずくまって いる の が メ に はいって きた。 そうして その フジン が サッキ から ずっと ひざまずきつづけて いる らしい の に キ が つく と、 ワタシ は キュウ に その カイドウ の ナカ の いかにも さむざむ と して いる の を ミ に しみて かんじた。……
 それから も コイチ ジカン ばかり ミサ は つづいて いた。 その おわりかける コロ、 その フジン が ふいと ハンカチ を とりだして カオ に あてがった の を ワタシ は みとめた。 しかし それ は なんの ため だ か、 ワタシ には わからなかった。 その うち に やっと ミサ が すんだ らしく、 シンプ は シンジャセキ の ほう へは ふりむかず に、 そのまま ワキ に あった ショウシツ の ナカ へ イチド ひっこんで いった。 その フジン は なおも まだ じっと ミウゴキ も せず に いた。 が、 その アイダ に、 ワタシ だけ は そっと キョウカイ から ぬけだした。
 それ は うすぐもった ヒ だった。 ワタシ は それから ユキドケ の した ムラ の ナカ を、 いつまでも ナニ か みたされない よう な キモチ で、 アテ も なく さまよって いた。 ムカシ、 オマエ と よく エ を かき に いった、 マンナカ に 1 ポン の シラカバ の くっきり と たった ハラ へも いって みて、 まだ その ネモト だけ ユキ の のこって いる シラカバ の キ に なつかしそう に テ を かけながら、 その ユビサキ が こごえそう に なる まで、 たって いた。 しかし、 ワタシ には その コロ の オマエ の スガタ さえ ほとんど よみがえって こなかった。 ……とうとう ワタシ は そこ も たちさって、 なんとも いう に いわれぬ さびしい オモイ で、 カレキ の アイダ を ぬけながら、 イッキ に タニ を のぼって、 コヤ に もどって きた。
 そうして はあはあ と イキ を きらしながら、 おもわず ヴェランダ の ユカイタ に コシ を おろして いる と、 その とき ふいと そんな むしゃくしゃ した ワタシ に よりそって くる オマエ が かんじられた。 が、 ワタシ は それ にも しらん カオ を して、 ぼんやり と ホオヅエ を ついて いた。 そのくせ、 そういう オマエ を これまで に なく いきいき と―― まるで オマエ の テ が ワタシ の カタ に さわって い は しまい か と おもわれる くらい、 いきいき と かんじながら……
「もう オショクジ の シタク が できて おります が――」
 コヤ の ナカ から、 もう サッキ から ワタシ の カエリ を まって いた らしい ムラ の ムスメ が、 そう ワタシ を ショクジ に よんだ。 ワタシ は ふっと ウツツ に かえりながら、 このまま もうすこし そっと して おいて くれたら よかりそう な もの を、 と いつ に なく うかない カオツキ を して コヤ の ナカ に はいって いった。 そうして ムスメ には ヒトコト も クチ を きかず に、 イツモ の よう な ヒトリ きり の ショクジ に むかった。
 ユウガタ ちかく、 ワタシ は なんだか まだ いらいら した よう な キブン の まま その ムスメ を かえして しまった が、 それから しばらく する と その こと を いくぶん コウカイ しだしながら、 ふたたび なんと いう こと も なし に ヴェランダ に でて いった。 そうして また サッキ の よう に (しかし コンド は オマエ なし に……) ぼんやり と まだ だいぶ ユキ の のこって いる タニマ を みおろして いる と、 ゆっくり カレキ の アイダ を ぬけぬけ ダレ だ か その タニジュウ を トミコウミ しながら、 だんだん こっち の ほう へ のぼって くる の が みとめられた。 どこ へ きた の だろう と おもいながら みつづけて いる と、 それ は ワタシ の コヤ を さがして いる らしい シンプ だった。

 12 ガツ 10 ヨッカ
 キノウ の ユウガタ、 シンプ と ヤクソク を した ので、 ワタシ は キョウカイ へ たずねて いった。 アス キョウカイ を とざして、 すぐ マツモト へ たつ とか いう こと で、 シンプ は ワタシ と ハナシ を しながら も、 ときどき ニゴシラエ を して いる コヅカイ の ところ へ ナニ か イイツケ に たって いったり した。 そうして この ムラ で ヒトリ の シンジャ を えよう と して いる のに、 イマ ここ を たちさる の は いかにも ザンネン だ と くりかえし いって いた。 ワタシ は すぐに キノウ キョウカイ で みかけた、 やはり ドイツジン らしい チュウネン の フジン を おもいうかべた。 そうして その フジン の こと を シンプ に きこう と しかけながら、 その とき ひょっくり これ は また シンプ が ナニ か おもいちがえて、 ワタシ ジシン の こと を いって いる の では あるまい か と いう キ も されだした。……
 そう ミョウ に ちぐはぐ に なった ワタシタチ の カイワ は、 それから は ますます とだえがち だった。 そうして ワタシタチ は いつか だまりあった まま、 あつすぎる くらい の ダンロ の ソバ で、 マドガラス-ゴシ に、 ちいさな クモ が ちぎれちぎれ に なって とぶ よう に すぎる、 カゼ の つよそう な しかし フユ-らしく あかるい ソラ を ながめて いた。
「こんな うつくしい ソラ は、 こういう カゼ の ある さむい ヒ で なければ みられません です ね」 シンプ が いかにも なにげなさそう に クチ を きいた。
「ホントウ に、 こういう カゼ の ある、 さむい ヒ で なければ……」 と ワタシ は オウムガエシ に ヘンジ を しながら、 シンプ の イマ なにげなく いった その コトバ だけ は ミョウ に ワタシ の ココロ にも ふれて くる の を かんじて いた……
 1 ジカン ばかり そう やって シンプ の ところ に いて から、 ワタシ が コヤ に かえって みる と、 ちいさな コヅツミ が とどいて いた。 ずっと マエ から チュウモン して あった リルケ の 「レクイエム」 が 2~3 サツ の ホン と イッショ に、 いろんな フセン が つけられて、 ホウボウ へ カイソウ されながら、 やっと の こと で イマ ワタシ の モト に とどいた の だった。
 ヨル、 すっかり もう ねる ばかり に シタク を して おいて から、 ワタシ は ダンロ の ソバ で、 カゼ の オト を ときどき キ に しながら、 リルケ の 「レクイエム」 を よみはじめた。

 12 ガツ 17 ニチ
 また ユキ に なった。 ケサ から ほとんど オヤミ も なし に ふりつづいて いる。 そうして ワタシ の みて いる マ に メノマエ の タニ は ふたたび マッシロ に なった。 こう やって いよいよ フユ も ふかく なる の だ。 キョウ も イチニチジュウ、 ワタシ は ダンロ の カタワラ で くらしながら、 ときどき おもいだした よう に マドギワ に いって ユキ の タニ を うつけた よう に みやって は、 また すぐに ダンロ に もどって きて、 リルケ の 「レクイエム」 に むかって いた。 いまだに オマエ を しずか に しなせて おこう とは せず に、 オマエ を もとめて やまなかった、 ジブン の めめしい ココロ に ナニ か コウカイ に にた もの を はげしく かんじながら……

  ワタシ は シシャ たち を まって いる、 そして カレラ を たちさる が まま に させて ある が、
  カレラ が ウワサ とは につかず、 ヒジョウ に カクシンテキ で、
  しんで いる こと にも すぐ なれ、 すこぶる カイカツ で ある らしい の に
  おどろいて いる くらい だ。 ただ オマエ―― オマエ だけ は かえって
  きた。 オマエ は ワタシ を かすめ、 マワリ を さまよい、 ナニモノ か に
  つきあたる、 そして それ が オマエ の ため に オト を たてて、
  オマエ を うらぎる の だ。 おお、 ワタシ が テマ を かけて まなんで えた もの を
  ワタシ から とりのけて くれるな。 ただしい の は ワタシ で、 オマエ が まちがって いる の だ、
  もしか オマエ が ダレ か の ジブツ に キョウシュウ を もよおして
  いる の だったら。 ワレワレ は その ジブツ を メノマエ に して いて も、
  それ は ここ に ある の では ない。 ワレワレ が それ を チカク する と ドウジ に
  その ジブツ を ワレワレ の ソンザイ から ハンエイ させて いる きり なの だ。

 12 ガツ 18 ニチ
 ようやく ユキ が やんだ ので、 ワタシ は こういう とき だ と ばかり、 まだ いった こと の ない ウラ の ハヤシ を、 オク へ オク へ と はいって いって みた。 ときどき どこ か の キ から どおっ と オト を たてて ひとりでに くずれる ユキ の ヒマツ を あびながら、 ワタシ は さも おもしろそう に ハヤシ から ハヤシ へ と ぬけて いった。 もちろん、 ダレ も まだ あるいた アト なんぞ は なく、 ただ、 トコロドコロ に ウサギ が そこいらじゅう を はねまわった らしい アト が イチメン に ついて いる きり だった。 また、 どうか する と キジ の アシアト の よう な もの が すうっと ミチ を よこぎって いた……
 しかし どこ まで いって も、 その ハヤシ は つきず、 それに また ユキグモ らしい もの が その ハヤシ の ウエ に ひろがりだして きた ので、 ワタシ は それ イジョウ オク へ はいる こと を ダンネン して トチュウ から ひっかえして きた。 が、 どうも ミチ を まちがえた らしく、 いつのまにか ワタシ は ジブン ジシン の アシアト をも みうしなって いた。 ワタシ は なんだか キュウ に こころぼそそう に ユキ を わけながら、 それでも かまわず に ずんずん ジブン の コヤ の ありそう な ほう へ ハヤシ を つっきって きた が、 その うち に いつから とも なく ワタシ は ジブン の ハイゴ に たしか に ジブン の では ない、 もう ヒトツ の アシオト が する よう な キ が しだして いた。 それ は しかし ほとんど ある か ない か くらい の アシオト だった……
 ワタシ は それ を イチド も ふりむこう とは しない で、 ずんずん ハヤシ を おりて いった。 そうして ワタシ は ナニ か ムネ を しめつけられる よう な キモチ に なりながら、 キノウ よみおえた リルケ の 「レクイエム」 の サイゴ の スウギョウ が ジブン の クチ を ついて でる が まま に まかせて いた。

  かえって いらっしゃるな。 そうして もし オマエ に ガマン できたら、
  シシャ たち の アイダ に しんで おいで。 シシャ にも たんと シゴト は ある。
  けれども ワタシ に ジョリョク は して おくれ、 オマエ の キ を ちらさない テイド で、
  しばしば トオク の もの が ワタシ に ジョリョク を して くれる よう に―― ワタシ の ウチ で。

 12 ガツ 20 ヨッカ
 ヨル、 ムラ の ムスメ の イエ に よばれて いって、 さびしい クリスマス を おくった。 こんな フユ は ヒトケ の たえた サンカン の ムラ だ けれど、 ナツ なんぞ ガイジン たち が たくさん はいりこんで くる よう な トチガラ ゆえ、 フツウ の ムラビト の イエ でも そんな マネゴト を して たのしむ もの と みえる。
 9 ジ-ゴロ、 ワタシ は その ムラ から ユキアカリ の した タニカゲ を ヒトリ で かえって きた。 そうして サイゴ の カレキバヤシ に さしかかりながら、 ワタシ は ふと その ミチバタ に ユキ を かぶって ヒトカタマリ に かたまって いる カレヤブ の ウエ に、 どこ から とも なく、 ちいさな ヒカリ が かすか に ぽつん と おちて いる の に キ が ついた。 こんな ところ に こんな ヒカリ が、 どうして さして いる の だろう と いぶかりながら、 その どっか ベッソウ の ちらばった せまい タニジュウ を みまわして みる と、 アカリ の ついて いる の は、 たった 1 ケン、 たしか に ワタシ の コヤ らしい の が、 ずっと その タニ の ジョウホウ に みとめられる きり だった。…… 「オレ は まあ、 あんな タニ の ウエ に ヒトリ っきり で すんで いる の だなあ」 と ワタシ は おもいながら、 その タニ を ゆっくり と のぼりだした。 「そうして これまで は、 オレ の コヤ の アカリ が こんな シタ の ほう の ハヤシ の ナカ に まで さしこんで いよう など とは ちっとも キ が つかず に。 ごらん……」 と ワタシ は ジブン ジシン に むかって いう よう に、 「ほら、 あっち にも こっち にも、 ほとんど この タニジュウ を おおう よう に、 ユキ の ウエ に てんてん と ちいさな ヒカリ の ちらばって いる の は、 どれ も みんな オレ の コヤ の アカリ なの だ から な。……」
 やっと その コヤ まで のぼりつめる と、 ワタシ は そのまま ヴェランダ に たって、 いったい この コヤ の アカリ は タニ の どの くらい を あかるませて いる の か、 もう イチド みて みよう と した。 が、 そう やって みる と、 その アカリ は コヤ の マワリ に ほんの わずか な ヒカリ を なげて いる に すぎなかった。 そうして その わずか な ヒカリ も コヤ を はなれる に つれて だんだん かすか に なりながら、 タニマ の ユキアカリ と ヒトツ に なって いた。
「なあん だ、 あれほど たんと に みえて いた ヒカリ が、 ここ で みる と、 たった これっきり なの か」 と ワタシ は なんだか キ の ぬけた よう に ひとりごちながら、 それでも まだ ぼんやり と その アカリ の カゲ を みつめて いる うち に、 ふと こんな カンガエ が うかんで きた。 「――だが、 この アカリ の カゲ の グアイ なんか、 まるで オレ の ジンセイ に そっくり じゃあ ない か。 オレ は、 オレ の ジンセイ の マワリ の アカルサ なんぞ、 たった コレッパカリ だ と おもって いる が、 ホントウ は この オレ の コヤ の アカリ と ドウヨウ に、 オレ の おもって いる より か もっと もっと たくさん ある の だ。 そうして そいつたち が オレ の イシキ なんぞ イシキ しない で、 こう やって なにげなく オレ を いかして おいて くれて いる の かも しれない の だ……」
 そんな おもいがけない カンガエ が、 ワタシ を いつまでも その ユキアカリ の して いる さむい ヴェランダ の ウエ に たたせて いた。

 12 ガツ 30 ニチ
 ホントウ に しずか な バン だ。 ワタシ は コンヤ も こんな カンガエ が ひとりでに ココロ に うかんで くる が まま に させて いた。
「オレ は ヒトナミ イジョウ に コウフク でも なければ、 また フコウ でも ない よう だ。 そんな コウフク だ とか ナン だ とか いう よう な こと は、 かつて は あれほど オレタチ を やきもき させて いたっけ が、 もう イマ じゃあ わすれて いよう と おもえば すっかり わすれて いられる くらい だ。 かえって そんな コノゴロ の オレ の ほう が よっぽど コウフク の ジョウタイ に ちかい の かも しれない。 まあ、 どっち か と いえば、 コノゴロ の オレ の ココロ は、 それ に にて それ より は すこし かなしそう な だけ、 ――そう か と いって まんざら たのしげ で ない こと も ない。 ……こんな ふう に オレ が いかにも なにげなさそう に いきて いられる の も、 それ は オレ が こう やって、 なるたけ セケン なんぞ とは まじわらず に、 たった ヒトリ で くらして いる せい かも しれない けれど、 そんな こと が この イクジナシ の オレ に できて いられる の は、 ホントウ に みんな オマエ の おかげ だ。 それだのに、 セツコ、 オレ は これまで イチド だって も、 ジブン が こうして コドク で いきて いる の を、 オマエ の ため だ なんぞ とは おもった こと が ない。 それ は どのみち ジブン ヒトリ の ため に スキカッテ な こと を して いる の だ と しか ジブン には おもえない。 あるいは ひょっと したら、 それ も やっぱり オマエ の ため には して いる の だ が、 それ が ソノママ で もって ジブン ヒトリ の ため に して いる よう に ジブン に おもわれる ほど、 オレ は オレ には もったいない ほど の オマエ の アイ に なれきって しまって いる の だろう か? それほど、 オマエ は オレ には なんにも もとめず に オレ を あいして いて くれた の だろう か?……」
 そんな こと を かんがえつづけて いる うち に、 ワタシ は ふと ナニ か おもいたった よう に たちあがりながら、 コヤ の ソト へ でて いった。 そうして イツモ の よう に ヴェランダ に たつ と、 ちょうど この タニ と セナカアワセ に なって いる か と おもわれる よう な アタリ で もって、 カゼ が しきり に ざわめいて いる の が、 ヒジョウ に トオク から の よう に きこえて くる。 それから ワタシ は そのまま ヴェランダ に、 あたかも そんな トオク で して いる カゼ の オト を わざわざ きき に で でも した か の よう に、 それ に ミミ を かたむけながら たちつづけて いた。 ワタシ の ゼンポウ に よこたわって いる この タニ の スベテ の もの は、 サイショ の うち は ただ ユキアカリ に うっすら と あかるんだ まま ヒトカタマリ に なって しか みえず に いた が、 そう やって しばらく ワタシ が みる とも なく みて いる うち に、 それ が だんだん メ に なれて きた の か、 それとも ワタシ が しらずしらず に ジブン の キオク で もって それ を おぎないだして いた の か、 いつのまにか ヒトツヒトツ の セン や カタチ を おもむろに うきあがらせて いた。 それほど ワタシ には その なにもかも が したしく なって いる、 この ヒトビト の いう ところ の コウフク の タニ―― そう、 なるほど こう やって すみなれて しまえば、 ワタシ だって そう ヒトビト と イッショ に なって よんで も いい よう な キ の する くらい だ が、 ……ここ だけ は、 タニ の ムコウガワ は あんな にも カゼ が ざわめいて いる と いう のに、 ホントウ に しずか だ こと。 まあ、 ときおり ワタシ の コヤ の すぐ ウラ の ほう で ナニ か が ちいさな オト を きしらせて いる よう だ けれど、 あれ は おそらく そんな トオク から やっと とどいた カゼ の ため に かれきった キ の エダ と エダ と が ふれあって いる の だろう。 また、 どうか する と そんな カゼ の アマリ らしい もの が、 ワタシ の アシモト でも フタツ ミッツ の オチバ を ホカ の オチバ の ウエ に さらさら と よわい オト を たてながら うつして いる……。

ある オンナ (ゼンペン)

 ある オンナ  (ゼンペン)  アリシマ タケオ  1  シンバシ を わたる とき、 ハッシャ を しらせる 2 バンメ の ベル が、 キリ と まで は いえない 9 ガツ の アサ の、 けむった クウキ に つつまれて きこえて きた。 ヨウコ は ヘイキ で それ ...